続きが遅くなりました。
というわけで、ある程度この回答の展開が読めたのではないかと思います。その日映の第1作が質問の「怒りの孤島」でした。
当時は、左翼系の独立プロダクションや、労働組合員のカンパによる同業的なテーマの作品、或いは政治的なものとはほとんど関わり無く単に創りたいものを創るために独立プロを起こす映画人、など様々な動きが活発な時期でした。
しかし、日映の場合には元々メジャー志向だったせいか、先行する他社に動きを封じられてしまうと、そのような草の根的な運動とは全く異なって、たちまち解散してしまいました(詳しいことは私も知りません。ここで質問しても回答は来ないと思います)。この作品は松竹に配給を委託し、次の作品を制作後これも大映にまかせて、会社は消え去ります。
独立プロの作品の場合、配給を大手に委託するにしろ、自主上映を行うにしろ、資金を回収できないと、債権者がそのネガやプリント(上映用のフィルム)を押さえてしまうことが良くあったようです。
このため名前ばかりが残って、実際のフィルムはどこにも無い。散々調べた挙句、やっと当時の債権者の一人がネガを金庫に入れっぱなしにし、忘れられていたのを見つけた。と言うようなことも有ったと、十数年前に催された「独立プロ映画祭」のパンフレットで読んだこともあります。
日映の作品の場合にはどうなったのかは判りません。しかし、当時上映用に作られたプリントは劇場上映終了後も何らかのかたちで上映されていたと思います。資金の回収の意味も有ります。nikayanさんが観たのが映画館だったにしろ、例えば野外映画会だったにしろ、そのプリントを使ったものだったのでしょう。
ですが、プリントは映写すればするほど傷みます。カラー作品だと時間の経過と共に褪色が進みます。いずれはプリントは廃棄処分となります(どんな大手の映画会社でも同じです)。
こうしてプリントが無くなると、どういうことになるか。何かよほどの価値をその作品が持っていない限り、新しいプリントが作られることは無く、その作品は幻となります。特に今回のような権利関係がややこしいことになっている可能性も有る状況では、その元になるネガ・フィルムの存在も怪しいかもしれません。
監督の久松静児は戦前、無声映画の末期に監督になったのですが、長らく会社の企画をほどほどにこなすといった人でした。戦後もしばらくはそんな感じで、鳴かず飛ばずでした。
そんな有る時、子どもから「父さんには代表作と言えるようなものが無いじゃないか」と言われ、それまで勤めていた会社を辞めて、模索を始めます。「怒りの孤島」はそんな時期の作品で、この2年後に代表作と言える「警察日記」を日活で監督することになります。
自分が観ていないものをこのように表現するのは問題が有りますが、代表作でもないし、映画評論の世界でかなり高い評価を得ているわけでもない。こういう状況にある独立プロの作品が、権利問題を解決し、更に1本当り100万くらいかかると言われるプリント制作費を調達し、その上次にはそれに見合うだけの観客を確保する。絶望的です。
今回、懐かしいと感じるのは一人だけではないのが良く判りましたが、だからと言って、誰かがビデオ化する可能性も、同様にほとんど無いでしょう。
例外的に左翼系の独立プロの監督の双璧として、今井正、山本薩夫の両氏に関しては、日本映画史上屈指の映画監督でもあったため、彼等の作品を中心にした映画祭が催されたこともありました。十数年前のことでした。もし、社会情勢があのままあと3年ほど続いていれば、この企画は更にほかの監督の作品も蘇らせただろうとも思いますが、すべては雲散霧消という感じになってしまいました。
最後に希望を一つだけ記しておきます。国立近代美術館の映画部門がフィルムセンターです。唯一の国が運営する映画関連の文化機関です。もしこの作品のプリントが有るとすれば、ここ以外にはないでしょう。
ただ、確認しようにもウェブ版の収蔵作品目録は無いため、直接行って目録を確認するか、ほかの目録を所蔵しているだろうところで閲覧する以外には方法がなさそうです。その上、もし有っても希望の作品が上映されるまでには何年も待たなければならない可能性も高いです。
この辺で終わることにします。
お礼
長文のご説明ありがとうございました。 ○○松竹と言う近所の封切館で観ました。宣伝も大々的に打たれ、家族で行った ことを覚えています。 ご説明の内容から、この作品が高い評価を受けていなかったことは意外でした。 なぜこの年まで私の中で強く印象に残る映画として記憶しているのか不思議です。 むしろその謎を確認する意味で、観たい気持ちがさらに高まりました。 しかし、それもほぼ不可能とのことですが、もうしばらく可能性を求めて締め切らずにおきます。