初期のフォークは反体制的なものだった?
吉田拓郎さんが引退しましたが、1970年代後半にフォークと云うジャンルをマイナーからメジャーに押し上げたり、
既存の歌謡界(アイドルや演歌歌手)に曲を提供したと云う功績があり、これ以降、既存の大手プロダクションもニューミュージック系の歌手をデビューさせたりする様に成ったと云われております。
① 吉田拓郎さん以前にも高石友也さんや岡林信康さん等の歌は世間に知られヒットしておりましたが、セールス的には乏しいのはマスコミに登場せず、事務所の力等が無かったからなんでしょうか?
② 吉田拓郎さんもデビューはエレックレコードと云う
マイナーな会社所属でデビューしたそうですが、それも社員兼歌手と云う扱いで、全国のレコード店周りやレコードの配達の業務が主な仕事だったそうで、いうなればプロデューサーやマネージャーが行う事も皆自分でやっていたからなんでしょうか?
③ 吉田拓郎さんの「結婚しようよ」「旅の宿」がヒットした事で
大手のレコード会社もメジャーに成ると認めたのでしょうか?
(唯それ以前のファンの方は拓郎さんが「結婚しようよ」を歌うと
「商業主義帰れ」と罵声や瓶を投げつけたと云われております)
④ 吉田拓郎さんが森進一さんに「襟裳岬」を提供しヒットしたり、
俳優の水谷豊さんの歌手としてのプロデュースを行う事で
「既存の芸能界に関わった」と反発したのが泉谷しげるさんだったと
云われております。(泉谷しげるさんも後に俳優としての活路を見出し和解)
⑤ 吉田拓郎さん以前にもマイク真木さんやビリーバンバンや森山良子さん等の歌は売れておりましたが、この人達は①の高石友也さんや岡林信康さんと違い、大手のレコード会社や芸能事務所によってデビューした、歌謡曲の歌手がフォーク的な歌を歌っていると云う位置付けなんでしょうか?(この頃ブームに成ったGSも同じ)
この辺りの事をお知りの方が居られたらご回答いただきたいと思います。
お礼
早速のアドバイスをありがとうございました。 「はにかみながら歌う」と丁寧に書いてくれてありがとうございました。