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あなたにとっての吉田拓郎と井上陽水?

私の青春時代はフォークソングの全盛時代でした。 そして、両方のファンは袂を分かっていたように思います。 ところで同年代の方、又は両シンガーをよくご存じの方、あなたの二人に対する思いを教えて下さい。

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noname#6085
noname#6085
回答No.8

gokurakuyamaさん、どうも2回目です。前回の質問の回答と合わせるともっと増えますが…。 お礼に書かれていた件の補足です。 >ただ、私は拓郎は「ボブディラン」に影響されたというよりも、強烈なファンだったと言った方がいいかも・・・・。 何故なら「拓郎オンステージ第二集」のライブ盤で、ボブディランの曲「ハッティーキャロ・さびしい曲」のメロディーで曲を作って歌っていましたね。⇒そうですね。確かにファンと言えるでしょうね。ファン=影響力と言う事にもなると思います。そう言う意味では私も拓郎の影響をモロに受けている一人だと思います。若い頃、自分で作詞・作曲もやっていましたが、やはりメロディーラインやコード進行に拓郎の曲に良く似た部分があったみたいで、周囲からも言われました。ヤマハポプコンに出た時ももう少しオリジナリティが必要と言われました。それがきっかけでいっそ拓郎のコピーバンドを作ろうと思い、仲間5人でバンドを結成し、地元ではいくらか知名度も得ました。現在、それらの仲間とはバラバラ(死んだ人間もいます)ですが、また再会して当時を懐かしむのもいいかもしれませんね。因みにポプコン出場時の曲は「人生なんて」(「人間なんて」のパクリに思われるかもしれませんが、列記とした私のオリジナルで、ロッカバラードの曲です。未だに自分では最高のお気に入り曲です。レコード化していますが、どう言う訳か私は持っていません。テープはあるのですが…。(-_-;) ここでちょっと訂正させて頂きますが、「順ちゃん云々」って言う曲の「順」は「準」と言う字です。「準ちゃんの与えたこんにちの吉田拓郎への偉大なる影響」と言うタイトルですね。(このオンステージ第2集のレコードのジャケットには数種類存在するのはご存知でしょうか? 拓郎に無許可で発売したエレック倒産前の最後のLPです。) > 拓郎のデビュー曲の件。 これは「古い船を動かすのは古い水夫じゃないだろう」のアルバムの中でしょうか? 又、教えて下さい。⇒「古い船を動かすのは古い水夫じゃないだろう」の中には入っていません。それよりも以前の曲です。メジャーデビュー曲はご存知だと思いますが「マークII/イメージの詩」(エレックレコード)です。まだデビューする前にコロンビア(だったと思います)からオムニバスのLP(赤い鳥やマックスの曲が収録されています)が出ていて、その中に先の回答に書いた曲が入っています。拓郎曰く、これが幻のデビュー曲だと言っています。(残念ながら私も実際聴いた事はありません。レコードも探したのですが、見つかっていません。ただ、歌詞とメロディー譜は持っていますので、大体の曲の感じは分かっています。4分の5拍子の変則的な曲です。歌詞を載せられないのが辛いです。(悲)また、エレックから「青春の詩」のLPを出す前に朝日ソノラマから「真夏の夜の夢」(だったと思います。)と言うソノシート2枚組みのレコードが発売されています。その中でのみ発表されている曲に「基地サ」と言う曲があります。(原曲は「あんたがどこさ」のメロディです。)このレコードも持っていたのですが、引越し等で行方不明のままです。オークション等で探したのですが、見つかりません。 今回は直接の質問回答ではありません。その点、どうかご理解下さい。何だか個人的な内容になってしまい申し訳ございません。また何か気付いた点があれば来ますので、宜しく。 by yama585

gokurakuyama
質問者

お礼

yama585さん、再びご登場いただきありがとうございました。 そうでしたか? ヤマハポプコンに出場、又、コピーバンドまで・・・・・。 当に、拓郎一色だったのですね。 それにしても拓郎の初期の事を本当によくご存じですね。 中学生の頃の思い出が沸々と沸いて来ました。 >「順ちゃん云々」って言う曲の「順」は「準」と言う字です。「準ちゃんの与えたこんにちの吉田拓郎への偉大なる影響」と言うタイトルですね。 そうでした。準ちゃんでした。なんか涙がでるくらい懐かしいです。 ジャケットが二種類あったのですか? 私が知っているのはブルー(緑だったかな?)一色で、拓郎がギター持って叫ぶように歌っている「それ」でしたが・・・・。 「静か」っていう曲が好きでした。今は「花酔曲」っていう曲名で再録音されているようですが・・・。 私の回りにもギター持って拓郎のコピーしているのが、7~8人くらいいました。 何を隠そう私もその一人でしたが、最終的にFのコードが(バー)が満足に出来ず、もっぱらボーカル専門でしたが・・・・。 必死でコピーしていたのは「蒼い夏」「高円寺」「リンゴ」から「ある雨の日の情景」あたりでした。 「ある雨の・・・」はコーラスの最後がなんて歌ってるのかわからず、何回もレコード聞き返しました。 「どうしてこんなに悲しいんだろう」も好きでしたね。 思い出はつきませんが、このあたりにしておきます。 又の登場お待ちしております。 それから、この欄をお借りして(yama585さん、お許し下さい)陽水ファンの方の登場もお待ちしていますよ。 よろしくです。

その他の回答 (11)

noname#6085
noname#6085
回答No.12

gokurakuyamaさん、今回は情報です。 先の回答に書きました「飯田高校(長野県飯田市)学園祭・拓郎のライブ」のCDですが、先程、飯田高校の同窓会事務局に問い合わせた所、探して見るという返事を頂きました。 30年以上も前の話しなので、暫く時間がかかるかもしれないと言う事ですが、うまく行けば入手出来るかもしれませんよ。 と言う事で情報でした。(「自信:なし」にしておきます。) 

gokurakuyama
質問者

お礼

yama585さん、ありがとうございました。 まだ締め切らなくてよかったです。 そうですか? 手に入りそうですか。 私もそこへ聞いて見ようかな? たぶん同年代の方からの書き込みもう少しいただけそうだと思っているのですが、なかなかカキコしてもらえません。 まだ締め切るつもりはありませんので、その後の情報待っています。

noname#3361
noname#3361
回答No.11

2回目のお邪魔です。そういえば拓郎のオールナイトニッポンは聞いてました? 毎週は聞けなかったんですが,かなり楽しませてもらいました。 その中のハーモニカ講座でキーを間違え,大笑いしたのをいまだに鮮明に覚えています。

gokurakuyama
質問者

お礼

yuseiさん、再びの登場ありがとうございました。 オールナイトニッポンは懐かしいですね。 文化放送でしたっけ? 関西、特に私らの地方では受信しにくかったのを覚えています。 受験勉強にラジオは必須でしたね。 なんか時代をタイムスリップしたようななつかしい気がします。 参考書、問題集の横には常に葉書を数枚おいて、リクエストやメッセージカードがすぐ書けるようにというシュチェーションでしたね。

  • mtkame
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回答No.10

私も2回目の登場です。(^^ゞ どうやら、拓郎派(?)の方が多いようですね。というより、拓郎の方が「思い入れ」の強い人が多いということかな。 イメージ的にみても、陽水はあくまでもミュージシャン(またはアーティスト)ですが、拓郎はむしろ「カリスマ」のような存在になりかけて(またはすでになって)いると言えるかもしれません。 陽水の歌はどちらかといえばメルヘンやファンタジーの世界ですが、たくろうの場合はモロ「人生」ですからね。影響を受ける人はとことんハマるんでしょう。

gokurakuyama
質問者

お礼

mtkameさん、再びありがとうございました。 >拓郎の方が「思い入れ」の強い人が多いということかな。 私もこのあたりが一番知りたかった事なんですが、やはりそう思われますか? >イメージ的にみても、陽水はあくまでもミュージシャン(またはアーティスト)ですが、拓郎はむしろ「カリスマ」のような存在になりかけて(またはすでになって)いると言えるかもしれません。 衛生放送での最近のライブ両方見ましたが、コンサート自体もそれがいえますね。それ故に私にしてみれば拓郎は「一般大衆の中に拓郎自身を受け付けない」人がいたり、陽水に関しては「曲による好き嫌いがはっきりしている」のかも知れませんね。 拓郎の人生観に影響を受けた人は私を含めたくさんいると思います。 

noname#6085
noname#6085
回答No.9

gokurakuyamaさん、3度目です。イヤ~、拓郎の話になると話題がつきなくて、何度もすみません。 実は今探しているCDがあるんです。1971年に飯田高校(長野県飯田市)の学園祭で拓郎のライブ(当時はコンサート?)があって、それがCD化されています。アルバム未収録の曲も多く、一度聴いてみたいと思っているのですが、残念ながらまだ入手出来ていません。 飯田には知人(女性)がいて、彼女に訊いてみたのですが、彼女は拓郎には全然興味がなく、知らないと言われてしまいました。(彼女の高校は飯田長姫高校ですので、知らなくても無理はないのですが…。) このCDにも「準ちゃんの与えたこんにちの吉田拓郎への偉大なる影響」が収録されているようですが、これには「偉大」が「多大」になっています。そう言えばオン・ステージのMCでは「多大」と言ってますね。私は「偉大」を「ただい」と読ませているんだと思っていました。(レコードの歌詞カードの単なるミスのようです。)この曲の元歌はボブ・ディランの「八ッティキャロルの寂しい死」ですね。 最後に訂正です。「真夏の夜の夢」は「真夏の青春」でした。 と言う事で、拓郎一色の内容になってしまい、申し訳ございません。陽水ファンの方、すみません。 by yama585

gokurakuyama
質問者

お礼

yama585さん、両方の回答ありがとうございました。 飯田市ですか? 私も知り合いがいない事はないので、当たって見たいと思います。 なんといっても拓郎のライブはトークだけでも十分楽しめますし、話ながらいきなり曲が始まるという、聞き手もボヤーッて出来ないところが又いいんですよね? 又、いろんな未発表の曲があるんですよね。 是非、その飯田高校のライブ盤を手に入れたいと思います。

noname#3361
noname#3361
回答No.7

盛り上がってますね。僕は二人ともよく聞いてましたよ。 回りでもあまり「袂を分かつ」というような雰囲気は有りませんでした。 でもどちらかといえばやっぱり拓郎派ですね。いまだに一番好きな歌は「リンゴ」です。 1979年12月31日,拓郎が「今までの曲は全部捨てる」と宣言した時は「え~!」って感じで大ショックでした。 今はしっかり歌ってますね。安心したり,がっかりしたり。

gokurakuyama
質問者

お礼

yuseiさん、ありがとうございました。 >いまだに一番好きな歌は「リンゴ」です。 「一つ目のリンゴを~~」の歌詞ですね。 ギターは、ジャンジャンジャカ ジャンジャカジャンシャカ ジャンジャカ ジャンジャカジャンジャカでイントロが始まるんですよね。 私は当時まだませてなくて、「こんな事はなかった云々 少し前までは」の歌詞の深い意味がわからなくて、それがどうしたって思ってました(笑) あんまり歌詞を書くとあぶない。あぶない。 他の方にも書いた「ひきがたり」のCDにも入ってましたよ。 「蒼い夏」「高円寺」なんかも好きでしたし、もちろん上記に収録されてますよ。 でも拓郎はあまり口には出しませんが、当時から陽水を過激に意識していたんですよね。 だからこそフォーライフ設立の際、小室さん(小室哲也じゃないですよ*字が違ってたらごめんなさい)の猛反対押し切って誘ったんですから 岡林の事はよく口にしてましたが・・・・。 ある時期アコースティックギター捨てて、エレキギターに走った次期がありましたが、そのころでしたかね。 「昔の曲は捨てる」とか言い出したのは・・・・・。 CBSソニーの前はエレックレコードでしたっけね? その頃の曲を再販するのはことごとく嫌っていたようでしたが、最近はそうでもないみたいです。 ファンとしては誠にありがたい限りですが・・・・・・。

noname#6085
noname#6085
回答No.6

根っからの拓郎ファンです。 私が最初耳にしたのは高校生の時です。昼食時間になるといつも放送部がレコードを流すのですが、その時聞いたのが「今日までそして明日から」でした。 丁度その頃、非常に落ち込んでいた時期で、自暴自棄状態でした。自殺願望も芽生えていました。そんな時、この曲を聴いて、何だか生きる勇気のようなものを感じました。それ以来の拓郎ファンとなっています。ただ、最近どうもエンターテインメント化してしまっていて、その姿はあまり好きにはなれません。皆さん、ビートルズに影響を受けていると書かれていますが、彼が影響を受けたのはボブ・ディランです。まぁ、ビートルズに影響を受けた部分もあるでしょうが…。(因みに「ビートルズが教えてくれた」の作詞は岡本おさみ氏です。) 陽水(ようすいと入力しても一発で変換しないんですよ。この名前は! 辞書登録しなくっちゃ!)ファンは私の周りにも沢山おります。高校当時も拓郎ファンと陽水ファンとほぼ半々でした。私も別段嫌いと言う訳ではありませんが、フォーライフに移籍後、一時期自分の音楽の方向性を見失った感のある時代があるようで、その時の陽水は好きではありません。 私はフォークソングとはそもそもプロテストソングだと思っている一人でして、アコギ1本での弾き語りと言うスタイルが大好きです。そう言う意味では最近の両者は少し残念に思います。 ここで少し2人を個人的に比較してみます。 *歌のうまさ 拓郎<陽水 *ギターのうまさ 拓郎>陽水 *エンターテインメント 拓郎>陽水 と思うのですが、これはあくまでも私だけの感じですので、誤解されないようにお願いします。 最後に一つ書かせて頂きます。拓郎のレコードデビュー曲は「土地に柵する馬鹿がいる」と言うプロテストソングです。

gokurakuyama
質問者

お礼

yama585さん、お久しゅうございます。 やはり、この質問なればこそ必ず出てきていただけると思っていました。 いつぞやはありがとうございました。 根っからの拓郎ファンです。 やはり、拓郎ファンは陽水よりも熱狂的なんですよね。 でないと、「人間なんて」を何時間もえんえんと歌えませんものね。 ただ、私は拓郎は「ボブディラン」に影響されたというよりも、強烈なファンだったと言った方がいいかも・・・・。 何故なら「拓郎オンステージ第二集」のライブ盤で、ボブディランの曲「ハッティーキャロ・さびしい曲」のメロディーで曲を作って歌っていましたね。 削除されると困りますので「順ちゃん云々」って言う曲でした。くらいにしておきます。 フォーライフレコード会社設立した目的は、もっと自由にミュージシャン、シンガーソングライターが曲作り、からプロデュース出来るように。ということだったと認識していますが、なんだかその後の方が彼らは縛られてしまってるような気がします。 >*歌のうまさ 拓郎<陽水 *ギターのうまさ 拓郎>陽水 *エンターテインメント 拓郎>陽水 まさしくそう思います。 拓郎のひきがたりは圧巻でしたよね。 歌のうまさは陽水の新しいアルバム(コーヒールンバ、花の首飾りなどのカバーアルバム)聞いてみると、よくあんな高い声がいまだに出るよなと感心します。 拓郎のデビュー曲の件。 これは「古い船を動かすのは古い水夫じゃないだろう」のアルバムの中でしょうか? 又、教えて下さい。

  • doki_doki
  • ベストアンサー率35% (36/101)
回答No.5

41歳です。小学6年の頃、すでにクラスには拓郎さんのファンの女の子がいて、LPを聞いた記憶があります。 その中でも、「男の子・女の娘(こ)」という郷ひろみのようなタイトルの歌がとても印象的でした。 あと、漫画家の黒鉄ヒロシさんが拓郎さんの大ファンで、「まんが吉田拓郎物語」を明星に描いていたのを覚えています。 ドラマでは、浅田美代子との共演の「なつかしき海の歌」というのがとても心に残っています。いいドラマでしたよ・・・・。泣けました・・・。

gokurakuyama
質問者

お礼

doki dokiさん、ありがとうございました。 小学校6年の女の子で拓郎ファンですか? なんとませた娘?イヤ。冗談・・・・。 その年齢で拓郎の良さがわかるなんてすごいですね。 「まんが吉田拓郎物語」は初めて知りましたよ。 浅田美代子は一時、拓郎の嫁さんでしたよね。 三人目か四人目でしたか?(笑) 確か「時間ですよ」でデビューでしたよね。 話がそれてしまい恐縮です。

回答No.4

井上陽水は始め、アンドレ・カンドレという名でデビューしたんですよね。 アンドレ・カンドレの「カンドレ・マンドレ」(笑)。この人らしいです。 私も、#2のAliceloveさんがおっしゃる様に、陽水はかなりのマイナス思考人だと思います(笑)。 相手が情熱的に語っていても、自分はそれを客観視して冷静に答える・・みたいな。 私も少し似た傾向を持っていたので、すごく共感しました。 正直、万人受けするのかなとは思いましたが(笑)。 そんな歌が、私は大好きなんですが・・(そこから、センチメンタルや悲しさが生まれるんですよね)。 吉田拓郎の事は詳しく言えないのですが(「人間なんて」という曲が好き)、どちらもビートルズに 影響を受けていると思います。 というかこの時代のフォークシンガーは、皆ビートルズに影響を受けているようですね。 今の陽水の曲は、昔に比べるとかなり陰より「陽」になったと思いますが (少し、エロい曲ばかり・笑)、ネガティブな姿勢は変わっていないと思います。

gokurakuyama
質問者

お礼

MoONLightdRIVEさん、ありがとうございました。 そうです。陽水は「アンドレ・カンドレ」がデビュー名でした。 当時のフォークシンガーでカタカナ名は大変珍しく、ある意味陽水らしいような気がします。 >どちらもビートルズに 影響を受けていると思います。 というかこの時代のフォークシンガーは、皆ビートルズに影響を受けているようですね。 おっしゃる通りで、拓郎なんか「ビートルズが教えてくれた」っていう曲作ってるくらいですから・・・。 4~5日前でしたかNHKの衛生第2チャンネルで、深夜に拓郎特集やってました。 その中でビートルズの事を彼も語っていました。 「人間なんて」は中津川フォークジャンボリーを思い出しますね。 >陽水はかなりのマイナス思考人だと思います(笑)。 相手が情熱的に語っていても、自分はそれを客観視して冷静に答える・・みたいな。 >私も少し似た傾向を持っていたので、すごく共感しました。 私も陽水はちょっと物事を斜めから見て曲を作っている面があるように思います。 もちろん拓郎にもそれが言えますが。 特に「白い一日*私はあまりこの曲好きではないですが」や、大好きで名曲中の名曲「傘が無い」と「紙ひこうき」「東へ西へ」あたりですが・・・。 このあたりは当時のレコードがすり減るくらい聞いたものでした。 今も時代はめぐるで、当時さながらのフォークギター片手のシンガーは数々ありますが、もう一つ(イヤ、もう四つくらい?)ですねえ。 もう、当時におけるこの両者くらいのステータスというか、ポリシー持ったやっこは出て来ないのでしょうか?

  • mtkame
  • ベストアンサー率25% (50/198)
回答No.3

 私がよしだたくろう(当時はひらがなの芸名だった)にハマったのは、「ともだち」というライブ版のアルバムからです。「老人の詩」や途中のトークで笑わされて、「おもしろいフォーク歌手」というイメージで入っていきました。  が、すぐに「マーク2」や「イメージの詩」などの歌詞の奥深さにのめり込み、ギターを買い、暇さえあれば拓郎の歌を弾き語り、私は拓郎だけでギターテクニックをマスターしたようなものです。(だからたいしたことない?爆)  拓郎が他の歌手の歌を作るようになったとき、メロディーを聴いただけで「これって拓郎の曲じゃない?」なんてわかるようになりました。こういう経験はある程度拓郎にのめり込んだ人ならみんなあると思います。(私が最初にそう感じたのは由紀さおりの「ルームライト」だったかな)  これに対して陽水は、どうも歌詞の内容が文学的(?)すぎて、あまりいいイメージではなかったようです(あくまでワタシ的に)。ただ、メロディーの美しさという点では圧倒的に陽水だと思いますけど。でも、「夢の中へ」あたりからちょっとイメージが変わってきました。

gokurakuyama
質問者

お礼

mtkameさん、ありがとうございました。 出ましたね。やはり・・・・。 たくろうオンステージ「ともだち」ですね。ヒヤーッ。お懐かしゅうございます。 私は今でも「ともだち」を聞くと、身震いしますね。 拓郎には独特の「たくろう節」がありますね。 字あまり丸出しで、古くさい言い回しで・・・・。 トークもギターも確かにうまいですよね。 私はもっと古いところで「わしらのフォーク村」も好きでした。 ところで最近かな?ソニーから拓郎の「ひきがたり」っていうCDが出ましたね。 上記の曲が昔そのままのバージョンで復刻されているのは、mtkameさんご存じでしょうか? 陽水の曲も奥がふかく、それ故に好きな曲と嫌悪感を抱く曲とが両極端なのですよ。 しかし、ここでは書きませんが体の奥底から揺りうごかされるような曲がありますよね。

  • Alicelove
  • ベストアンサー率35% (199/558)
回答No.2

私も同年代です。 吉田拓郎を初めて聞いたときの印象・・・なんか女々しい!  井上陽水を初めて聞いたときの印象・・・めっちゃネガティブ! あの頃、周りは皆、フォークソングでした。 拓郎・陽水はじめ、岡林も泉谷も高田渡もかぐや姫も・・・ あ、でも「かぐや姫」は最初コミックバンドって思っていました(笑)。 だけど、アメリカのフォークが反戦運動カラーが濃かったの対して 日本のそれって、ただの不平不満を歌にしているだけって感じがして 貧乏臭い日常性が、なんとなく好きになれませんでした。 #1の方の回答に、ビートルズ派かストーンズ派かってありましたが、 フォークソングは聞かなかったけれど、私はビートルズでした。 でも、解散してしまったので、そこからは別の方向に流れてしまいました。 ビートルズ→クリーム→グランドファンクレイルロード→ディープパープル で、またコロッと方向転換してウェストコースト(Eaglesとか)に行った! 話が脱線してしまいましたが、あんなに頑なにテレビ出演を拒否してたのに なぜおっちゃんになると、皆さん出てきて、しかもバラエティなんだろう。 ちなみに、陽水の奥さんの石川セリは大好きです(笑)。

gokurakuyama
質問者

お礼

Aliceloveさん、ありがとうございました。 同年代の方からの書き込みありがとうございます。 拓郎=女々しい。 なるほどね。案外そういうイメージもあるかも知れませんね。 拓郎は叙情的な作詞家「岡本おさみ」「喜多条 忠?*ちょっとうるおぼえです」や「安井かずみ」なんかと組んでいましたから、多少そう思われる部分もあったのでしょうね。 陽水=ネガティブ。 確かに。彼は今でも通じるサウンドやアレンジで曲作りが出来ますよね。 先日、子供(高一)と一緒にカラオケ行って「氷の世界」歌ったら、これ誰の曲?とびっくりしていました。 いまだに通じるんですよね。 ところで後半に気になる書き込みがありましたね。 クリームやディープパープルは懐かしいですね。 私は一時、シカゴや、受験生の頃はTレックスなんか聞きました。 ちょっと変わったところでは、エルトンジョンやミッシェルポルナレフも聞きましたね。 なんか「ジャンルはどうでもいいんかいな?」といわれそうですが・・・・。 又、岡林や高田 渡まで出ましたね。 このへんのお話もお付き合いしたいのですが、質問の趣旨から離れてしまうので我慢します。 ただ、あの頃はいろんなシンガー数々あれど、陽水と拓郎だけは自分のポリシーを持って曲作りしていたような気がするのは私だけでしょうか? もちろんあくまでも当時の話ですよ。 又、テレビ出演の話も色々意見があるでしょうね。 でもいまだに当時の歌番組のように、3~4分だけ与えられて歌うような番組は出演拒否しているようですね。 やはり、音楽に対する彼らの思いだけはまだ健在なのでしょう。

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