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なんでHするんだろう??
男の人は、妻or彼女とHしたいと思うのは、どうしてですか?愛情から?それとも欲求?パートナーに愛情がなくてもHしたいと思えるものなのでしょうか?
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平凡な既婚男性です。 >男の人は、妻or彼女とHしたいと思うのは、どうしてですか?愛情から?それとも欲求?パートナーに愛情がなくてもHしたいと思えるものなのでしょうか? 男性がセックスの衝動に駆られるのは、唯一内部から湧き上がる性欲を抑えがたいからであると考えられます。 ただし、見ず知らずの女性が簡単に受け入れてくれませんから、一人の女性に愛情を注ぎ、その信頼を得ようとするわけです。 特定の彼女のいない男性だと、風俗やAV、Hサイトで性的処理をすることからしても、「愛情から」セックスの衝動に駆られるということはありえません。 愛情とは、あくまでも好きな女性に優しくしたい、大切にしたいという思いであって、それが性的欲情(=ペニスの勃起)に結びつくとしたら、女性の方がかえって気持ち悪いと思うのではないでしょうか。 ただし、女性の男性に対する愛情は、それまで封印していた性欲を安心して解放させる引き金となります。 なお、男性の性欲は本能からと言うより、性に関する種々の社会的規制(禁止)によって人為的に形成されたものであり、もし一切の性的規制が消滅すれば、性的ポテンシャルも一気に下がるはずです。 たとえば、女性が胸や陰部を隠すことによって、はじめてそれが男性には性的魅力や価値を持つわけでして、それ自体に性的な魅力や価値が含まれているわけではありません。 女性は、そうと知らずに、男性に体して自らの性的魅力をアピールしつつ、同時に衣装によって男性の性的視線を遮っているわけです(たとえば、補整下着など)。 その他、人類は、大昔から性にさまざまな規制、禁止を課すことで、本来暴力的で、危険でさえある性的ポテンシャルを有効活用してきたのだと思います。 その典型例が婚姻制度でして、この制度には確かにいろいろ問題点があるにしても、現在のところ、これを超える性管理のシステムはないと思います。 いずれにせよ、男性は女性への愛情から性的欲求に駆られるのでなく、性的欲求を受け入れてもらうために女性に愛情を注ぐのだと理解した方が正しいと思います。 そして、自分の性的欲求を受け入れ、性的に癒してくれるが故に、その女性に徐々に愛情を募らせていくわけです。
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- mt072st
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質問者さんは、既婚者、それとも未婚者? どちらにしても、何がしか男性側からのリアクションを享受した結果と しての質問でしょう。 あなたの質問を「どうして既婚者は、妻以外にセックスしたがるの か?」に絞って、回答しましょう。 時代的な制約があるとしても現状の結婚制度は、それなりに市民として の男女間の平等を反映しています。でも、この結婚制度は、いまだに 「買春制度」と一体になっているんです。 いわば両者は、お互いになくてはならない車の両輪なのです。 世の風俗は、男性の既婚者の駆け込み寺なんです。 なにも、その人の「不徳といたす」ところが有って、その所業をなして いる訳ではなく、現行の結婚制度の維持のために必要なんです。 今はまさか、好きでもない人と結婚などしないでしょう。だから形式的 には、結婚制度は両者間の愛情の基礎の上で成り立っています。 でも、これが「クセモノ」なんですね。 例えて言えば、次の関係を思い描いていただければ、ある程度、その 「クセモノ」的内容が分るかも知れません。 封建制度のように主従関係がハッキリしていて、自らの食い扶持以外に 主人に強制的に年貢などを納めるから、「搾取」されている実態がわか りやすのですが、今の高度に発達した資本主義社会では、まさか、自分 が資本家に「搾取」されている感覚など皆無に近いんじゃないですか? 「搾取」されている実態がものすごく「カムフラージュ」されているだ けで、今は、その関係が見えにくくなっているだけなんですね。だっ て、封建時代は、身を切って働いた成果をお上に献上していたので「搾 取」されていた実態が見えていましたが、今の時代は、働いた後の「報 酬」として収入を得ているのですから、だれかに搾り取られている関係 が見えにくくなっているんです。 さて、今の結婚制度の基礎である「愛情の上での合意」がクセモノであ る理由は、身分制度がなくなって、二人は自由な契約の元で結ばれてい るような錯覚をしてしまうことから生じるんです。 確かに身分制度は「家」との関係に重きを置いていました。 しかし、では、現在は「個人の自由」の上に置かれているのでしょう か? 昔は「家」に縛られて「個人」が生かされていないように思われます。 だから、愛情は二の次に思われていました。 ここが「クセモノ」なんですが、では、現在はこの「個人」は、何の制 約も受けていないでしょうか? 昔は、愛情が二の次でしたから、妻以外の「おんな」に手を出すのは 「男の甲斐性」でもあり、それが誰はばかることなく堂々と行われてい ました。しかい今は、「妻を愛する」ことが前提になっているから、他 の「おんな」に手を出すことは、すんなりとは世間は受入れません。 でも、でも、ですよ・・・ ココが重要なんですが、「自由な個人」は、昔は「家」という呪縛を背 負っていましたが、今は「会社」という大きな後ろ楯の中で「ほそぼ そ」と生活させられている個人であることが、昔ほど不自由でないよう に見えているだけなんです。 言ってみれば、「家制度」では、結婚制度を維持できなくなっただけの 話で、そのかわり「愛情の上」での合意を金科玉条にしなければ、その 結婚制度を保てなくなってしまったといえるんです。 (悪く言うと、そういう言葉で男女を結び付けなければ、こんな結婚制 度に何ほどの魅力があるというのでしょうか?) 今の「労働」が昔の「年貢」とどう違うかと言えば、「年貢」という搾 取の形態では、とうてい今の経済制度を維持できなくなっただけのこと なんです。 昔は、「家」という厳然たる制度の下で結婚制度は成り立っていまし た。しかし、今は「個人の自由」という大義名分をかざさないと、すで に結婚制度は「不自由」の何者でもない存在になってしまったのです。 今、都会では40歳以上で未婚の男性はその人口の40%に登っているそう です。はたして、彼らは自分の「個人の自由」でそれを選択していると でも言うのでしょうか? 今の結婚制度で「買春制度」が必要な理由は、その「愛情の上」という まやかし的な「合意」が、なんのことはない、不確かな基礎の上でしか 成り立っていないために、この社会の制度として、その欠陥を補うもの として「買春」が成り立っているのです。 言ってみれば、男に妻以外にセックスを提供するシステムを備えていな ければ、この「結婚制度」は、立派にその役割を果たせないんです。 個人の性欲なので議論できるほど「やわい」話ではない、この社会の 基礎にその根拠を持っているからこそ、根深い「不倫」「買春」の 行為が密かに蔓延して、今でも密かに継続していられるのです。
お礼
奥深い話をありがとうございました。
- kouichsan
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本能です。
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
貴重なご意見、ありがとうございました。ためになりました。