• 締切済み

タイのタワーについて

 タイのタワー(あえてこの言葉を使います。)には、 プラーン・塔堂(クメール様式;とうもろこしのような形)、 チェディ仏塔(セイロン風;キン肉マンのスクリュー・キッドのような形)、 モンドップ・仏堂(純粋なタイ式;パルテノン神殿+細長い登頂) がありますが、 バンコクのワットプラケオや、アユタヤでは、 なぜ、これらが共存しているのでしょうか?

みんなの回答

  • wellow
  • ベストアンサー率46% (892/1932)
回答No.1

背景はそんなに難しいものではありません。 クメール様式は、アンコール朝との戦争に勝利し、技術者をタイに連れ帰ったから。もともとクメール朝はバラモンでしたが、後にテラワーダとなり、バラモン寺院がテラワーダ寺院として利用されたりした背景があります。有名所ではアンコール・ワットなんかがそうです。当時のクメール様式とは、バラモン+インド仏教(テラワーダ)の形式です。 スリランカ風のものは、後にタイがテラワーダを確立した(といっても、クメールから王朝に都合の良いように、バラモン教義を取り込んでいます。今もそうです)後に、テラワーダの権威であるスリランカとの交流により流入したもの。また、アユタヤ朝はビルマの侵略を受け、破壊されたものの、ビルマ朝にあったテラワーダの影響も受けています。 あえてタイ様式と呼ぶ近年のものは、タイで上記のものを昇華させたもの(今でも発展進化しています)。今は我々の考えるテラワーダから相当に乖離したものも多々あり、寺院の門に恐竜の像があったり、船の形をした寺院があったりと、本当に色々です。 まとめれば、アユタヤ朝やチャクリー朝の成立時期と近隣諸国の状況に因るものです。これらはタイではどれも潮流を考えれば正当なもので、これらの共存、混在は彼らの疑問にはなりえないものです。