自称“妖怪研究家”です(ねずみ男ではありませんw)。
さて、現在われわれがイメージする「正義の味方」としての『ゲゲゲの鬼太郎』は、昭和40年より講談社の『週刊少年マガジン』に掲載されたもの(当初の題名は『墓場の鬼太郎』)によりますが、鬼太郎というキャラクター自身は、それ以前の紙芝居「ハカバキタロー」や貸本漫画「鬼太郎」シリーズなど、さまざまの形で発表されていました。
そして鬼太郎の片目と目玉親父ですが、兎月書房刊『妖奇伝』(昭和34年)掲載の「幽霊一家」では、鬼太郎の両親はわれわれ人類以前の地上の支配者であった幽霊族の最後の生き残りでした。それを水木という青年が発見します。それから一年後に両親共に死に、水木は母親の遺骸のみ埋葬。父親は体がすでに腐っていました。
その日の夜、母の遺骸を破り墓場から鬼太郎が誕生。その次点で片目でした。そして父親の死体から子を思う一念で目玉だけ生き返りました。このように幽霊族は不思議な力を持つとされます(なお、後の話では幽霊族と妖怪は似てはいるが別物としています)。
鬼太郎は水木親子によって育てられますが、鬼太郎の秘密を暴こうとした水木青年は生きながら地獄に送られ、母親は発狂します。このようにその当時は、怪奇ムード漂う無気味な少年であり、正義の味方でもなく、邪魔者ならば妖怪・人間かかわらず命を奪う、生活のためには金儲けをする。そんなキャラでした。
なお、このエピソードはその後、青林堂刊『ガロ』に「鬼太郎の誕生」(昭和41年)としてリメイクされます
佐藤プロ刊「おかしな奴」(昭和39年)に掲載された鬼太郎の誕生では、大筋は前述通りですが、墓場から生まれた鬼太郎を恐れた水木青年が投げ捨てた時に、墓石に目をぶつけて片目になったとされます。その後、水木一家によって育てられますが、地獄送りや発狂のエピソードは削除されています。替わりに7歳の時に、親父が霊毛のちゃんちゃんこを与える話。そしてねずみ男との出合い(怪奇大学不潔学科首席、なまけ学博士と自己紹介。ドラキュラやフランケンといった名士とも肩を並べる仲と自己紹介すると、目玉親父は「あなた様は鬼太郎を、怪奇界の名士に育てるためにこられたのですか」と敬意を表します)が語られます。
貸本版は角川文庫で『墓場鬼太郎』の題名で復刊されています。また貸本時代のエピソードをリメイクした作品も、昭和40年代の『ゲゲゲの鬼太郎』には数多く発表されています。
お礼
詳しいお答えありがとうございます。 とても奥の深いお話しなんですね。 初めの話とあとから出来た話があるなんて全く知りませんでした。 またビックリしました。 是非、墓場鬼太郎を読んでみたいと思います。 ありがとうございました。