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東海林太郎、岡晴夫、渡辺はま子。好きな方。
みなさん こんにちは。 先日、ナツメロの質問をして締め切った際に、 ポイントを差し上げることに失敗した、「バカ者」です。 最近、ナツメロのCDを買って聞いております。 その中で私は、東海林太郎さんと、岡晴夫さんと、 渡辺はま子さんの歌に、すっかり「トリコ」されてしまいました。 質問タイトルの通りです。 東海林太郎さん。 岡晴夫さん。 渡辺はま子さんの歌が好きな方へ。 どの歌が好きですか?。 曲名と、できることであれば、 その曲の感想(何でもいいです。)を教えてくれたら嬉しいです。 また、ポイントの進呈に失敗するかも知れません、しかし、 お礼の返事は遅れますが(土曜日位)、必ずさせていただきます。 よろしくお願いいたします。 (質問初心者のため緊張しております、どうかお手柔らかに。)
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このお三方の個人的な思い出を・・・。 東海林太郎さんの”赤城の子守唄”。 ♪泣くな~よしよしねんねし~な山のからすが・・。 明治1桁生まれの祖母が、昭和1桁生まれの兄に子守唄として 歌ったと良く聞かされました。 兄は祖母の背中で,眠らないで、シクシク泣いたとの事です。 ”野崎小唄” ♪野崎参りは屋形船で参ろ~ 始めてみた祇園の舞子さんが,商店街のお祭りに来て、絵日傘をさして,踊っているのを,見て強烈な印象を覚えました。 歌舞伎(お染め久松)を見ていても、この曲が頭に浮かんでしまいます。 ”むらさき小唄” ♪流す涙が,お芝居ならば~ 大衆演劇の”雪之丞変化”の芝居には挿入歌として 女剣劇などの,踊りには,この曲がよく使われていました。 東海林太郎さんが直立不動で歌われているのに,女形の妖艶な踊りが浮かんで来ました。好きな歌です。 ”国境の町” たしかイントロにシャンシャンという鈴の音色が あったようにも思いだします。 LPで覚えた歌です。 昭和40年代にステレオ(木製の艶のある豪華な家電製品)とLPが、 流行って、それで聞いた記憶があるのですけれど・・。 それも保存してありますが、プレーヤーが我が家には ありませんので,まだ聞けるのかな?? 渡辺はま子さん 多分横浜の出身ですよね・・。 私の中学時代の音楽の先生が、音大時代に,後輩だったとのこと。 とてもきれいで、美声だったと,話されていました。 まだ学校内で,流行歌を歌う時代ではありませんでしたが、 その先生は、”何日君再来”や”夜来香”の、メロディや、 ”モンテンルパの夜はふけて”(一番好きです)などの,逸話を話してくださいました。 大きな鳥の羽の扇子をもって、歌う姿は、凛として,素適でした。 ”港の見える丘” 横浜にはそんな場所は幾つもありますが、 命名されたその丘に、はま子さんの家はお近くだったと思います。 岡晴夫 あの鼻にかかった、澄んだ歌声と小柄な姿は、 テレビの普及がもう少し早ければ・・・。存命されていれば。 もっと今の時代に印象に残っただろうと残念ですね。 その後の世代の女性歌手が,好きですので、特別にこの歌が大好きというのではないですが、不思議と,歌えてしまいます。 当時ラジオから毎日聞いた曲は忘れません。 私もまだ1度も質問をしたことはありません。 なにか失敗しそうで,怖いんです。 結構年令制限があってなかなか参加できません。 私も参加出きる質問は楽しみです。 どうぞ頑張って沢山このコーナに来てください。
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>kamehameha1941様が、不快になっているのではと気にかかります 全く・・・不快などとはとんでもありません。 「あざみの歌」はおおせの通り名曲です。それと、「山の煙」も・・・。二つともNHKの素人喉自慢によく歌われていました。 伊藤久男も声量たっぷりでよかったです。 灰田勝彦はたしかハワイの二世だったと思います。「新雪」は名曲でした。それと「山の人気者」もおもしろかったですね。子供のころ、このヨーデルのマネを沢山したせいか、今では音程が少し高くなると声がひっくり返ってしまい、鶏の首を絞めたような声が出て、まわりに笑われています。 NO.2さんも相当な凝り性ですね。「五郎部俊朗」面白そうですね。 「喜びも悲しみも幾年月」若山彰ですね。若い頃、この燈台守の映画を見てこのような夫婦になりたいと思いました。 しかし、結果は無為徒食の「年金食い逃げジジイ」で終わってしまいそうです。すみません。 楽しい話題を提供していただいてありがとうございました。
お礼
kamehameha1941様、再度の回答をいただき、感謝します。 あ~、良かったです。本意でなくとも、 ちょっとしたことでも書き間違うと、とんでもない誤解を招きますね。 これからは、使う言葉に配慮させていただきます。 >NO.2さんも相当な凝り性ですね。「五郎部俊朗」面白そうですね。 「喜びも悲しみも幾年月」若山彰ですね。若い頃、 この燈台守の映画を見てこのような夫婦になりたいと思いました。 と、いうとkamehameha1941様は、私の大先輩なのですね、 喜びも悲しみも幾年月という映画を配給していたころは、私は生まれてはおりませんでした。 そのような訳で、映画の内容はよく分かりませんが、確か、飛んでいる飛行機に女性が手を振っているシーンがあったような記憶があります。 しかし、歌は良く知っております。この歌も昭和を代表している傑作ですよね~、そればかりではなく、喜びも悲しみも幾年月の前奏の間に、コリンビア何とかさんが、『限りなく、人間の情を愛し、その愛の灯をともす燈台守の歌、木下忠治 作詞作曲、若原(間違えています。)・・若山彰が歌う、喜びも悲しみも幾年月!!。』これも名言だと思っております。 >灰田勝彦はたしかハワイの二世だったと思います。「新雪」は名曲でした。それと「山の人気者」もおもしろかったですね。子供のころ、このヨーデルのマネを沢山したせいか、今では音程が少し高くなると声がひっくり返ってしまい、鶏の首を絞めたような声が出て、まわりに笑われています。 初めて知りました、灰田勝彦さんは、日本人にはない独特のオーラがありますよね、それはこのような理由があったのですね、納得です。このサイトは本当に勉強になります、最高です。 >結果は無為徒食の「年金食い逃げジジイ」で終わってしまいそうです あははは、私もkamehameha1941様のようになりたいです。 そして、もっとナツメロの勉強をしてまた必ず参上いたします。 本当にありがとうございました。
こんばんは(^ω^) 紅白より『年忘れにっぽんの歌』のskyhigh555です。 今も年末に放送された番組のDVDを見ながら書き込んでます。 あ、曽根史朗さんが『若いお巡りさん』歌ってる(^ω^) …止まらなくなるので、話を戻します。無論、お三方とも、 全集CD持ってます(^ω^) >東海林太郎さん えー、一番は『国境の町』。次は『すみだ川』。 あと、戦時色が強いですが『ああ草枕幾度ぞ』も 好きです。 >岡晴夫さん 『憧れのハワイ航路』は外せませんね。あとはこの方 でないと出せない明るさが一杯の『青春のパラダイス』 『東京の空青い空』ですねぇ。 >渡辺はま子さん すんごい声量のソプラノでしたねぇ。一番好きなのは 定番ですが、『桑港のチャイナ街』。『蘇州夜曲』 『いとしあの星』『愛国の花』もイイですねぇ。 今、テノール歌手の五郎部俊朗さんが、この時代の歌を 盛んに歌っておられ、コンサート・CDが出ています。これは お勧め中のお勧め。『五郎部俊朗 歌は美しかった』で 検索してください。僕はこのシリーズ、CD4枚持ってます。 *藤山一郎とその時代 *蘇る!伊藤久男、近江俊郎、岡本敦郎、霧島昇の名曲 *喜びも悲しみも幾年月 *ライブ・セレクション クラシック歌手がピアノ伴奏、マイク無しで 歌ってもぴったり来る歌!いいですよ(^ω^)
お礼
回答していただき、感謝します。 年末に、ナツメロの番組を放送していたのですね、 うかつながら、ぜんぜん知りませんでした。ちょっと悔しいです。 国境の町、すみだ川、ああ草枕幾度ぞ、良い歌ですね~、・・・ 国境の町は、岡晴夫さんの国境の春を思わず連想してしまいます。 憧れのハワイ航路は、名曲中の名曲だと思っています、・・・ この歌は、1番から3番までが繋がっていますね、よく、これだけの 壮大な歌詞を上手く簡潔にまとめたものだな~と感心しております。 私が青春のパラダイスを知ったのは、つい最近のことです。 他にも、岡晴夫さんは良い歌をたくさん残してくれましたね、 あの、美空ひばりさんにも負けないくらいに、・・・・ いよいよ、渡辺はまこさんの登場ですね、良い歌ばかりです。 桑港のチャイナ街、蘇州夜曲、いとしあの星、愛国の花、 全部私の好きな歌です、桑港のチャイナ街は、渡辺はま子さんが、 テレビで、最後に歌った曲ではなかったでしょうか、?・・・ このとき、渡辺はま子さんは、大変痩せ細っておりました、 そして、歌詞を間違えてしまいました。このとき私は、 テレビを観ながら、「もう、貴女は充分歌ってくた、ありがとう。」 と、心の中でお礼を言ったことを思い出します。 五郎部俊朗さん・・・?、 勉強不足ですみません、今まで知らないでおりました。 skyhigh555様が、お薦めと言うのなら、間違いなく、 CDを手に入れる価値がありそうですね~、嬉しいです。 あと、いろいろな曲を教えてくださり、ありがとうございます。 おかげさまで、当分の間、ナツメロをじっくり堪能できそうです。 本当にありがとうございました。
懐かしい面々ですねー。 私は子供のころラジオで、最盛期のこの人たちの歌をよく聞いていました。今でもこの人たちの歌は歌えます。というか新しい歌が覚えられないということかな(笑)。 ▼東海林太郎:赤城の子守唄、国境の町 ハイバリトンの美声で、恐らく最初の流行歌手ではないでしょうか。戦前この人が最初に出てきた頃、ラジオから出てくる歌声を聴いた祖母は、世の中にこのような美声の人がいるのかと、驚いたそうです。 テレビでは直立不動で歌う姿が印象的でした。 ▼岡晴男:憧れのハワイ航路 鼻に抜けるハイトーンの声で、よく物真似の対象になっていました。 ▼渡辺はま子:蘇州夜曲、モンテンルパの夜は更けて 発声が本格的で、中年を過ぎる年になっても、まだ先生(確か外国人)の指導を受けていたという話を聞いたことがあります。 この人の歌ではモンテンルパが一番好きですね。 この三人のほか、藤山一郎、霧島昇、伊藤久男、岡本敦郎などが印象に残っています。戦前からの歌手は音楽学校出が多く、みんな美声の持ち主でした。 戦前の音楽学校出の歌手は「流行歌手になるなんて」と出身校から迫害?を受けるなど、大変だったようです。 この頃の歌はメロディーがきれいで、なんと言っても歌いやすいのが一番いいですね。それと歌手が美声でみんな上手です。 ああ懐かしい、小生ももCDを買ってくることにしましょう。
お礼
ご回答いただき、感謝します。 私も何故か、新しい歌を覚えることは苦手です。 だからと言って、最近の歌が悪いということでは決してありません。 東海林太郎の「国境の町」っているのは、 何故か、前奏が「青い山脈」に似ていると思いませんか?。 (そう、思っているのは、私だけでしょうかね?。) でも、良い歌だということには違いはありませんよね。 私の知人で、東海林太郎さんと酒を飲み、 手紙をもらったという方がいらっしゃいます。 その方は、東海林太郎さんのことを「先生」と呼んでおりました。 渡辺はま子さんの 「蘇州夜曲」は、異国情緒あふれる大変良い歌ですね。 勿論、「モンテンルパの夜は更けて」も名曲ですね。 特に最後に、 「強く生きよう倒れまい、日本の土を踏むまでは。」と、 ありますが、これは私を含め、誰でも感動する歌詞ですよね。 >この頃の歌はメロディーがきれいで、なんと言っても >歌いやすいのが一番いいですね。 >それと歌手が美声でみんな上手です。 同感です。本当に上手なのです、 これは偏見ではありませんが、素直にそう感じております。 岡晴夫さんが歌う、「憧れのハワイ航路」は、 歌いながらどこかに指を指している姿が私の脳裏に焼きついています。 きっと、ハワイを指差しているのでしょうね。 >藤山一郎、霧島昇、伊藤久男、岡本敦郎などが印象に残っています。 私は、初心者なので、詳しいことは残念ながら分かりませんが、 伊藤久男さんの「あざみの歌」は叙情歌として秀逸だと思っています。 >戦前の音楽学校出の歌手は「流行歌手になるなんて」 >と出身校から迫害?を受けるなど、大変だったようです。 灰田カツヒコさんも苦労された一人だと聞いております。 お手数でなければ、またお越しくださいませ。 本当にありがとうございました。
補足
すみません。 変な誤解を招くような表現をお礼でしてしまいました。 >だからと言って、最近の歌が悪いということでは決してありません。 これを後から読んでみて、 kamehameha1941様が、不快になっているのではと気にかかります。 決して、悪意はありません。 この一行は、忘れてくださいませ。
お礼
こんにちは、回答していただき感謝します。 comon-suki様も私の大先輩のようですね、私のような小童を相手にして下さり、ありがとうございます。 東海林太郎さんの、赤城の子守唄にそのような思い出があったのですね、泣いちゃいけない、ねんねしな~。という歌が逆効果になっていまったのですか?、comon-suki様の祖母様が、お兄様に、きっとこの歌を優しく歌って聞かせてあげたのでしょうね。 今回紹介してくださった野崎小唄は、赤城の子守唄とは対照的にとても明るい印象を受けました。 >始めてみた祇園の舞子さんが,商店街のお祭りに来て、絵日傘をさして,踊っているのを,見て強烈な印象を覚えました。 歌舞伎(お染め久松)を見ていても、この曲が頭に浮かんでしまいます。 なんとなく分かります、今、私はこの文章を見て、神楽坂はんこさんが歌う、芸者ワルツを思い出しました。神楽坂はんこさんが、両足のヒザを少し曲げながら、扇を大きく開いて舞い踊る姿をはっきり覚えております。あの姿はもはや芸術だと言っても過言ではないと思います。 むらさき小唄は、ごく最近覚えた歌です。現在の歌は、恋愛ものが主流ですが、昭和初期でも、恋愛ものの歌があったのですね、そう言えば、comon-suki様が教えて下さった、影を慕いても恋愛(純愛)の歌ですね。しかし、同じ恋愛ものの歌でも、昔の歌の方が高尚な気がするのは私だけでしょうか?。 国境の町・・・ >昭和40年代にステレオ(木製の艶のある豪華な家電製品)とLPが、 ということは、comon-suki様の家は余程お金持ちだったのですね~、ビックリしました。今のコンポにはプレイヤーがないのが欠点ではないでしょうか?、レコードを聴くためには、1万円くらいのプレーヤーを買い足す必要があるからです。 渡辺はま子さん、 >大きな鳥の羽の扇子をもって、歌う姿は、凛として,素適でした。 そういえば、蘇州夜曲でも、渡辺はま子さんは、大きな扇子を持って歌っていたような記憶があります。港が見える丘は知りませんでした、もっと勉強します。 岡晴夫さんも偉大な歌手でした、今後もこのような歌手が現れるのは難しいのでは?、と思っております。惜しいですね。 文字数が、もう1000を超えてしまうので、この続きが書き込めないようです。 また、必ず来ます。 本当にありがとうございました。