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父親が亡くなったのですが
先日実の父親が亡くなりました。 酒乱、家庭内暴力で、訳もないのに殴られたり、「オマエなんて要らなかったんだ。どうせろくな人間になりっこないんだ」と当り散らされ、学校でイジメに遭っているときも両親は諍いばかりで、私が助けを求めても「オマエがしっかりしていないからだ」と突き放され、近所の人からは「早く独立して出て行ったほうがいい」とまで言われました。 私は逃げるように自宅を出ました。母親は私が家を出て5年位して病死。もし霊が存在するとしたら、亡くなったことで、その人の気持ちに変化は訪れたりするのでしょうか?いまだに(父親が)生前のままの気持ちでいるとしたら、私は素直に父親を供養する気持ちにはなれません。両親のお陰で、この世に生を受けたことは感謝ですが、たくさんのトラウマや悪夢にいまだに悩まされているので、気持ちの板ばさみ状態で苦しいです。
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質問者が選んだベストアンサー
とても過酷な家庭環境だったのですね。ご苦労なさって尚供養をしようという気持ちはとても大事だと思います。 さて、霊の話ですが、科学の世界ではありませんので証明などはできないことをあらかじめ言っておきます。霊の世界は「信じる」か「信じない」かしかありません。質問者さんが信じれば信じたことが霊界で成就し、信じなければ何も起こらないということをご理解いただければと思います。 ご質問の「亡くなって霊になったら気持ちに変化が訪れるのか」ということですが、通常は生前のままの気持ちがそのまま残ります。数百年かければ改心するかもしれませんが、通常は生きていた時の心の状態がそのままの霊界にいきますので憎しみを持っていた人は亡くなってもずっと憎しみを持ちつづけます。 なぜかというと、実は人間は生きているうちに現実界(肉体)と霊界(心)の両方を持っていて人生という修練をして成長しなければならず、亡くなれば心だけが残るため生きていた頃の心情そのままの世界(霊界)にいくのです。これが人によっては天国だったり地獄だったり中有界(普通の人がいく霊界)だったりします(実際はもっと段が多いです)。 生きている間には自分の周りには頭のいい人、愛情のある人、徳の高い人、普通の人、怠け者、喧嘩ばかりしている人、妬み・憎しみ・嫉妬をしている人、など多種多様な人がいます。そういういろんな人がいる世界が現世であって、徳の低い人は徳の高い人を見習って改心できる機会が十分にあります。逆に困っている人を助けて徳を積むこともできます。 しかし、そういう機会が十分あったにもかかわらず改心もせず愛情も持たずに亡くなってしまったら、死後は同じレベルの人は同じ世界にいきます。愛情のある人は愛情豊かな人が集まる世界にいきますが、喧嘩ばかりしていた人は喧嘩する人同士の世界にいき、何百年もずっと喧嘩しつづけるのです。 ですから亡くなってから改心するというのは非常に難しいことなのです。そういう改心は生前に行なわなければならなかったのです。亡くなれば本人が喧嘩するときの憎悪の気持ちがそのまま永遠に続くので本人の力ではどうにも改心しづらいのです。 しかし数百年も霊界にいればまた生まれ変わってきて改心するチャンスがきます。地獄にいる人が生まれるというのはとても嬉しいことですが、天国にいる人が生まれてくるというのは非常に苦痛なことなのです。でも霊は人間となって成長しなければならないシステムの中にいるので(なぜかは知りませんが)普通の人は霊としては半端なデキなのでほぼ確実に生まれ変わってくるようです。 そして先祖伝来の徳と劫を子孫が受け継ぎます。質問者さん自身が「劫だらけのためにそういう家庭に生まれた」と思いきや実はそうは言えません。そういう人もいますが、世の中で活躍する人というのは家庭環境が酷いとか、病気だとか、何かしらの逆境の中から光明を見出して挽回して人生が大転換するのです。よほどの使命を持って生まれた人というのは大抵の人が悲惨な人生から始まります。そういう人は天国から生まれてきます。現世とはそういう修練の場なのです。 少し話がズレました。お父さんの件ですが、数百年先に生まれ変わってくるのを待つのも困りますし子孫の方には気になってしかたないでしょう。やはりそういう意味で供養は大事です。大事ではありますが、適当な供養は逆効果です。たとえば知識もないのに般若心経など読み上げたら大変です。余計な霊までやってきてしまい、唱える人に豹霊してしまいます。通常は防御系の呪と印を使い、守りをしながら愛情を出し、呪を駆使するという複数の工程を同時進行で行なわなければなりません。ですので、そういう供養をしっかりとやっているところでお願いするといいでしょう。へんな宗教に騙されないように気をつけてください。 ちなみに私が述べたことは主に神道での考え方です。スピリチュアルカウンセラーの江原さんとほとんど同じです(彼は元神主でした)。
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死ぬというのは、ただ肉体がなくなるだけです。従って、生前のキャラクターはそのまま残ります。 しかし、あちらの世界でも教育係がきちんといるそうですし、こちらの世界の念も通じます。 ですから、何も気にする必要はありません。もしお父様に落ち度があるとしたら、そういう人格の層にとどまることになるので、上昇できません。霊は、より内観して、自分のことを反省して、より高い境涯に行くのが目的です。ですから、こちらから、お父さんに「説教」すれば良いのです。それが供養です。 ただ、感情をぶつけるのは、お勧めしません。「死ねば仏」ではありませんが、お父様もきっと反省しているはずです。折角の人生を輝かせる方向に使わなかったという後悔の念に苛まれていると思います。ですから、あんまり傷つける念ではなく、冷静に諭すような言葉で、「私はこちらの世界で、人生を輝かせて、人格も向上し、世のため人のために尽くして、高い境涯を目指すから、まあ、お父さんも、生前はあんまり褒められるような行動はしなかったけど、そちらの世界で十分反省して、お互い高い境涯を目指しましょう」などと念じれば良いと思います。それが「供養」です。
お礼
hahiro様、ありがとうございます。 あちらの世界に教育係がいらっしゃるのですね。その教育係の言うことを聞いて、父親の魂が高いところへ行けると良いのですが。 今生では暴力で周囲の人を押さえつけていた父親も、あちらでは我儘がきかないでしょうから何かと大変でしょうが、より高い境涯へ行けるよう頑張って欲しいです。 hahiro様の仰るとおり、私はこちらの世界で非力ながら世のため人のために尽くしたいと思います。
- hifumiyo
- ベストアンサー率13% (7/52)
あなたの苦しみはお父様の苦しみそのものの気がします。ひょっとしたらあなたの苦しみではなくお父様の苦しみだったのかもしれません。何不自由なく育ったと人から見えても、本人は自分の力で伸び伸び生きてこれなかったと不幸に思ってる場合もあり、幸せの感じ方は本人しかわからないこともあります。そのお父様の苦しみを我が事として一番理解できるのがたぶんあなたです。あなた以外はいないかもしれません。お父様への理解はお父様のためでもありますが、実は何より自分自身を癒す道な気がします。 人は亡くなると枠組みが消えるので素直になります。お父様は泣いてあなたに許しを請い、心配している気がします。たぶん生きている時から。亡くなる前は素直になるので。親の愛って本当に強い物です。それが素直に伝わらない時、伝えられない時、本人も自己嫌悪で苦しんでるものです。人は受け止めてもらうこと、受け止める事が必要なんです。相手が亡くなっていてもそれはできると思います。
お礼
hifumiyo様、ありがとうございます。 幸せと感じる度合いは人それぞれですよね。父親は所謂お坊ちゃまで、忍耐力に欠けるところがあったようでした。親戚が説教しても言う事を聞かず勝手放題。最期は独りで亡くなったのですが、もし家族と仲良く助け合っていれば、そんなことはなかったのかもしれません。 今は素直な気持ちになってくれていると嬉しいです。 もう随分と恨みの気持ちは薄らいできました。1日も早く受け止められるようになりたいと思います。
- yokorock
- ベストアンサー率25% (27/108)
江原さんならこう言うと思います。 その様な家庭環境を選んで生まれてきたのは貴方の意思です。 人は自分自身を浄化向上し切磋琢磨して生きる為に、この世に何度も輪廻転生します。 貴方は人より辛く険しい人生を自ら選んだ「志が高い人」です。 何故に今回の人生を選んだかは、前世における償い(因果応報)だったり、より自らを磨く為かもしれません。 いずれにしても、父親からの"学び"は得たと思います。 それは「自分が痛みを知れば、人の痛みを知る」という事です。 反面教師して受け取れば、人に優しくなると思いますよ。 お父さんが亡くなってから日も短いと思いますので、嫌な思い出も沢山あると思います。 しかし"怨み辛み"にしてはいけません。トラウマという思想の仕方もポジティブに変換して下さい。 無理に感謝する事を考えなくても良いと思います。血が繋がった父親という"絆"があった事は心に受け止めておきましょう。 残りの人生は、今までの辛さをバネにポジティブに生きていきましょう。 父親の事に拘って"怨み辛み"を思うより、これからの人生の「逆境」は普通の人よりスムーズにクリア出来ると思います。 貴方は人が「辛い・苦しい」と思うことは「その程度で?なんで?」と思えるはずですよ。
お礼
yokorock様、ありがとうございます。 自分の意思で親の元へ生まれてくる、というお話は私も聞いた事があります。大人になった今は理解できますが、やはり幼い頃は辛かったですね。怖くて、悲しくて。 でも、仰られるとおり学びは得たと思います。 私は絶対に人を苛めたりしないですし、多少のことは乗り越えてこられたと思います。 ただどうしても男性に対して恐怖感みたいなものがあり、距離を置いてしまうのでずっと恋人はいません。 これも何とかクリアしなければいけませんね。世の中、素晴らしい人もたくさんいらっしゃるのですから。 アドバイス、ありがとうございました。
- hatdayoon
- ベストアンサー率35% (5/14)
※霊魂学をもとにお答えしますm(__)m 人の魂は、巨大で、その全体像はなかなか把握できないもののようです。人は、誰ももともと霊的生命体として輝くものを持っています。やくざでも暴力団でも同様です。その人の表面を見ただけでは、全体像はなかなか見えません。酒乱で家庭内暴力の耐えないお父様であっても、その魂には高級な部分があったりするものです。人は置かれた状況で、慈悲深くもなり、暴力的にもなるのです。 人は、他界すると、幽体の存在になり、幽体の状況に合った世界に行くことになります。幽体の状態がよろしくないと、下の世界に落ちてしまいます。ご家庭の中がかなり荒れていたようですので、お父様もお母様も、幽体の状態はよくないかもしれません。上の世界も下の世界も階層がいろいろあり、下のほうでは、暴力団のたまり場のような世界もあるようです。そんな世界に入るととても悲惨なようです。 過酷な家庭環境にいらしたのであれば、お父様をなかなか供養できないのも当然でしょう。それに、地上の人間がいくら供養したとしても、まるで意味がないようで、それで下の世界に落ちた人が救われるものでもないそうです。 他界する直前なら、まだいろいろ方策があるようですが、他界して下の世界に落ちてしまうと、探し出すのが相当難しいので、救うのは、ほとんど無理のようです。 トラウマや悪夢に悩まされるのは、さぞお辛いことと思います。その経験が今後のあなたの人生の糧になることを願うばかりです。霊を信じる方で、このように真摯な気持ちをお持ちであれば、ワタクシの師の霊的アドバイスを受けてみることをお勧めしておきます。
お礼
hatdayoon様、ありがとうございます。ホームページ拝見させて戴きました。 魂は永遠のものであると言うことがわかって、励まされた気持ちになりました。父親への恨みは1日で消す事は出来ませんが、自分がより良く生きていくことが大切だと感じました。 「死後の世界なんてない。死んだそれでおしまいだ」という人もいらっしゃいますが、そう思ったら(皆がそうではありませんが)好き勝手生きたほうが楽しい、なんて考えないとも限りませんよね。 経験を糧に頑張ってみようと思います。 もし先生のアドバイスを受ける機会がありましたら、その際は宜しくお願い致します。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
人の考え方が、周囲の人の影響を受けるように、周囲の霊によって人格は影響されています。 死後の人格の変化には二通りの解釈があって、一つは解き放たれて本来の姿に戻ると言う解釈。もう一つはとり憑かれたままになると言う解釈。 後者も、放置すれば取り憑く側に回ってしまいます。 出来れば残された人が、本来の姿に戻るように祈って差し上げることが、最良の方法でしょう。その事は、逆に残された人にとっても「隠徳を積む」という事になりますし、自分の中の邪気を祓う最善の方法となります。 難しいことではありますが、最初は抵抗があっても、少しずつで良いのでやって下さい。
お礼
michael-m様、ありがとうございます。 本来の姿に戻ることができるなら、どんなに救われることでしょう。 父親は祖父母に愛情たっぷりに育てられ、とても楽しい青春時代を送った人だったようです。 そのせいで我慢というものが足りなくなって、結果的に暴力や言葉で独裁する人間になってしまったのかもしれません。 愛され、のびやかに生きているときの心には純粋さもあったかもしれません。そんなときの父親に戻れるよう。一生懸命祈っていきます。 父親の行動を思い出すと確かに抵抗があると思います。「あんな酷いことされたのに、なぜあの人の魂の平安を祈らなければならないのだろう」と。でも無理をせず少しずつやっていこうと思います。
- jameskun
- ベストアンサー率17% (123/685)
大丈夫ですよ。時が全てを解決してくれます。たとえそれが何十年後であろうとも、何故ならば人間の感受性は全てを容認できる無限の器を持ってるからです。(だから『人間』なんです) 今それをどうこう言っても受け入れることは困難でしょうが、トラウマであればなるべく考えないようにして、楽しいことだけを考えましょう。好きな歌を唄うのも良いのではないですか? 霊など存在しませんが、亡くなられた方は皆仏になるという優しさの気持ちを持ち続けることが大切に思います。
お礼
ameskun様、ありがとうございます。 人間の感受性は無限の器を持っている。 すごいですよね。確かに目に見えませんが、人の感受性は深くて不思議で、そして力強ささえありますよね。 親が我が子を虐待するニュースを耳にするたびに心が痛んできました。 そのたびにフラッシュバックみたいに実家にいた頃の出来事が思い出されて悲しくなっていました。 そんなときは別の事を考えるように・・・歌でもうたってみます。 亡くなった人は皆、仏様になる。何度も心の中で繰り返すと気持ちがとても澄んでくるみたいです。ありがとうございました。
- goold-man
- ベストアンサー率37% (8364/22179)
仏様になったご両親(仏教でいえば)のことを悩むより、現世であなたが精一杯生きていくことが大事では?(冷淡なようですが、死んだ方のことをくよくよ思っても何の得もありません、霊などない、と思って忘れて、楽しく生活することです)供養はしてあげて。
お礼
goold-man様、有難うございます。 現世で楽しく、というお言葉にはっとさせられました。 私には感謝が足りません。反省です。 私が楽しいこと=周囲の人も楽しい、という生き方を目指していきます。供養はしていくようにします。
お礼
suffre様、有難うございます。 私は魂の永遠、霊の存在を信じていますので、とても励まされた気持ちです。「どうして他の家は家族が仲良しなのに、家は違うんだろう?」 「私はきっと業が深いに違いない」と悲しみながら多感な頃を過ごしてきました。でも、“よほどの使命を持って生まれた人というのは大抵の人が悲惨な人生から始まります。”という言葉に救われた気がしました。父親の最期は寂しいものでした。独り、家の廊下で倒れていたところを大家さんに発見されたとの事でした。母親が亡くなり、その後はずっと独りで誰も彼を訪ねる人はいなかったようです。独りで日々を過ごしている間に温かい心を取り戻してくれていると良いのですが。 アドバイス通り、供養はお寺で僧侶に行なって戴く事にしました。 位牌での供養もできるということでした。 嫉妬や妬み、憎しみの心を全く持たないと言う事は難しいですが、少しでも人の役に立てる人間になれるよう、頑張っていきます。 有難うございました。