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いじめに関する質問、増えてますね。
これも一時の流行にすぎないんでしょうか・・・。私個人としてはいじめはいけないことですが、子供のいじめを厳しく取り締まる事は子供の精神的成長に悪影響を与える気がします。失敗して成長するのが子供だと思うからです。もちろん、子供でも更正の余地なしといえそうな人はいると思いますが。 そこで、(前の文と矛盾するようですが)いじめを国策として無くすためにはどのような政策が考えられますか?「どこまでは許容されるいじめで、どこからがしてはいけない過ちか」という点にも留意して考えてみてください。
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いじめは閉鎖的な環境ならどこにでもあるようですが 学校の環境で考えたいと思います。 学校によっては心理カウンセラーを常駐している所があると聞き及びます。 そんな感じで、児童心理学やモラスハラスメントに詳しい人などを 外部から迎えて専門チームを作り、学校に常駐させるのは如何でしょう。 子供や子供の親、先生の相談窓口として「生の声」を収集すると共に その声を元に分析したり、普段から観察を行ったりと言う目的です。 学校や生徒に対してのオンブズマンと言った感じでしょうか。 学校側とPTAを交えて定期的な連絡会を開き、どちらにも状況を把握 してもらい、早い段階で変化に気付いて対処する方向を話し合います。 現段階は難しいと思いますので、政府側がガイドラインを 作った上で国家資格の専門職(または公務員)とし、団体の配置は 学校負担ではなく行政側がすると言う感じなら良いかも知れません。 また、この団体を企業にも配置可能にすれば会社でのいじめ問題にも 対処できるのではないでしょうか。 もうひとつ。 小学校低学年から高校まで授業に簡単な心理学を入れるのは如何でしょう。 心理学と言うより、人は大体こんな感情を持っていて何をどうすると 嬉しいとか悲しいとか痛いと言ったような内容です。 現代の子供の多くは他人の心の動きに鈍感な印象がありますし 生育環境によっては自分の心の動きすら把握できない子供もいます。 そのため、自分の心の動きに向き合い他人の心の動きを察する事を 学校で勉強させるのです。 経験や実感が伴わなくても知識として知っていれば、少しは 「こうすると相手が迷惑なんだ」と言う事に気付くでしょう。 こういった事は教えてあげないと解らない事ですから 親の教育として片付けるのではなく、教育の一環として教えてあげると良いと思います。
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- WhiteLion
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比較的に簡単で効果的と思われる方法があります。 他の方の御指摘にもあるように、閉鎖的なシステムとしての「学校」という仕組みが問題の原因です。フリースクールなど教育チャネルを増やす方法もありますが、なかなか全国的に整備するのは時間がかかるでしょう。 そこで、クラスを生徒15~20人単位とし、更に3ヶ月毎(年4回)クラス換えを行うのです。クラス担任を増やさなければならないという問題はありますが、費用対効果の充分見込める策です。 要は、生徒間の関係性が固定化してしまうのが問題なのですから、少しでも風通しの好い場所にすることが肝要です。 ※地方などで、1学年1~数クラスの場合は、数学年をまとめて実施すると好いと思われます。
お礼
回答ありがとうございます。 失礼ですが、それでは学校教育においてかなり重要なウェイトを占める人間関係の形成能力に影響が出るような気がします。これではいじめを避けるための学校教育となってしまうようで、あまり賛成できません。
いじめなんて厳しく取り締まるだけではなくならないですよ。例えば中学生がいじめられたとします。いじめられた中学生が親に訴え、その親が担任の教師に報告し、その教師がいじめた生徒に注意しても いじめた生徒は「センコーにちくったろ。」と言っていじめはエスカレートするばかりです。でも、いじめられた高校の生徒の兄が 仲間を連れて徹底的にいじめた生徒に仕返しをして圧倒的な力の差を見せ付ければ いじめはやめるでしょう。というか、他の生徒にいじめの矛先が向けられるでしょう。こういう問題は奇麗事だけでは解決しません。いじめなんて こんなものですよ。 医学に喩えれば 手術が必要な患者を薬だけで治そうとするようなものです。副作用だけで病気が治らないんですよ。 極論を書きましたが、現実的な視点でお話します。いじめというのは起きやすい環境というのがあるんですよ。例えば昔の擁護施設がありますね。新入りは必ずといっていいほど いじめの儀式に合います。刑務所なんかはもっと極端です。これは 閉塞された環境で みんなの心が荒んでいるからなんですよ。 また、学校でいじめを助長させる要因として、個人のランク付け評価、過熱する部活動、厳しい受験競争など 子供の精神的なゆとりを奪っているんですよ。 アメリカでは教師とは別に学校にカウンセラー、フランスでは学校監督人が学校に常駐しています。それによって、学校の隠蔽体質も大きく改善されるでしょう。 それから、これは私が考えた対策として、いじめられっこを退避させる場所(フリースクールなど)の充実や、いじめっ子などの問題のある生徒を一時隔離する施設(普通の学校と教護院の中間のような施設)を設けるのもいいでしょうね。 あとは、jinny6202さんの仰るように取り締まりの強化も必要でしょう。ただここで大事なのは、単に罰則だけでなく いじめた生徒への償いという視点から責任の重大さを教えることです。
お礼
回答ありがとうございます。 >いじめっ子などの問題のある生徒を一時隔離する施設(普通の学校と教護院の中間のような施設)を設ける 神戸市のいじめ事件の後処理として実際に似たようなことが行われているという報道を見ました。 http://news.goo.ne.jp/topstories/nation/20061022/3d9da86a915181d602db628d8ae67fbd.html?fr=RSS 最初見たときは「こんなことしていいのか」とも思いましたが、こういった事をしていけば確実にいじめが減る気がしますね。この隔離自体の紅花だけでなく、「社会はいじめる人間に不寛容である」という立場を明確に示した一例だと思います。
- gohara_gohara
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他の質問にも書いたのですが、いじめを無くす事はまず、不可能であると思います。人間、集団になれば必ずその中で、利害の対立、性格の不一致など、いざこざは起きます。大人であっても、そういういざこざから発展する事件は沢山あります。子供で起きるのは仕方が無いことだと思います。 重要なのは、いじめを無くすこと、ではなくて、いじめを深刻化させないこと、ではないかと思います。 そこで私が思うのは、いじめの調査であるとか、調停を行うための第三者機関を設けることです。 今回の北海道、福岡、2つの事例に限りませんが、学校による調査、調停が行われ、その結果としていじめの隠蔽が行われています。学校に対して、「なぜ隠す?」「隠すな!」という批判がありますが、私は学校に調査、調停役をさせれば隠蔽するのは当然だと思います。 なぜならば、学校は、「いじめ」問題について「隠した方が得」という利害関係者であるからです。学校で「いじめがあった」と報告する事は学校のイメージを傷つけます。教師の出世などの妨げになります。最近は、公立学校であっても選択性などが出ていますから、こういうマイナスイメージになりそうなものは嫌います。そうなれば、隠蔽に動く学校が出てもおかしくありません。 ですから、学校とは全く管轄の違う、第三者機関を作るべきだと思うわけです。 モラルなどというのは、時代によって簡単に変化します。「昔は良かった。昔の状態に戻せ」などといっても、実状にあっていない場合もしばしばです(そもそも、昔がそんなに素晴らしかった、という保障はありません。人間の記憶と言う物は、過去を美化しがちです)。 そうではなくて、システムの問題点を調べ、システムそのものを変えることで悪化を防ぐことが大事だと思います。 少なくとも、利害関係者である学校がいじめについて調べ、調停し、そして報告する…などというシステムは、大きな穴があると考えます。
お礼
その通りですね、第三者機関、私も良いと思います。回答ありがとうございます。
極論だと、思います。 教師をいじめか、いじめられた体験者に限って採用します。 いじめをやっていた人間には、いじめっ子独特の論理、エスカレートの度合いがわかります。 早期発見につながるでしょう。 いじめられていた人間は、人の痛みがわかります。 見て見ぬふりなどしないで、親身になることでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。なるほど、いじめについて造詣が深い人を優先的に採用するのですね。
いじめを無くす取り組みの前に、親、先生、世論で考えなくては、いけないと思います。私は、昭和40年代の生まれです。昔からいじめは、あったはずです!指摘をするならまず、先生に対して保護者は、子供の話だけで、すぐに体罰されたと学校に苦情を言い、その為教師は、当たり障りのないよう、いじめを見ても見ぬふり、下手に叱れば体罰(教師は、なにもできない)保護者は、いじめられた時の対処など教えられない(昔の親は、子供に強く生きろとか、いじめられたらやり返すぐらいの気力をもて)などを教えてくれた。父親に威厳があった。今の世の中は、少し平和ボケしていて、目上なども友達感覚他人は、他人、格差社会の歪みでいじめを減らせないと思う。
お礼
ありがとうございます。国策として考える事事態が違うという事でしょうか。
お礼
心理学を導入するという意見賛成です。小学校の道徳の授業などはまじめに取り組めば非常に有意義な授業だと私は考えるのですが、あれは回答が用意されている誘導型の授業だったので(すくなくとも私の学校では)無意味でした。それに比べ先人の考えた思考をたどるのは、同じく自分で考えることとはつながりませんがより深い考え方を学ぶという点で道徳的考え方に興味をもたせられるかもしれませんね。 学校や教育委員会の隠蔽体質を見ているとオンブズマン的な制度も必要な気がします。