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フランス人のルイ16世・王妃、元王室への思いは?

よろしくお願いします。 1,フランス革命で断頭台の露と消えた、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットですが、現在のフランス人はどういうイメージで見ているのでしょうか? かなり王室と王妃への誤解があったようですし、もう200年もたちますので、時代の犠牲者というような同情的な見方になってるのでしょうか? 2,過去の王朝時代に対する一般のフランス人のイメージは、自由と平等を阻害したという悪いイメージしかないのでしょうか? 3,オルレアン公の系統の子孫は現在もおられるようですが、元王室への思いというのはどういう感じでしょうか? 過去の遺物として見ているのか、一定の敬意を持ってみているのでしょうか?  一つでも結構です。ご存じのことがありましたらよろしくおねがいします。

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noname#107878
noname#107878
回答No.2

 多くは語れませんが、ルイ16世という方、そして王妃マリー、当のフランスでも最近ではかなり見直される空気をどことなく感じました。  ルイ16世と言えば、政治にはまるで興味を示さず、議会でも居眠りをするのが常。夜毎のパーティーも好きではなく、ダンスすらも上手とは言えなかった。  彼は狩猟が大好きだったが、そのほかの趣味としては石工と錠前作り、ほとんどは自室に篭って、若い職人とともに他人には開けにくいカギの仕組みの考案に没頭していた。そしてそれによって黒く汚れた彼の爪を王妃マリーはいつも非難していた・・・・・、とまあ、これが後世に残された彼のイメージです。  しかし、少し調べてみただけでも、実際の16世の姿はこうした伝説と少し違うことに気付きます。  16世は大変温厚な性質で、また大変な読書家でもあり、それあってか、歴代の王の中でも並外れた博識家であったといいます。こうした知識を生かして、16世はまた政治や行政にも良いアドバイスを呈していたし、ことに建築や土木などについては広く優れたアイデアを披瀝していたともいいます。そのために16世を尊敬し慕う側近も少なくなかったとも。  ではなぜこんなに食い違いが生じたのでしょう。そこには王妃マリーの女官長だったマダム・カンパンの回想録に書かれたことが、そのまま、まことしやかに広まった・・・、それが実体ではないでしょうか。なにしろこの回想録を読んでみますと、まさに上に書いた通りのことが書かれていますから。ちなみに「カンパンの回想録」はたしか岩波文庫だったと思いますが、日本でも文庫本として出版されています。  このカンパンという女性、一方では当時からおしゃべりカンパンと呼ばれ、あまり芳しくない噂もちらほらといった感じで、今日の一部の人は彼女の記述にこそ16世のイメージを損ねた元凶として疑いの目を向けているほどです。となると、こうした16世についての記述も「家政婦は見た」式の曝露ネタ?。  また、王妃マリーといえば、貧しさも極限といった民衆のことを知ってか知らずか、「パンがないならお菓子を食べれば・・・」といった有名な言葉が残っていますが、これも、たしかに彼女のある一面を語りながらも、やはり事実とはかなり隔たりがあるイメージを作り上げられてしまった悲劇のヒロインだと考えたくなります。  マリーはある面では熱心な慈善家であったといいます。しかも、ある時には疫病に罹った多くの患者を収容した建物にも臆することなく入っていったと言われています。ただそれだけのことではありますが、そうしたことが出来る女性が、他の面でただ、何も知らないお姫様育ちであり続けたとは考えられないではありませんか。  ともあれ、いかに16世が博識であろうと、マリーが慈善家であったろうが、時代は次第にあのフランス革命に向けての胎動を止め得ませんでした。  実際に庶民の生活を圧迫し、その結果、民衆の蜂起を誘ったのは、あのルイ16世その人ではなく、事実上の実権を握った配下の者たちの施政によるもの、これが事実だったと思います。  あのフランス革命が起こった7月14日の前夜、ルイ16世の日記には「なにごともなし」と書かれているそうです。また革命当日の日記には・・・・当然なにも。  マリーが16世の元に嫁いだ日、パリ市は彼女に歓迎の意味で「市民の鍵」を贈ったと言われていますが、後に彼らがあの豪華なベルサイユ宮から市中の古いチュイルリ宮(ルーヴルの西隣、現在のチュイルリ公園の位置にあった)に移された時、パリ市は彼ら夫妻にまた「歓迎の鍵」を贈っています。さてこれはいったい何を意味しているのでしょうか。そこにはカギ作りが趣味だったという16世への皮肉が込められていたとも受け止められますが、本当のことはわたくしにもまだ分りません。  とにかく時代は変わりました。いくら保守的でガンコなフランス人とはいっても考え方も時とともに変わります。もちろん多くの人の意見を聞いて回ったわけでもありませんが、ここに書いたようなことを何人かの人から聞かされた、そのことからも、彼ら16世と王妃マリーについての見方も、今ではかなり変わって来ているのではないかと思っています。  注:カギに関する記述の部分は赤松征夫氏著「錠と鍵の世界」・彰国社を参考文献として引用しました。 

noname#20467
質問者

お礼

とっても詳しい回答ありがとうございます。 歴史の勉強にも成ります。 >おしゃべりカンパン イヤなおばさんですねぇ^^。どこの世界にもいますけどね。 マリーが慈善家というのは、かなり新鮮な情報ですね。フランス人も、ゆとりや昔への懐かしさをもって歴史を見られるようになってきているのかなと思いました。 >パリ市は彼ら夫妻にまた「歓迎の鍵」を贈っています。さてこれはいったい何を意味しているのでしょうか。 国王夫妻は意外にも革命がかなり進むまでは、さほど嫌われていなかったということかもしれませんね。皮肉というよりは、そういう感じがしました。

その他の回答 (1)

回答No.1

わかる範囲で1についてお答えします。 王妃マリーアントワネットはおそらく世界のどこよりも日本において知名度・人気度が高い人物の1人だと思います。 なぜなら彼女と利害関係のなかった日本としては、客観的、ロマンチックのみに浸って彼女を見ることができ、そして断頭台で最後を迎えた彼女を思うたび心を揺さぶられるから。 しかし、祖国オーストリアでは偉大な母マリア・テレジアの圧倒的な人気、知名度に押され、不肖な娘として影が薄い。 フランスでも、現在の共和制自体が彼女の墓の上に築かれているのであまり脚光を浴びることができず、その人気もルイ16世に及ばず・・・といったところでしょう。

noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 あまり印象に残っていないという感じなのですね。日本ではだらしない一面は確かにあったけれども、それでもいわゆる悪人とは違って、不器用な悲劇の王妃というイメージですけどね。