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アーティストに必要なものとは? また、音楽性とは?
性別、年齢に限らず、個人によっても、音楽の捉え方は違うと思いますが、 (1)皆様が思う、芸術家・アーティストに最も大切なものとは何でしょうか。 この質問に対し、「唯一の正解」はないと思いますので、個人的な意見で構いません。 (2)よく解説などで言われる「音楽性」とはなんでしょうか。 よく使われる言葉ですが、具体的にはなんだかはっきりしないのです。 ある程度分野を絞らないと、まとまらない可能性があるので、 音楽でも歌・歌詞が無いものでお願いします。
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私のものの言い方が悪かった点があったようですね。私はアメリカに住んでいます、海外生活が長く自分では意識していないのに「日本人は・・」というような外部で見るような言い方になってしまったと思います。そこに悪意はないのですがお気に障ったとしたら許してください。こちらに住んでいると物の言い方がよりダイレクトになります、そのような文化でありそのように社会が要求してる所に暮らしています。それと文章という限界では誤解も十分生じますね。例えば日本人はそんなにダメなんですか・・といわれるような私の言い方だったわけですね、そういう極端なことではもちろんありません。このことによらず全てには例外があり一般論で決め付けられないということを前提に書いているつもりでした。でもどうも私の物言いは誤解をいつも生じるようなのでこのあたりで引っ込もうと思います。 それで最後にあなたが質問されていることだけに私の意見をいわせて下さい。一つは学校〔但し日本の音楽学校のことは人に聞いてるだけです)などで表現方法のノウハウは教わらないという意見に驚いていられますがではどうやって表現方法を教えるのでしょう?反対にお聞きしたいのですが。 教えないというのは表現は個人の領域の問題であるということが基本にあるからだと思います。それは人の感情が悲しいといっても皆違うというようなことだと思います。あなたの悲しみはあなたにしか本質が分からないでしょうしゆえにそれを一番的確に表せるのもあなたしかいないでしょう。これは悲しい音だといって弾いて見せても人によってはそう思わないかも知れない。音楽性や表現というものにマニュアルはなく個人個人が見つけ創造することだと思います。良い教師はそれを考えさせることを教える人だと思います。 あなたが過去に繰り返された方法を無意識に又は知らずに取り入れたとしてもそのときからそれはあなたのものになるのです。このことは例えばアートで他人の撮った写真を使ってコラージュなどの作品を作ったらその写真の意味が別なものになるということと同じです。(それは著作権などとは異なる意味です。) それから音楽を評価するのにそれ以外のものによって評価されることがある、実は全く無関係なのにそれが音楽性として評価されうる・・というのは事実でしょう。ここでまたあなたに嫌がられそうですが、この現象は日本により多く見られると思います。そこでは音楽性なんて何の価値もない、音楽の質以外のものを聴衆が求めているということですね。それゆえ日本だけで大変有名な音楽家が存在します。(それは誰だと聞かれてもいるということが言いたいのでそれが誰であってもここでの話に意味はありませんので言及しません)この現実はまじめに音楽を一生の職業としていきたい人びととにとっては苦渋です。でもそういう聴衆に迎合することに意味を見出さずわが道を行く人もいると思います。悩むのもそれは選択です。あなたにとって何が大事かという価値観に通じる選択でしょう。 あなたが演奏されるのではないかということは最初の質問を読んだ時にそう感じました。あなたが演奏されるのはどうしてですか?演奏することはあなたにとって自分を表現することではないのですか?それとも他の意味があるのですか、あるいはないのでしょうか。演奏で何かを表現したいと思ったことはないですか?〔あると思いますが)。別に思想的なものでなくとも例えば様々な自分の感情を表したいというような?音楽性とはそういう意思が音楽的な技術を通して音によって表されたものだと思います。要領の得ない長文をいつも読んでくださって本当にありがとうございました。
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- Yorkminster
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すでに他の方がお答えのとおりだと思いますが... 音楽は人の思想、感情を表現するための手段です。絵画や写真もまた同じです。もちろん文字もです。それらは、目的や客体は同じであっても、手段としてはまったく異なるものです。 もちろん、それらが互いに相いれないものという訳ではなく、絵を見て受けた印象を音楽に創作することもできれば、小説に書かれた風景を自分の手でカメラに収めることもできるでしょう。 しかし、全てが全て、他の表現方法に取って代われるわけでもありません。えてして、批評の方法は文字に頼りがちですが、文字が他の手段に対して常に優位しているわけではないでしょう。 感動できる音楽に無粋な論評は必要ありません。感動できない音楽に御託を並べても言い訳にしかならないでしょう。私も楽器奏者の端くれとして、言葉抜きに感動してもらえるような演奏をしたいものです。 ところで、演奏家の「表現」とは、既存の表現からの取捨選択ではないか、とのことですが、それは違うと思います。 確かに、私がここにこうして書いている文字も、親や教師から受け継いだものです。しかし、その文字に含んでいる真の意味、すなわち私の感情は誰のものでもありません。文字は記号であって、その意味するところは個々人が解釈しなければなりません。その解釈には、個々人の経験が大きく関わることでしょう。私がこの文字に与えている意味は、親、教師、友人、その他の人々の言葉を見聞きし、私なりに解釈し、再定義したものです。それは、大半の部分において、それら私に影響を与えてくれた人々と重なりますが、彼ら/彼女らにない経験を私がしているのもまた事実であり、その部分は私独自の意味をもっているはずです。 音楽でも同じでしょう。そういう意味での「不完全なコピー」が繰り返されることによって、少しずつ新たな意味が蓄積され、表現の多様性に繋がっていくのだと思います。
お礼
丁寧なお返事ありがとうございました。
- tchitchai
- ベストアンサー率55% (5/9)
こんにちは、tchitchaiです。 補足質問の答えですが、これに関してキース ジャレットが自身の本で語っている中から良い引用ができると思います。 ”ある日即興演奏中に、自分は4声(4つのメロディ-ライン)を同時に即興していた。そして、この信じられない事態に気付き、あっ!今自分は””4声の動き”を表現しているんだ!と思った瞬間、その4声は消えてしまったのだそうです。 言い得たり!音楽家がナニかを表現しているとき、言葉にならないものを 音に表現しているのであって、それを自分で言葉にしてしまったとき、 それは消えてしまうものなのです。 ベルリンフィルの指揮者、サイモン ラトルもいい事言ってますよ。 ”音楽とは、目のはしっこで見ているといつも見えているのだが、目の前に置いてつかまえようとすると、逃げてしまうものである” だから、芸術家本人は、おおまかなコンセプトはもちろん説明できても、私は、ナにナにを表現している!とは言えないもんなんじゃないでしょう か。 ただ、他人には言えますよ。たとえば、ベートーベンはその音楽で自らの人生への確執を表現していた!とかね。でもそれは個人的に感じたことを 他人が言葉にしたまでですよね。
お礼
「tchitchai」さん ありがとうございます。 キースジャレットのお話は、なにかこう(自分でも消化しきれていないのですが)、自分が求めているものの糸口をいただけたような気がします。 また、たしかに、明確に言葉で表現できるものでもないのかもしれませんね。 「4声の動き」の話も、演奏家ってそういうことに目を付けて、感じているんだと思うと、自分が演奏したり、勉強したりするとき、もっと大切に注意して感じてみようという気になりました。 ありがとうございました。
- waruitomodachi
- ベストアンサー率37% (51/135)
表現といったってもともと既成のものからの選択に過ぎなくそこにオリジナリティがないのだからアイデンティティといったものは存在しないというご意見ですね、全くの話、 日本人の楽器演奏家〔クラシック〕について技術的には素晴らしいがそれだけだとよく言われます。誰が弾いても日本人だとバッハは皆同じバッハになってしまうというようなことです。演奏家の顔が見えてこない演奏。個というものが団の中にあると考えられている国民性や社会で教育を受けたらやはり演奏でさえも自己主張のないものになるのではと思います。(自己主張というのは個性を表すという意味で使ってます。) 個性や表現というのが、誰もが同じ影響下のもとに無意識にインプットされたものからの選択だとしても その影響の受け方や消化の仕方は同じではないし〔全く同じ環境下で同じ両親からの兄弟でも同じようには育たないことを考えても)、芸術行為にそれらを取り入れようとする選択の行為は自らの意思によるもので無意識下の影響などではないでしょう。選択するか否かの決定はそれだけですでに個人的なことです。学校へ行ったり先生につくのはクラシック音楽は他の音楽に比べ決まりごとが多く〔その決まりごとを偏重しているのが日本人ですが)また演奏が技術的に難しいためですが技術のこなし方を教わっても表現方法を教わることはないと思います。〔むしろそういう教育方法が日本の場合問題でもあります) 簡単に言って聞き手が感動したらそれはその演奏に音楽性があるのです。それがいかなる程度、種類の感動であっても。音楽性というのは聞くものに何かを感じさせる演奏家の(意識された意図的な)個性ではないでしょうか。もし音楽や演奏に対してはっきりとした見解(いかなるものであれ)を持っているなら必ずそれが演奏に反映されるでしょう。それは演奏家である前に一人の人間として自分・個というものをもっているかどうかに関わってくることだと思います。もしあなたが何かを感じるような演奏に出合ったことがないのならそれは単にこれまで優れた演奏にめぐりあわなかっただけで音楽性が存在しないあるいは信じないと言う結論に達しないようと願います。
補足
お返事ありがとうございます。 >>表現といったってもともと既成のものからの選択に過ぎなくそこにオリジナリティがないのだからアイデンティティといったものは存在しないというご意見ですね、全くの話、 アイデンティティがないということではないです。既存の表現方法の組み合わせに、オリジナリティやアイデンティティがあるのではと。 既存の枠組みから全くはみ出たものでは、聴衆は受け入れることができないでしょうから、多くの場合は、数ある既存の表現手法の組み合わせの問題だと思います。 >>日本人の楽器演奏家・・・ 「日本人の・・・」とうい言い方は、音楽に限らず、よく耳にする言葉だと思います。「waruitomodachi」さんという意味ではなく、日本は駄目、ヨーロッパ(アメリカ)は良い。というような表現が好きな人って結構いると思うのですが、 日本人は技術だけで、そんなに駄目なのですか? 日本人で世界で活躍している人は沢山いるのかと思っていましたが・・・。 >>・・・芸術行為にそれらを取り入れようとする選択の行為は自らの意思によるもので無意識下の影響などではないでしょう。選択するか否かの決定はそれだけですでに個人的なことです。 そうなんです。私もそう思うのです。選択というか、組み合わせに個性があるのだと思うのです。もちろん、既存のものと全く異なるものを生み出す人もいると思いますが。 >>・・・技術のこなし方を教わっても表現方法を教わることはないと思います。 本当ですか!! びっくりしました!! このように思われる根拠はなんでしょうか。 >>簡単に言って聞き手が感動したらそれはその演奏に音楽性があるのです。 たとえば、ある演奏家の生い立ちが不幸だったとTVで紹介されると、爆発的に売れる演奏家がいたとして。多くの聴衆は、マスコミから仕入れた情報の先入観をもって感動するということはないでしょうか。また、演奏者が超美人だったら感動し、同じ演奏をデブのハゲの気もい中年が演奏しているといったら、感動しないということはあると思うのです。同じ演奏を聴かせても、その演奏をカッコイイ男性の演奏者だよと言うときと、性犯罪者の男性というのでは、聞く人の感じ方は違うと思うのです。そう思うと、私は音楽性ってなんだんだろうと【悩んで】しまうのです。 >>もしあなたが何かを感じるような演奏に出合ったことがないのならそれは単にこれまで優れた演奏にめぐりあわなかっただけで音楽性が存在しないあるいは信じないと言う結論に達しないようと願います。 いえいえそんなことはないのです。感動することもあります。 また、私自身音楽を演奏します。 音楽性も存在すると思っています。 ただ、私は、それを具体的な言葉で示したいのです。 音楽が演奏行為から生まれるのであれば、どのような行為(演奏なのか)をなのか、どのような動作なのか、それを明確な言葉で表現したいと思っているのです。
- waruitomodachi
- ベストアンサー率37% (51/135)
昨日のkojyuutoです。(ちょっと登録に問題がありネームを変えました。) どう表現するかはそれこそが芸術家としてプロ達が一生をかけて闘う問題ですね。人間が一人ひとり異なる様に表現は皆違いますし違うところに価値があるわけです。演奏家が意図したもの(表現したいこと)が観客に伝わるかどうかもまた別の話です。批評家が経験と知識から『彼はこういう思想をこう表現した』というように言ってもあくまでもその批評家個人の意見で一般論として結論ずけることは出来ません。一足す一が誰にでも二であるというようなことと同じではないからです。でもその意見に賛同することはあるでしょうし同じ意見の人が多ければ何らかの参考にはなるでしょう。どうすれば表現(音楽性)を伝えられるかというのはハウーツーものの回答はないと思います。ただ演奏家がそういう意志を持ってそのための技術(これは単に難しい部分を弾きこなすという楽器技術のそれだけではなく、表現を聞くものに伝えるそのための技術です。気持ちや意志だけでは伝わりません)があれば何かしらが伝わるということは確実です。演奏のにはその演奏者が生きてきた過程で培われたものが当然でて来るでしょう。たとえば同じものを見ても10感じる人と100のことを感じる人もいる、ではどうして違いがあるかといえばそれはその人の個人的な経験や背景(環境や後天的に与えられたもの、あるいは本人が努力によって得られたものなど)によって違ってくると思います。長くなってしまいましたがどう表現するかは人に聞くことではなくて自分の中で問われることではないでしょうか。
お礼
誠実な回答感謝します。 よく言われる、演奏家の個性とか、自分なりの表現、こういったことは、具体的に何だろうと思うのです。 私達が、美しいと思う、感動する音楽は、実は、既存の音楽が成り立っている法則にのっとった物か、その改良系であると思うのです。まったく新しいものであれば、本人が音楽といっても、聴く人は雑音にしか聞こえないということもあると思います。 私達が感性といのは、生まれ育った、小さい頃から触れてきた文化に大きく左右されるとはずです。つまり、自分の感性、個性といっても、その表現手法は以外に、既存のものの組み合わせであるように感じるのです。 今活躍している、クラシックの演奏家で、作曲家で、誰にもならったことがなく、音楽の学校に通ったことが無い人は、あまりいない。(想像ですが)学校では技術だけでなく、さまざまな表現手法も学んでいるのだと思うのです。 どう表現するかとか、個性と呼んでいるものは、(すべてとはいいませんが)数ある表現手法の中で、どれを選択するかとうい部分が大きいのではないかと思うのです。いかがでしょうか。
- Yorkminster
- ベストアンサー率65% (1926/2935)
クラシックのカテゴリであることと「音楽性」の語から音楽に限定した話ですが... (1) 芸術家(音楽家)に限らず、音楽を通して何を表現したいのか、聴く人に何を伝えたいのか、そういった意志、もっといえば信念を持つことでしょう。 教科書通りの知識や豊富な情報量、高度な技術を有していても、伝えようとする気持ちがなければ意味がありません。意志のない音の羅列ではなく、気持ちが伝わるからこそ音楽を聴いて感動できるのです。 知識は調べれば手に入ります。技術は訓練すれば一定程度(超絶技巧と呼ばれるような技術を競うものでない限りは満足いく程度)は身に付きます。そういう、誰にでも手に入るものに期待しているのではなく、「その人の演奏、その人の音楽」に期待してコンサートに行き、CDを買い、またそういう聴衆に聴いてもらうために、誰かの猿真似ではなく「自分の演奏、自分の音」を追及していくのです。 (2) 音や音楽に対する信念を、音や音楽として人々に聴かせること、ととらえています。その演奏で何を伝えたいのか、その音は何を伝えようとしているのか、それが100%聴衆に伝わりきらなくても、「この奏者は何かを伝えようとしているんだ」と分かる演奏。それが音楽性のある演奏でしょう。 たとえば、「フォルテ=大きな音で」「ピアノ=小さな音で」というのはプレーヤーの常識ですが、雄大なフォルテもあれば激しい怒りのフォルテもあり、優しいピアノもあれば厳格なピアノもあるのであって、どういう音でそれを表現しようとするのか、そこが問題なのです。 その音を表現しようとしているかが音楽性、ということばが(日本語の)辞書になくて問題だというなら、音楽的センスといえるでしょう。ちなみに、英語では「musicianship」といい、「artistry in performing music」であると説明されています(参考URL)。
お礼
ありがとうございました。 後半の「たとえば・・・」からの部分。具体的な例で分かりやすかったです。 「音楽家の個性」「自分の演奏」・・・、ということは、よく言われることだと思います。しかし、よく使われることがである一方、では、それが具体的に何であるのかはあまり聞いたことがないように思い、何か自分の中で答えをつかめるきっかけが欲しくて、質問を書いてみました。ありがとうございました。
(1)知識、情報、技術、集中力、判断力、決断力,意志。なんであれそうだと最近考えてます。 (2)辞書で調べてなければ、存在しない言葉あるいは意味の無い言葉。もしくは実際に使ってる人に直接聴いてみるべし。
1)芸術行為に関して自分のヴィジョンやステートメント(考え、思想、言いたいこと、表したいこと)を持っていること、そして継続性と一貫性です。 2)その言いたいこと,表したいことを具体的に表すことです。つまり音楽を通してあなたは何を表現するのかということが問われるわけです。例えば楽器の演奏家が楽譜のとおり間違いなく失敗もせず正確に弾けたとしてもそれは優れた演奏とはいえないわけです。あなたはこの曲で何を言いたいのかということが演奏で言えるということです。
お礼
早い回答ありがとうございました。 たとえば、ある「思想」を表現しようとするとき、音楽ではどようにあらわすのでしょうか。もちろん、人それぞれだと思いますので、「kojyuuto」さんの知っている人を例に挙げて、教えていただけると、具体的に理解ができると思います。もし、可能であれば、よろしくお願いいたします。
- tchitchai
- ベストアンサー率55% (5/9)
(1)芸術家に、という問いですから、スポンタニティー(芸術的自発性)でしょうか。表現したいものをもっているかどうか、ですね。それがもとにないと、どんなに練習しても技術があっても、結局何も表現できないから。 (2)さっき言ったスポンタティーの音楽版、でしょうね。 自分からあふれて表現したいものを、しかも音にあらわす事ができる、という才能のことではないでしょうか。それがあると、自然に聴いているほうも引き込まれてしまうものです。もちろん、この音楽性は、楽器の技術面を磨く事なしには開花されません!が。
お礼
最初のお返事ありがとうございます。 もし、可能であれば教えていただきたいことがあります。 (1)(2)「・・・表現したいもの・・・」 もし、「tchitchai」さんの知っている芸術家で、具体的に○○さんは、○○を表現しようとしている。というのをあげることができれば、参考に教えていただけませんか。なかなか素人には、芸術家は表現したいものを持っている、ということが、実感として湧かないのです。
お礼
「waruitomodachi」 さま 丁寧な対応感謝します。 「日本人・・・」とういことに、気を悪くしたということは全くありません。いまは海外に何百万人の人がいる時代です。海外にいる日本人、また日本に来ている外国人の中には、「waruitomodachi」 とは逆に、(私から見ると日本人にありがちに感じる)日本人は駄目という論著を不思議がる人もいます。だから、「waruitomodachi」 の文章を読んだとき、むしろ、せっかくなので是非聞いてみたい。いろんな人に投げかけた質問だけど、「waruitomodachi」は、どういう答えなのか聞いてみたい。むしろ、ワクワクする気持ちでした。新しい考え方に出会えるのではないかと。 日本と比較する国や、その対象によって、良い部分と、悪い部分、強い部分と、弱い部分があるのは当然なのです。また、マスコミに踊らされるのも、権威に弱いのも、日本に限らず、どこの国にでもあること、意外に、人間の本質は変わらないのかな。という思いをもっています。 最初の質問については、質問をしたくせに言葉が足りなかったのですが、こんな思いがありました。音楽や、芸術は、抽象的な言葉で表現されてしまうことが多いですね。「感性」とか、「自分の思ったことを自由に」など、「演奏家は・・・と考え」など。評論的な具体性のない表現で。しかし、音楽は人間の思考だけで生まれるものではないです。必ず、何らかの物理的な運動によって生まれるものです。だから、演奏家の思考を、具体的にどのように演奏することで表現しようとしているかと思ったのです。演奏する人間は、きっちりと理論的に組み立てをしてると思うのです。 芸術や音楽を言葉で表現することは難しいと思います。しかし、承知の上で、やはり、より具体的に、言葉で説明をしていく、工夫、努力をしていかなくてはいけないと思うのです。 「waruitomodachi」 さんからいだたいた、大切なお返事。ゆっくりと読み直して、あれやこれやと考え、勉強させていただきたいと思います。ありがとうございました。