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彼一家が創価学会なのですが・・
まず熱心な創価学会信者の方には謝らなければいけない内容なのですが・・もしお心をかけていただけるなら、信者の方信者ではない方皆さんのご意見をお願いいたします。 題目の通り彼のご両親、ご兄弟すべて熱心な信者です。彼は学生時代に活動をしていたそうですが、今はまったく無縁です。 私は申し訳ないのですが宗教を毛嫌いしているところがあります。宗教をよく知らずにそんなことをいう自分にも疑問を感じますが、彼が宗教を小さな頃からすんなり信仰してきたように、毛嫌いする家庭に育ったからかもしれません。 彼とは結婚を前提とした付き合いなので、その気持ちを伝えました。ご家族の信仰は尊重していきたいけれど、活動していないなら彼には脱会してほしいとの旨も伝えました。彼は怒りました。普段の彼とは豹変した瞬間でした。「活動もしていないんだし、普通の生活をしているのになぜ脱会しなければいけないのか」と言われました。私は活動していないのだから籍をおいておくことに意味はないと思うのです。 彼の家族の中で私だけ取り残されたような気持ちになりました。今までの私たちの積み重ねてきた歴史や絆を捨ててまで、信仰する宗教とはどういう意味があるのでしょうか。そう思うこと事態間違っていると彼はいうのですが・・・ そしてそんな彼をこの先も変わらず愛していけるのかも自信がなくなりつつあります。彼への愛が足りないのでしょうか。
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私は創価学会員です。といっても生まれたときから籍があったので2世です。客観的に書きたいと思います。 まず言える事は、確かに、一部の人は熱狂的になっているような気がしますが、良心的な人が多いと思います。なので、ご家族の人が宗教に入っているからって悪い人だとは思わないほうがよいでしょう。 実は僕も熱心な活動はしていません。宗教ってもんがいまひとつ理解できていないからだと思います。 僕は自分の持っている価値観が絶対的な価値観だとは思えないので、人の価値観を否定したりはしたくないのです。(しているかもしれませんが。。。) ただ宗教と言うのは「自分の価値観が絶対的だ」といった感じがあるのでその辺はまだ理解できません。 今は「絶対的な価値を追い求めることなのかなー」ぐらいに捉えています。 話がそれてすいません。 確かに僕も「脱会して」と言われたら、怒りはしませんが、「えっ!?」となると思います。 それは自分の中にある価値観の何かを否定することになるからだと思います。 例えば、「人を殺す」ということは大体の人がいけないことだと思うでしょうが、それはなぜでしょう?それは自分の中にそういった価値観を生み出しているからだと思います。しかし、その価値観は絶対的なものかといわれると疑問です。けれど「殺すこと」ということに対し昔から培われてきた自分の価値観に引っかかるものがあるのでそれをする人は少ないと思います。 その感覚と似ているので、すぐには脱会できないと思います、特にご家族が熱心に活動されているのならなお更です。 彼も、あなたが宗教が嫌ということを理解する、無理に入会させない等して互いの価値観を理解しあえるのなら、このまま付き合えると思います。 ただ、あなたが考えるほどオカルト的な宗教じゃないと思いますよ。オカルト的ならこんな拡がらないと思うし。まとまりの無い文章ですいません。 頑張ってください。
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- yotti
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宗教どうこうでなく 信仰というのはそういったものなのです 奪会だということで 豹変しているのはすでに 信仰そのものが根強く内に残っている証拠なのです。 ですから だめだとおもったことはどうやってもだめなのです いくら矛盾点をついても 心に刻まれたことは否定できません それほど強く残っているからこそ 信仰が出来ているのです あなたが 彼を好きで好きでたまらないのなら そのことにふれずに結婚すれば良いだけです 当然彼から自分の宗教をあなたに押しつけようとしたりすることが有れば それは一生悔いが残る選択をしたとして考えるしかないでしょう。 そんなことがないためにも 結婚前にその当たりはよく話し合っておく必要があります。 「私は信じるものは神ではなく 自分を愛してくれるその気持ちだけです」くらいの事を言っておく必要があるでしょう 創価学会を悪く言う人は多々います 当然統一教会も同じ事 誰もが信用している事以外の 異教徒を信じるわけがない と言うのが世の中の摂理でもありますね 信仰を持たない(特定の)日本人の多くはわからない感覚でしょう。 決して信仰を持つかたのみが 幸せになり極楽浄土にすすめるとかかぎりません 死んだらただの骨ですからね 死んだ後のことまで考える人にはなりたくありませんしね 生きている今 出来ることをしていく 拝んでもなんもならない事はわかっていますしね 何言ってもムダなことだろう っと言うのが私の回答です あなたが悪いのではありません 一つの事しか正解がないと思う 考えが悪いのです。
お礼
ありがとうございます。 心が軽くなりました。 「私は信じるものはあなたを愛する気持ちです」何度も彼に言いました。目に見え触れることのできる私と宗教のどちらをとるの?とも聞きました。 とても小さな声で私の名前を言いました。 結局脱会すると結論はでましたが・・・私の中ではわだかまりがあります。たぶん彼はそれ以上でしょう。 別れを考えながらもう少しお互いが理解できるよう努力していきます。
- kaza01
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無責任なことを書きますので、そのつもりで読んで下さい。 ・ご自分の親族から縁を切られるかもしれません ・お子さんが生まれたら入会させられるかもしれません ・なにかあると、「そういうもんなのよ」と言われて反論できない ・信仰心がないと納得できないことに付き合わせられる ・どこまでも限度がない(生きてる間中 死んでも…) 止めておいた方がいいと思います。 多分耐えられません。
お礼
アドバイスありがとうございます。 もう少し彼の理念と私なりに闘ってみようと思います。
結局はスタンスの違いなのですが、私の知人も某宗教を深く信仰しており、宗教は人生のそのものとして、自分の価値観全てを宗教にかけている面があります。 彼も活動はしていなくても、信心はしており、今後の人生にどうしても宗教が影を落としていくと思います。 多分彼が宗教を捨てることは無いと思います、これは理屈ではないので。 私も知人とは何度か話し合いましたが、理屈を越えたところの話になってしまい、頭では分かっていても何かが受け入れないようです。 知人の教団も分裂したりお金の問題で揉めたりしていますが・・・。 あなたも同じことで、彼の宗教を受け入れられないというのも心の叫びですから、結婚は思いとどまったほうがよいように思います。 創価学会が良いのか悪いのかは分かりませんが、価値観が違うのですから、うまく行かないと予想します。 知人も一時宗教を離れたということがあり、ちょうど心当たりのあった女性を紹介したら、かなり良いところまでいきましたが、やはり宗教観が対立点になり分かれてしまい、多分一生独身を通すと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今日の話し合いでは脱会すると決まりましたが・・彼への気持ちが今まで通り続くかはわかりません。 何より、宗教によって差別されているにもかかわらず、幸せになれる、周りの人も幸せにしていると思い込む精神が恐ろしいのです。 この先の彼をもう少し見て考えようと思います。 私もどれだけ彼を理解できるか闘ってみます。
- mizuka10
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私は、宗教に批判的な考えです。ある創価信者にストーカーのように家まで追っかけられ執拗に勧誘され、また久々に会った友達に遊びに行こうと言われ車に乗ったら、創価信者で、山奥に軟禁されて勧誘を迫られたことがあります。 私も昔から創価に限らず、エホバなど宗教を毛嫌いしていましたが、こういうことをされてからより一層宗教=悪というイメージです。 どんなに好きでも、宗教にのめりこむ人とは絶対に結婚できません。 彼が今活動してなくても、家族ぐるみで信者であるなら、結婚したらのちのち面倒なことになりそうな気がします。 洗脳されているので、きっと彼には何を言っても無駄なんです。なので質問者様が自信をなくすのも無理はないと思います。愛が足りないとかそういう問題ではないです。 支離滅裂な文章ですみません。貴方様の考えは間違ってないと思います。
お礼
ありがとうございます。 お返事遅くなってすみません。 彼とよく話し合って見ました。 結果、「脱会する」という結論に達しました。 でも快くではなく「脱会する、そのかわり・・・将来家に仏壇おいていいかな」と言われました。 ????と思いませんか? 後、神棚は置かないそうです。 私は神棚もどうでもいいのですが、そのこだわる精神が怖いのです。
- saasaadousuru
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創価学会がどうこうという発言は控えますが、 宗教という根本で意見が合わないのならば結婚は難しいのではないかと思います。 よく話し合って場合によっては、結婚をやめた方が良いのではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 難しい問題ですがもう一度話し合ってみます。
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お礼
ご意見ありがとうございます。 >彼が、あなたが宗教が嫌ということを理解する まさに私が求めているのはこれなのです。初めに打ち明けられた時、ショックを受けた私に「別れよう」と言いました。その時の彼が私には別人に見えてしまったのです。後日、それはあなたのおっしゃるように「自分を否定された」と感じたので「俺についてこれなきゃ仕方がない」とタンカをきっただけと言っていましたが、今までけんかしてもそういう彼を見たことはありません。私はあなたのような理念になってほしいのです。「絶対的な価値を追い求める」その姿勢には共感できるんです。 宗教にはいろいろ制約もありますよね。日本の伝統的な習慣にも制約があったりします。そういうなれない世界への不安を彼にも理解してもらってこそ、私も創価学会を理解できます。私が嫌いなのは創価学会ではなくて「私たちの築いてきた愛情よりも大切に思われている思想」なのです。