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ビートルズが迷走した理由
LET IT BEを発表した晩年は好きだったビートルズですが、一時はインドに瞑想の旅に出たり、麻薬中毒になりその頃に発表したPVはまさに幻覚の世界そのままといった曲もありましたよね。 何故、そうなってしまったのでしょうか?。 当時の世界情勢としてキューバ危機やベトナム戦争といった不安定な世界情勢がかれらの精神に影響を出したのでしょうか?。 それとも槙原憲之さんも覚せい剤に手を出してしまったこともあるように、ミュージシャンという仕事柄大衆から要求される自分像を演じきる事に疲れた時期で、人生に山と谷があるように一時の思春期のような迷いに過ぎなかったのでしょうか?。
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基本的にはおっしゃるとおりだと思います。 1.私が思うに一番大きな理由は仕事の疲れからドラッグを使用したこと。 2.マネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなったこと。 1.について、リンゴスターはインタビューで20代の時に「自分はまだ20代だが、心の中はもうまるで60代の老人のようだ」と仕事の疲れを表現していますし、ジョンは「ヘルプ」という曲でどうしようもない疲れた心を表現しようとしています。 ジョージはインド思想に安らぎを求め、他の仲間も誘いインドへ行っていますが、ジョージが崇拝していたマハリシュ・マヘッシュ・ヨギのことをジョンは嘘っぱち野郎だと批判し、「セクシー・セディ」なる風刺曲まで作りました。 その頃使用し始めたLSDなるドラッグは使用すると、安らぎとともに、原色や光が強調される効果があり、「マジカルミステリーツアーやサージェントペパーズなどのサイケデリックなアルバムが出来たのです。 70年に入って完全にドラッグと縁を切ったジョンは逆にベトナム戦争に反対する曲を作ったり、映画に出たり精力的に働いています。 そして、小野洋子との出会い別居を経て、ビートルズ時代の忙しかった自分自身に対する不満、前妻のシンシアや息子ジュリアンとまともに生活できなかった後悔などから5年間の子育てを兼ねた沈黙生活に入り、無事充電が終わり80年に音楽活動の再開を始めたわけです。 ジョージのインド思想は解散後もずっと続きますが、それとは反比例するように、素晴らしいメロディのほっとする愛の歌をたくさん生み出し続けていたように思います。 ポールは本当に音楽が好きなのでしょう。解散後もいつでも私たちの前で活動を続けてくれました。 リンゴは誰からも好かれ、ソロ活動で他の全てのメンバーと競演を繰り返していました。 2.について、ブライアンの死を聞き入れたメンバーは かなり自分勝手な行動を繰り返していたことを反省するのですが、インド思想に傾倒していたジョージは「魂は死なない、生きる場所が変わっただけだ。」みたいな発言をしています。 ジョンは「僕達はまるで船頭を失くした船乗りのようだ」と素直に悲しみを表現しています。 とにかくビートルズというのは一番多感な20代という時期に4人の天才が集まったからこそ、あれだけの変遷を繰り返し全く新しいタイプの素晴らしい作品が生まれ続けたのだと思っています。
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- ipa222
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まとめ役のプロデューサーが死んだので、アイドルたちは、困っちゃったのです。 それで、各自がよりどころを探すことになり、結果的に解散することになりました。