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ニートの方を批判し続けることについて
こんにちは。 私は、心理学を勉強しています。 最近気になるのがニートの方を批判する人が、もう本当に多いことです。 社会のクズ、お荷物……なんていわれているのを見ると悲しくなります。 私は学校でニートについて勉強してみましたが 「親のスネを齧っていればいいから」という理由だけでニートになった人は、殆どいない様です。 社会に見放されて、人間関係がうまくいかなくて。 どちらかというと恐怖がある様に思います。 また、鬱などになっている人が多い様に思えるんです。 近代では、特に勤勉を良しとする日本人は、鬱の患者さんを貶し続けてきました。 最近では、少しずつ理解がありますが、未だに只の怠けや根性がない人間だと思われているところもあります。「死にたいといっている人は自殺しない」とか「リスカを繰り返す人は自殺しない」とかいう根拠のない話しもまかり通ってしまっています。 「家にいさせるからニートになるんだ。独り立ちさせろ」という意見もありますが、本当にそれは有効なのでしょうか。 必死に助けを呼んでいる人間を崖に突き落とす行為に思えます。(例えば最初から力のある虎を崖に落とせばあがってこられる子供も多いでしょうけれど、ネコを落としたら、あがってくる子供は少ないはずです) 家族に見捨てられ、なお更「自分は必要ない」と思ってしまうのではないかと思います。 「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいのでしょうか。
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- goosuka003
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賛否両論ですね。 私自身はANo.3、6のかたに最も説得力を感じます。経験者としての実感からです。当事者である自分や限られた友人知人のなかでの事例だけで判断すると偏りがちになりますが実際、現場で多くの事例を目の当たりにしてきたかたが仰ることは大いに参考になります。 >よく「社会が悪いんだ」という人がいますが私はその考え方には賛成しかねます。「あなたも社会を作っている一員でしょう?」といいたいです。 実際このサイトでも、そういうことを言う人がおられました。そのかたは初めて就職して数ヵ月もたずに退社し「自分がニートを続けているのは社会が悪いからだ世間の大人たちみたいになりたくないから誇りを持ってニートを選択している」との御趣旨を宣言しておられました。 これは珍しいタイプでしょうか。ここでも取り上げられているように悶々としている人まで一緒くたに括ってしまったら可哀そう、という範囲には入っていないようです。もっとも本心は分かりませんけれど。 ただ二十代も半ばですから「世間の大人たち」の仲間として年齢に不足はないわけで要は「世間の大人たち」とは違う大人であればいいわけで、そこを御自身に問わないのは、やはり「モラトリアム」なのかな?と私は感じていました。 ただ、いまの社会体制企業体制に巻き込まれたくないのだという気持ちは私にも、よく理解できましたし実感してもおります。 確かに個人個人のゆとりや自然体の生活、融通の利く人生というものに、もっと目を向けて改善していく必要はあると思っています。 >ただ、どんなに被害者でもなんでも立ち直るのは自分なんです >心の病を持つ患者に対して、恨みつらみをはらそうとするセラピーがありますが、私の知る限り、そのような治療は効果がありません。過去に自分がどんな辛い目にあったか、それを掘り起こしても被害者意識が強まるだけで、なんらこれから未来の糧にはならないのです。 >どんなに家庭が間違っていても、どんなにその子が被害者でも、これから生きていくのは自分なのです。 これは我が身も含めて大いに頷くところです。この辺を私の経験上からお話しても聞こうとしない人に「依存したい気持ちを撥ね付けられた」とのことで凄まじい怒りを買い、このサイトに出入りできなくされたこともあります。 御当人は尚も親御さんへの恨み辛みを言い募り「そのうちカウンセラーに応援してもらって親に異議を申し立て深く反省してもらうのだ」と意気盛んでした。 実は、すでに学生の頃そういう運びがあったらしいんですが結局三十代半ばになっても同じことを言い続けているところを見るとNo.3様の仰ることも確かなのではと思います。 先の二十代のかたは、まだ時間の余裕があるうちに方向を定めた暁には180度の新規蒔き直しが計れますから比較的に明るさが感じられましたけれども、あとのかたは年齢的にも方向転換が利きにくいという焦りからでしょうか、その凄まじい言動といい、悲惨な印象が強く残っています。 >「死にたいといっている人は自殺しない」とか「リスカを繰り返す人は自殺しない」とかいう根拠のない話もまかり通ってしまっています。 根拠に関しては私は何とも申し上げられませんが一つ言えるのは、こうした人たちが本来求めていることは「死」そのものではなく「自殺」や「リスカ」を、からだを張ってコトバを尽くして阻止してくれる人そのもの、なのではないでしょうか。 或る意味まだ人というものに信頼感を全く失ってはいないと考えます。その部分で「死」へ向けて一直線に向かわずに済んでいるのでしょうか。 私も自殺とは無縁でいられない人生でしたが本当に決心を付けたら誰にも知られたくないです。「私、死ぬ死ぬ」なんて言いたくないです。こっそり行方をくらまして人に知られないように死にたいです。そのことについて周囲に関心を持たれたくないのです。 でもこうした「死」にまつわることも含めて「家庭や社会に原因があるのだ」ということを主張してやまない人は「だから、こうなるの!」というところから一歩も動こうとしない、さんざんおだてて、ヤット亀、少し動き出す気になったかと思っていると、すぐにまた元の場所に戻ろうとする傾向があるように感じられます。私も過去そうでした。 そうして「こんな私に誰がした」かということに全関心が奪われている人は、また大変に自己主張の激しい人が多い印象もあります。 「マイペース」も自己主張のうちですしね。 No.3様が仰るように >家庭‐(周囲)‐が間違っていても、どんなにその子が被害者でも、これから生きていくのは自分なのです。 ここに考えが至っていないというのか相手が間違っていた、ということを認めてくれるまでは頑として動くものか!という印象なのです。かつての私もそうでした。 それで、では恨む相手が全面的に非を認めてくれたなら本人はスッキリ翌日からバリバリ動き出すのでしょうか?勢い込んで世間に飛び出してみても面白くないことが起こると、また「こんな自分に誰がした」と思い出し、また憎い相手に謝罪させ…これをエンドレスに繰り返すのでしょうか? やがて頼りの親はヨボヨボになり或いは世を去り「恨みのために」介護を他のきょうだいに押し付け、ふと気づくと自分自身もイイ年になっていて就職面接もできない面接しても年の割りに社会経験労働経験に乏しいから売りにできるスキルがない。 若さもスキルも、お金も、ない・ない・ない。 自分のことだけにかまけていたせいで、たった一人のきょうだいにも白い目で見られ…借金の申し込みに行ったのに…なんという人生!しかも >障害者年金を受給しましょうって安易じゃないですか。 というか生活保護も障害者年金も受給はたいへんに難関です。 まして万一生活保護を受給できるとなれば「世間が世のなかが悪い」なんて、もう言えませんね。「世間様に養って」もらうのですから。もし尚も言うなら、それこそ本当に世間の鼻ツマミ者です。 No.6様の >心の闇って誰ももってませんかね? 私は同感です。 >私は毎日働いて辛い思いをして歯を食いしばって仕事に行きます。 そしてお金を稼ぎ多額のお金が税金として徴収されます。 社会は一生懸命生きるものに不利だと感じざるを得ません。 これも同感です。 >強い人は初めから強いのではありません。 ここ、たいへん重要だと思います。 私が、いわゆるニートまたメンヘルカテゴリで拝見する質問者がたの多くに思うことでもあります。 私の身内にも精神障害を発病して仕事をやめ、それから死ぬまでパトロンの男性に養ってもらって(相手の離婚の原因にもなった)人生終えた者がおります。病状が軽快して元気になったので薬でコントロールしながら簡単なアルバイトでも、と勧められても頑として、そうしませんでした。 理由は 「私が働いたら、その分お父さん(パトロン)が、お金をくれなくなるから」 でした。私は、そのとき心底、彼女を軽蔑しました。 >非難されてもしょうがない。やることやってないんだし。 障害者の場合なら 非難されてもしょうがない。健常者ができることやれないんだし。 となります。 >病気だからといってしょうがないと開き治るのはよせ、と思う。 障害者だからといって、しょうがないと開き直るのはよせ、となります。 >病気を理解しない会社や世間にモノ申すのもよせ!と思う。 そういうのは当事者が言うな でも、このサイトで見聞するにつけても思うことですが、いわゆる「ニート」を名乗るかたって、しっかりと大きな声で世間にモノ申すかたが、けっこう多いのだな、という印象があります。そこがまた叩かれる原因でしょうか。 打たれ弱いんだか自己主張が激しいんだか… >物事には必ず、原因と結果が存在します。 そうですね。原因がどこにあるかは事実をしっかりと見据えて認めたらよいと思います。悪いやつは悪いのです。 でも結果をどうするかで意見が大きく分かれてしまっているのではないでしょうか。 この結果を考えたとき企業体制の過酷さに耐えていく体力気力がない、傍から見て些細な事でもポキポキ折れてしまって精神病になってしまった、金輪際働くのイヤ、ちっとも恥ずかしくなんかない、いや肩身は狭いから復帰に向けて段取りしながらウォーミングアップを心がけていく―いろんな背景を持っているかたおられると思います。 にもかかわらずバッシングが激しいとしたら、やはりそこには何らか理由はあるだろうと思うのです。 他御回答者の投稿に関して、あれこれ述べるのはタブーですがNo.10様御自身も明言されておられますので私も倣わせていただきます。 >少し偏見が入りますが、 これは、いかがなものでしょうか? ニートに対して偏見を許さないとの御考えでいらっしゃるのでしたら。 >ややタカ派的な考え方がニートやうつ病等が減少しない原因の一つと思ってます。 この逆もまた真、という恐れはないのでしょうか? もちろん私自身「理解してほしい」という願望が強い者ではありますけれど。 かつて、このサイトで家庭問題ゆえにメンタルの問題を抱えているという人に「身体障害を利用している」と指摘されました。このコトバ、親も含めて、いろんな人に言われ続けてきました。終生、忘れるまいと思います。 虐待した老い親の面倒を一人でみながら身体障害と鬱病を抱え、イイ歳になった低学歴の元ニート、どうやらこうやら大企業で働いています。自分の口を糊するために。嫌いな世間やヒトに養ってもらいたくないために。
- hako2o
- ベストアンサー率30% (33/108)
人は、いろんな事を思う自由があります。 自分に不都合な事を思われてもそれが悪いと言う事も無いと思います。 しかし、心の問題を解決には、正しさよりもその人にとって何が必要かが一番大切だと思います。 息子が引きこもりで現在、明るい兆しが見えてきて振り返る事が多くなってきました。 沢山の人から、いろんな事言って頂けました。 その中で分かった事があります。 問題を解決しなければならない人に 「~が悪い」と言う言葉は、無責任な言葉だったと思います。そして、その言葉を使う人程、心の問題を抱えている人だと知りました。 批判の内容は、とても正しいです。しかし、そこには、問題解決は、なく、ただ混乱を招くだけでした。 心の問題を抱えていない人は、批判せずに手を差し伸べてくれます。そして、安心する事が何よりも問題を解決できる事を知っています。 引きこもりと言う問題だけ見ているから、誰の責任だと言う言葉が、あっちに行ったりこっちに行ったり・・・ 当事者を見ていたら出で来ない言葉なんですね。 私の息子の問題は、私自身の問題でした。しかし、自分を責めている内は、何にも問題解決には、ならないでした。 心にバリアをはり、自分が悪いんだと思っているので、自己防衛が先にきて、息子を見る余裕が無い。自分を守る事で必死でした。 私が私のままでいいんだという時が分かり、自分が許されていると思えた時に、自己防衛が取れ、心から自分の悪い所と向き合える事が出来ました。 私にとって、問題解決は、私自身が許される事でした。 問題解決を目標にするならば、人を責める程無責任な事は、無いと私は、息子を通して学ぶ事が出来ました・・・ 正論は、戦いを産む。 問題解決に戦いは、いらない・・・ 問題解決の道には、 暖かい人と人の触れ合い・コミュニケーション そこには、笑いと感謝で溢れています♪
- Aki_10
- ベストアンサー率26% (11/42)
>「家にいさせるからニートになるんだ。独り立ちさせろ」 という考えが一番危険に思えます。 物事には必ず、原因と結果が存在します。原因を考慮せず、結果だけで判断するのは簡単ですが、一時的な解決に至ったとしても、結局はまた間違いをおかしてしまします。結果は違うかもしれませんが… 近年、少子化が危惧されてますが、少子化対策に成功した北欧等と日本を比べますと、育児休暇等のサポートが確立されてないのが明白です。 現に知人の会社でも軽視されてますし、有給休暇を認めてくれない会社もたくさんあります。なぜこれら法律で認められた権利を行使しようとすると、嫌がられたり、行使する人は申し訳なく思うのでしょう?? やはり、慣例ではないからだと思います。少し偏見が入りますが、これらを軽視する人物像は、ある程度の年齢、頑固、仕事一筋の人間だと思います。自分らは育児休暇を使わずに、立派に子育てをしてきた。甘いのではないかという考えが根本にあるのでしょう。不景気や、リストラによる仕事量の増加、少子化等、原因を真剣に考慮し、相手や世の中全体を考えれば、絶対に軽視出来ない問題のはずです。 しかし、中間管理職など上からは成果を求められ、下には相反する対応を快くするのは難しいのです。 この状況で選択肢は二つあります。 (1)上に逆らえず、無念であろうが無かろうが、仕方なく理解を広げられないタイプですね。こういう環境で生活してると、会社や自身が最優先と勘違いしてしまい、結局偏った思考になってしまいます。最近話題の姉歯氏がこのタイプです。 このような人達を私は被害者と考えています。 (2)上に逆らい損するタイプです。強い意志と決意を秘めた人間なら、時間がかかろうと必ず成し遂げるでしょうが、人間そんなに強くはありません。不利な扱を受けたり、転職を繰り返す、ニート、ホームレスになるかも知れません。 (2)を選択することによって、物質的な損をしますし、サポートが全くありません。(1)を選択することが仕事だと言う方もいます。そこで多くの人が(1)を仕方なく選択する。その中で、思考が偏る。これが、日本、日本人の現状だと思います。 年収や、職業で結婚相手を絞る女性が増加してるのも納得できます。 私は大学時代、寮生活をしてましたが、古い伝統が多々ありました。先輩と同時に入浴するときは、出るとき正座をしてあいさつするというものです。もちろん全裸です。一揆勃発後、先輩と真剣に話をすることが出来ましたが、こう言われました。「俺らもそうだった。お前たちはまだ良い方だ。」 バカの壁ではありませんが、人間自分のいる環境に思考が左右されます。先輩方にしても、上記(1)を決断する勇気は無かったのでしょう。もちろん、不必要な伝統だと認識してか方もたくさんいました。しかし、彼らはハト派なんですね。タカ派の先輩方には意見できません。自分も後輩と同じ扱いをされるのが怖いのです。 ま、簡単に言うと、ドコモユーザーはauより優れてると言うし、その逆も同じなんですね。 ニートにしか分からない事もたくさんあります。ニートの事をよく理解し、実際に多くの話を聞いてみなければ、本当の理解は出来ません。 仕事が原因のうつ病もそうですが、社会や会社が理解しなければ解決しないと思います。しかし、うつ病になった事や、真剣に理解しようとする姿勢がないから、社員がうつ病になるという事が理解できないのでしょう。 私は、ややタカ派的な考え方が、ニートやうつ病等が減少しない原因の一つと思ってます。日本政府も真剣にニートやフリーター対策を始めましたが、税収の減少が原因である事を危惧しています。 このような観点から、 >「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいのでしょうか。 人間十人十色です。ニートになった原因も人それぞれ。No.6さんがおっしゃる様なニートもいるでしょう。それに対して、一つの結論を出す事はできません。 怪我と違い個別の対処が必要なので、世の中の理解が得られにくいため、対処するのが難しく、なかなか減少しないと考えます。 「答えが無くても良い。大切なのは、理解する姿勢と、温かい心。」 もしよければ、今後の参考にして下さい。
- Feb12
- ベストアンサー率29% (674/2296)
以下、一般人の駄文です。 多分ですが、ニートはニュースで問題として取り上げられた、凶悪犯罪に無職のケースが非常に多い、こういったところからのイメージだと思います。 私自身、中には凶悪犯罪を起こすような社会のクズは含まれていると思ってます。 でも、どのくらいの比率で鬱病の人がいるかなど、詳しいことはわかりません。 ニートという言葉だけが独り歩きしてしまってます。 実際のところ仕事していて、社会や周りは何かしてくれる下僕という高圧的な態度、あるいは支払いは踏み倒すなど、ニートからの迷惑は被ってます。 こういった経験が、ニートを正しく理解するのに障害になっているとも思います。 「ニートを独り立ちさせるために家を出す」 これは、両方あるかなと思います。 一人暮らししていて鬱病で休職した友達いますが、改善してきたら、すぐに復帰しました。 実家で暮らしていたら、どうだったか分かりません。 人には弱い部分は多いですが、弱いだけでなく、火事場の馬鹿力ではないですけど、エイヤッと突き進む強さも芯の部分には持っていると思います。 そういった突き進む経験をしないことには、弱いままだと思います。
- saxtutyo10
- ベストアンサー率26% (9/34)
#4です。 こちらで回答されている人たち全ての考えはどれも間違っていないですね。 厳しい意見を書く人、擁護する人がいて当たり前です。 私も心理学を勉強してきたんです。自分も弱かった。 Beshinyさんも皆さんの気持ちわかってくれそうな気がします。 雑文すみません!
回答でもアドバイスでもありませんが、一人のNEET (Not in Employment, Education or Training)からの感想を書かせて戴きます。 私は一昨日まであるメールフレンドとメールのやり取りを続けてきました。しかし一昨日、そのヒトは私に対して「あなたはNEETなのか?」「自分はNEETはムカつくので否定する」というメールを書いてきました。そのようなメールを誘発した経緯があったのかも知れませんが、正直に言ってこんなヒトと今までメールのやり取りをしいてたのかと悲しく思いました。 私はある会社に14年ほど在籍し、そこで仕事を干されたり、怒鳴られたりした結果鬱病になり、会社を辞めました。会社を辞めた1998年以来ずっと精神科に通っています。衣食住のすべてを老齢の親に依存しています。 これらの事実からは、確かに私は参考URLに書いたWikipediaのNEETに関する説明にある独立行政法人労働政策研究・研修機構の小杉礼子主任研究員によるNEETの類型化の4番目「つまずき型 - いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ」に該当するのでしょう。 そのヒトのおかげで私は世間一般でNEETと定義される人間である事が分かりました。つまり社会に存在しても何の意味も価値もなくジャマなだけの存在だったんですね。 老齢の親に依存して生きている状況ですが、それは有限です。いずれこんな風にネットに書き込みする事もできなくなり、生活も立ち行かなくなるようになるのでしょう。その時にはどうするか。死ぬほどの勇気すらないのですが、少しでも早く社会の迷惑にならないようにならなくてはと考えています。 雑感失礼致しました。
こんばんは。 私は貴方の考えに対極にいる人です。 なので失礼なことを書いてしまうかもしれませんので先に謝っておきますね。 先ず、ニートが社会のクズかどうかですが 確実に「クズもいる」という事実があると思っています。 働く意欲のない、可哀想な人たちですか? しかしある反面、生活保護ニートに代表されるように、社会の福祉を食いつないで生きているニートがいるのは確かです。 「甘ったれんな!」そう思っています。 ここでも、簡単に、32条を申請しましょう。障害者年金を受給しましょうって安易じゃないですか。 欝や神経症と診断するのも簡単ですしね。 心の闇って誰ももってませんかね? 私だって会社に行きたくない日、やる気が出ない日、身体が動かない日、あります。 確かに必要としている人かいるのはわかるけど、それを支えている人のこと、考えてますか?理想論でなく資本主義社会の輪のなかでです。 経済は切ってもきれないでしょう? そして、そう思う傍ら「通常に考えることができない、弱い心、(発祥しやすい脳)を生まれながらにもった可哀想な人たち」ということで達観しているのです。 貴方、学生さんでしょう? 私は毎日働いて、辛い思いをして歯を食いしばって仕事に行きます。 そしてお金を稼ぎ多額のお金が税金として徴収されます。 社会は、一生懸命、生きるものに不利だと感じざるを得ません。 貴方の学生という立場は所詮、ある種の机上の理屈、論理ではないでしょうか? 例えば、私自身の財布が全く傷まない、もしくは多少であるなら、かわいそうにと思えます。それは間違っているのでしょうかね? 誰しも辛い中、働いているのですよ?同じ条件じゃないですか。 私の中でのニートの定義は働く意思のない人です。 それが病気であれ、何であれ。 欝は本当に怠けや甘えがないといいきれますか? 私は休職を管理し多くの人を見ましたが半々ですね。 ここのカテでは大体が経験者、欝や心の病気に対し、理解があります。 だってそうでしょう?自分が経験者や関係者なんですから。 この質問も メンタルヘルス でなくライフやアンケートでしたら違う結果(つまり正常人の意見)がもっと出るのではないでしょうかね?。 貴方の意見もわかるんです。 でも、弱き人だけが被害者ですか? 私はそう思っています。 強き人は強いから、大丈夫だから何でもいいのかな? 弱き人は自分で強くなろうとする意思が大事です。 私は、たとえ病気でもそう思っています。 そして私の経験上、その意志がもてないから病気なんだなと。 あと、本人の性格も大きく関与してますね。 病気なのか性格なのか、です。 >未だに只の怠けや根性がない人間だと思われているところもあります。「死にたいといっている人は自殺しない」とか「リスカを繰り返す人は自殺しない」とかいう根拠のない話しもまかり通ってしまっています。 私はそう思っていますよ。 私の妹もいつもそんなことをします。 自分の問題で周りを傷つけひっかきまわす、家族だからと我慢しますが最後は「死にたきゃ死ね」です。こっちが疲れきってしまうから。 もっと言うなら、自分で自分のことが出来ないなら死になさい。 そんなに生きてて辛いなら死になさい、ということです。 弱い人は淘汰される運命は生物界でも常でしょう? 冷たいですか?でも、それが真実だと思う。 >「家にいさせるからニートになるんだ。独り立ちさせろ」という意見もありますが、本当にそれは有効なのでしょうか。 有効な人もいるし、無理な人もいるでしょうね。 でも、独り立ちをできないひとが殆どじゃないですか。 家をだしても借金だけは人並みにする。 私ね、夜勤のある仕事なんでここには不定期でくるんですけど、 メンヘルの人は自分で自分を病気にしていると思うことがある。 それは先ず暇。 だって働いてないから。 夜は起きてて、朝は寝ている。 夜になるとここで質問しているメンヘル多いですから。 身体のリズムが狂うこともわかってない。 例え寝れなくとも電気を消して寝る努力をしないですよね。 独り立ちの基本はこの生活リズムを治すことにあると思っています。 規則正しい生活、食事、外出などおよそ働いていればある程度できることばかりです。 私は夜勤があって、夜寝ないことがどれだけ身体に悪いかしっています。 同僚もみんなコレでやられてます。 日勤のときは身体を無理しててでも夜は寝て朝起きるんですよ。 毎日働いて働いて、帰ってきてぐっすり寝てそして翌朝起きる。 これだけで絶対違うと思っています。 そして自分のお尻に火がつかないと動かない、動けないのも特性。 まあこれは人間だれでもそうかな。 家にいて夜おきているだけで電気代がかかることを意識してない。 ネットをするだけでPC、ISP、電気代、がかかることもトイレにはいれば紙代、水道代がかかることも頭でわかっているくせに理解してないのですよ。 家にいればお金がかからないと思っている。 だから独り立ちをさせるのだと思う。 働かない>お金が無い>出かけない>家にいる>ネットゲームなどで時間をつぶす>携帯1つ持てない(お金がないから)>友達もいない>家に引きこもる>家にいると親の目があるので日中は寝ている>夜になると起き出す>リズムが狂う>心だけでなく体の病気にもなる。ハイ簡単に悪循環の出来上がり。 自分で自分を悪くしている、不幸増殖です。 >必死に助けを呼んでいる人間を崖に突き落とす行為に思えます。 じゃあ、その叫びはいつ消えるのか? 甘いからずーっと泣き続けると回りは思う。だから突き落とす。 >(例えば最初から力のある虎を崖に落とせばあがってこられる子供も多いでしょうけれど、ネコを落としたら、あがってくる子供は少ないはずです) だれしも初めから虎じゃないのです、貴方の認識はそこが違うと思うよ。 私も虎でなかった。 でも虎に成長したの、初めから落とされても大丈夫な虎ではありませんでした。 そこが甘いのだと思います。 >家族に見捨てられなお更「自分は必要ない」と思ってしまうのではないかと思います。 そうね、家族は微妙ね。 血縁ですからね。 でも、どこかで2つの気持ちがあるのだと思う。 ひとつは救ってあげたい気持ち。 そして 切り捨てる気持ち。 親はいつまでも親じゃない。 老化してくるんですよ。 そのときに一緒に心中しないといけませんか? どこかで切り捨てる、しょうがないと思わなければなりません。 また、兄弟、親戚にも心配をかけます。 時として心配は苛立ちに変わります。 欝は伝染するという言葉があるでしょう?(欝だけでなくこころの病気) 皆心を持っている、もちろん子供、兄弟がこんな状態でいいと思ってはいません。 ですが、皆脆い自分をささえているだけで精一杯なんです。 自分の内を壊す子をどうして、正常な心を持ち続け、支えていられましょうか。 強い人は初めから強いのではありません。 私は身内にそういう患者がいます。 甘ったれでどうしようもない妹だと思っています。 カミソリみたいに切れる感情と、どうしようもなく打たれ弱い心をもった妹。 正常な?私からするとどうしてこんなにも打たれ弱いのかわかりません。 私にだってお局のイジワルはあったし嫌いな人も学校にも職場にいた。 ただ本人がいってました。 「私はお姉ちゃんになりたい、変わってほしい、私も傷つかない心がほしい」ってね。 それで私のなかでも、きっとこの子はこの子のもつ、性質、気質、育った環境などを含めた性格がどうしたって弱いのだと。 訓練でも、治らず、休職したって結局は治らない。 一生の問題だから。一時的に緩和するけど、本当の意味で一生無理だなと。 だから、私は嫌なことがあったらすぐ逃げなさい、傷つかないようにしなさい。と言います。 所詮、この子の気質では世の中を渡っていくのが辛そうだから。 これは私の肉親としての情です。 でも、親を泣かせる妹は許せませんけどね。 だからこそ、こういった病気をもつひとは、上手に病気を付き合っていかなきゃいけないんだと考えてます。 もっというなら「病気」ではなく自分の気質と上手にってことです。 ニートや欝の問題はデリケートだとは思いますが、経済、現実、などを絡ませ慎重に対応していく問題だとは思っています。 可哀想でも解決しないし、かといって甘やかして腫れ物を触るようなことでも解決しません。個々にあった解決、処方箋を導きだすのが難しいと思っています。 質問:ニートの方を批判し続けることについて ですが非難されてもしょうがない。やることやってないんだし。 病気だからといってしょうがないと開き治るのはよせ、と思う。 病気を理解しない会社や世間にモノ申すのもよせ!と思う。 そういうのは当事者が言うなmというのが私の考え。 でも自分は世の中に必要がないという卑屈な精神もよせ!と思う。 今は、社会から非難されるニート、いつかは社会を見返すために社会に戻る!、今は出来ないけど今年が終わったらアルバイト雑誌を見てみようとか、そういう気持ちさえあればそれは既にニートではないと思うのです。 長々とすみませんね。_(_ _)_これが私の考えです。
- stone_wash
- ベストアンサー率10% (59/555)
難しいですねー。 正直な意見です。 ま、世の被害者かなと。 上の年代の人たちって、正直ぬるいんですよ。話を聞いていると。 社会に出て実際やっている点をみると、尊敬できますが。 でも、就職ひとつとっても、現実にかなうことが多かったとおもうんですよね。ようは、がんばればかなうって事例が多かった。 今の時代って違いますよね。実際生活は裕福になったけれど。 子供の頃のがんばれば、きっとかなう。 こんなものは幻想ですよね。 がんばることはいいことですが、だからといって報われること稀です。実際偏差値30の学生が1年や2年がんばって東大理IIIにぽんぽん入れるかといわれたら稀かないし、就職は?と考えたら東大でもできない奴はできんかったし。 だから、夢はいつかかなうと思っている、夢がかなわず現実社会が怖くなったとかって人がニートになっている気がする。 でも、結局ニートを生んだ世界を作った人が、一番ニートを批判しているのかなと。なぜなら、現実を知って心が折れるとかが、まったくわからない世代なのだし。 という感じがします。 ちなみに私だったらどうするかなーとかんがえると、とりあえず出て行け!とします。あくまで親族だった場合ですよ。 でも、常に手の上で踊らせるだけ。万が一があったら絶対イヤだし。
- saxtutyo10
- ベストアンサー率26% (9/34)
>「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいのでしょうか。 人にもよりますが危険であると思います。 大半は競争社会の荒波に耐えられなかった人が多いと思っております。 つまり弱いのです。弱い人間に対してすることではありません。 義務教育課程を終えて一度も働いていないのであればバイトでもいいので一度経験させてみるのは良いと思います。 親に養ってもらえるニートはある意味幸せです。 親が厳しく自分の意思とは関係なく働かされ、何度も入社退社を繰り返してしまい、ますます混乱をきたしてしまうニート予備軍の方は大変です。 仕事の良し悪し以上に、人間関係で辛くて辞めてしまう人がニートに逃げてしまう。 厳しい人、性格に難がある人、冷たい人と昔より人間の心が歪んでいるように思えてなりません。 Beshinyさんや#2さんの考えは一人の人間として とても素晴らしいと思います。
長い間、心理療法関係の仕事をしてきました。 私自身、ニートであった時期も長かったですが(当時はニートなんて呼ばれませんでしたけど)、多くの似たような状況の人々を見てきました。 その経験から、あくまでも私の考えを書きます。 >「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいのでしょうか。 完全とは言いませんが、正しいと思います。 このような状態の人間を作り出すのは、家庭です。 よく「社会が悪いんだ」という人がいますが、私はその 考え方には賛成しかねます。「あなたも社会を作っている一員でしょう?」といいたいです。 その自覚がまず大切。 話を戻しまして、家庭によって子供がニートになったり しますよね。 確かに、家庭の在り方によって精神的に問題を抱えてしまった子供は気の毒です。その子が悪いわけではないですし、被害者でもあります。 ただ、どんなに被害者でもなんでも、立ち直るのは自分なんですね。 よく、心の病を持つ患者に対して、恨みつらみをはらそうとするセラピーがありますが、私の知る限り、そのような治療は効果がありません。 過去に自分がどんな辛い目にあったか、それを掘り起こしても、被害者意識が強まるだけで、なんらこれから未来の糧にはならないのです。 同じように、家庭の在り方にいかに問題があっても、では家庭の方を変えるのは簡単なことだと思いますか? 確かに家庭が変わって両親も兄弟もその子に対して理解して、みんなで前向きになったら最高でしょう。 けれど、家庭の在り方というのを変えるのはエネルギーを消費するだけでなかなか見返りのない作業なのです。 むしろその作業の間に、過去の辛いことを掘り起こしてさらに本人の被害者意識を強めて行くだけなのです。 どんなに家庭が間違っていても、どんなにその子が被害者でも、これから生きていくのは自分なのです。 私の知る限り、もう救いようのない状況のニートであった人たち、家庭も救いようがなかったので、彼らは外に出るしかなかったのです。 外に出れば生きていこうとする本能が目覚めます。 >「死にたいといっている人は自殺しない」とか「リスカを繰り返す人は自殺しない」とかいう根拠のない話しもまかり通ってしまっています。 これについては、私は正確なデータを持っているわけでも ないので、なんとも言えません。 ただ、死にたいといっている人間、リスかを繰り返している人間を本当に放り出してみて、本当に自殺する数って多いのでしょうか? 私の知る限りですが、自殺願望も強く、リスカも繰り返していた人たちは皆、やむを得ず家から出て(出されて)、出たとたんに生きていこうとしていました。 彼らは皆同じことを言いました。 「食べることも寝る場所も困らない環境だったから死ぬことばかり考えてた」と。 自分で食べ物を得て、自分で寝る場所を確保する生活をしてみると、本当に彼らは必死で生きていこうとするのです。 だからみんな崖から突き落とせばいい、と私は言うつもりはありません。 ただ、私が見た範囲では、そういう人が多かったということです。