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物語にみる日中(日台)の考え方の違い
以下のストーリーは中国の映画の一部分(少々アレンジあり)です 中国の山奥の村に小さな小学校がありました。 校長先生はまじめで教育熱心な人でしたが、彼の10の歳ぐらいの息子がある日突然原因不明の病気になりました。自分で歩くこともできなくなってしまった子供を背負って医者を捜して回り、いい医者がいると聞けばどんな遠くでも出かけましたが、子供の病気は悪くなる一方でした。そんなある日いつものように子供を背負って医者に行った帰り、橋のたもとで髭を蓄えた老人に出会います。老人は彼にあるものを渡し、彼はそれを受け取って帰ります。その日以降、子供の病気は少しずつよくなりました。 さて、このおじいさんがお父さんにあげたものとはなんだったんでしょう 答えは「処方箋」です。彼はそれを受け取ったあと、家の近所の普通の漢方薬局に持って行って薬を作ってもらい、子供はその薬を服んでよくなったというわけ さて、前振りが長くなりましたが、みなさんはこの物語を聞いてどう思いますか? 私は正直「なんじゃこりゃ?」 と思いました。だって八方手を尽くした挙げ句に出会った「謎の老人」がくれたのが紙切れ一枚で、しかもそれをいつも行ってる普通の薬屋に持て行って、そこの薬師さんが店の引き出しに入っている普通の薬種を使って作った薬で病気が治ってしまう...ってのは物語としてどうかなと思うんですね。 ところが私がこの話をすると、まわりにいる中国人・台湾人はことごとく「どこがおかしいの?」と言います。「話としてはありそうなことだし、物語として特に奇異な感じはしない」と、みな口を揃えます そういわれてみると、たちまち自分の感覚に自信がもてなくなります。そこでぜひ多くの方からご意見をうかがいたいと思い書き込ませていただきました。もしよろしければ「自分ならこういう物語にする」と言うのも書いていただけるとうれしいです
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お礼
ををを~っ、ホントだ! 薬をカレーに置き換えただけですんなりなじめる! なんか長年の疑問が解けたような気がします。 私は、中国人っていうのは知識や経験、システムといった人間の営為や人間の作り上げたものに対して、われわれが想像できないほど信頼を置いているからなのかと漠然と思っていたんですが、その割には「いつも行っている医者(西洋医)が『今日から院外処方箋を出しますから、お近くの薬局で薬をもらってください』と言ったらどうする?」と聞くと、十中八九「それは断る」と答えるんですね。ここにはやっぱり伝統医学に対す独特の考え方があって、しかもそれがあまりにも体に染み付いていて、「カレーを食べておいしいと感じた」というのと「薬を服んで体がよくなった」というのが限りなく近くなってるのかもしれません。 とにかく非常に多くの示唆を受けました。どうもありがとうございます。