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黒澤作品「生きる」のワンシーンについて
今日テレビで放映していた「生きる」を観ました。名作と賞賛されるだけあって、素晴らしい映画だと思いました。(主人公のあの異様な目の輝きには正直ゾッとしましたが・・・) ところで、後半の回想シーンの中で気になる所があります。毎日助役室を訪れる主人公が(助役室前で)ヤクザに絡まれ、脅しに対してニヤッと笑い、ヤクザが一瞬怯みます。この後すぐに親分(?)が助役室から現れ、無言で主人公と見つめあうのですが・・・、この親分とのシーンがよくわかりません。 余命いくばくもない主人公にとって子分の「命が惜しいだろ」的な脅しに笑えたというのは理解できます。その不気味さで子分たちが引くのにも。ただ、その後出てきた親分は無表情で、特に主人公に圧倒されたというような感じは見られなかったので、どうして何もせずにそのまま帰っていったのかが分かりません。あまりにも意味ありげに主人公を見つめていたのですが、実はそんなに気にするほど意味はないのでしょうか?この映画を観た皆さんはどのように解釈なさったのか知りたいです。 くだらない質問ですがよろしくお願いします。
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残念ながら本日は観ることは出来ませんでしたので、以前に見た記憶で申し上げます。 単純に考えると、「やくざの親分が、子分の前で怯んだ様子を見せるわけにはいかない」という理由で無表情を作っていたとも考えられます。そう考えるとちょっとかっこ悪いですね。 しかし、あの親分役の俳優さんは、7人の侍の一人であることから、かっこ悪いことさせるために出演させる訳がありません。 そこで私は、あのシーンは、肝の据わったもの同士の「魂の語らい」があったものと解釈しました。 また、シーンの意味としては、ヤクザの問題は幾多の困難のうちのひとつに過ぎませんから、親分の退場によって問題解決して以後ヤクザが出てこないことを観客に約束するものと解釈しました。
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- isoiso0423
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NO1の書かれていることで間違えないと思います(だったらわざわざ書くなって……)。 テレビドラマは、わかりやすい大仰な演技にばかりなので、これに慣れてしまうと、映画の本質を見失います。 普通人間は無表情の時の方が多いものです。 特に初対面同士って、コミュニケーションがない限りは、そんなに表情は変えませんよね。 テレビの場合は、怒っているのか悩んでいるのか悲しんでいるのか、ありありと表情に出し、どんな人にもそれが伝わるようにします。 映画、特に優れた映画は、ありありと表情や態度に出すことなくとも、その心情を見ている人間に感じさせてくれるものです。 もう一度見る機会がありましたら、志村喬さん演じる渡辺勘治が、特に表情を作らなくとも、どんな心情なのか、自ずと感てくるシーンが多いと思いますよ。そうなるとますます感動できると思います。 近々格安DVDが出ます。書店系列のもので「羅生門」「生きる」のDVD二枚に解説本もついています。 http://www.kadokawa.co.jp/meisaku/index.php?cnts=lineup
お礼
言われてみて納得です。普通は皆いちいち思ってることを表情に出しませんよね。テレビドラマなどで「わざとらしい演技だな」と思いながらも、知らないうちにそれに慣れてしまっているかもしれません。映画の中で、大げさに表情に出さなくとも観客に心情を伝えられる人こそ名俳優といえるのでしょう。 「生きる」はこれからも何度も観ることになると思います。観るたびに新しい発見がありそうですね。ありがとうございました。 余談ですが参考URLのDVD、2作品でこの値段とは驚きました!
お礼
「魂の語らい」ですか。なるほど~。そのヤクザの親分は主人公の決意のようなものをその何秒かの間に理解したのでしょうね。 それにしても、あの親分役の俳優さんはチョイ役のわりに存在感がありました。実は黒澤監督のモノクロ映画は「天国と地獄」と今回の「生きる」しかまだ観てません。「七人の侍」を観るのが楽しみです。ありがとうございました。