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浅野忠信さん主演のフォーカスについて

この作品ごらんになったかたいらっしゃいますか?最後、ちょっと後味悪いんですが、この作品はやましいことをすると恐ろしいことに巻き込まれるぞって私は解釈したのですが、他の方の価値観はどうですか?それからこれを見て思い出したのですが、黒沢清監督だと思うのですが、役所浩司さん主演のCUREという映画で ラストのシーンでウェイトレスの女の子が包丁をもっていたと思うのですが、これは何をあらわしているのでしょうか?なんか後味の悪さが共通しているような気がして思い出しました。

みんなの回答

  • nako5311
  • ベストアンサー率35% (7/20)
回答No.2

私もこの映画をみて衝撃を受けたひとりです。 浅野さんが本当の盗聴マニアにしか見えなかった(笑) 彼が少年を撃ち殺してしまった後に「何で俺がこんな目に会うんだよ~~~~!」と 叫んでいるシーンはものすごく共感できて、そんな自分が少し怖くなりました。 私は、「人間には誰しも計り知れない凶暴性が潜んでいる」と解釈しました。 とにかく90分ちょっと、常に緊張感につつまれた映画だと思います。

  • ojiq
  • ベストアンサー率41% (121/291)
回答No.1

 人を暴力に向わせるものは何なのかを考えさせられる映画だ。総てがドキュメンタリー・タッチで、進められていく。盗聴マニアの青年・金村にインタビューする番組を製作していくという形で、映画は進行していく。インタビューするのはディレクターの岩井。カメラマンは、この映画自体のカメラマンでもある佐野哲郎。映画本体のカメラマンと劇中のカメラマン役との一致が、今作にリアルな緊迫感をもたらしていることは確かだろう。金村は盗聴そのものが趣味であって、それを利用して犯罪を企むというわけではない。最初、岩井はそういう趣味自体が社会正義に反するのではないかという視点から金村にインタビューを試みているかのように見える。対して、金村はいかにもオタクっぽいムードで、問題意識もなく、ぼーっとした穏やかな雰囲気を持ちつつ、次第に岩井のペースに乗せられていく。岩井の真意は、視聴率を稼ぐため、少しでも興味本位に金村を撮ろうとすることにあると判ってくる。不況が続く中、テレビの番組製作も下請け会社に任されていくという傾向が強いとも聞くが、小さな会社にとって、テレビ局に採用してもらう為に、視聴者にうける番組を作ることは、まさに死活問題と言ってもいいだろう。そういう環境の中で、ドキュメンタリーの場合は、本来の記録する使命を失って、勝手に製作者が作り上げるドラマと化してしまう。素材自体の持つ素晴らしさを活かせなくなるのである。  ここには、悪質な「やらせ」問題が含まれていると共に、盗聴法案〔「通信傍受」などという言い換えは、権力者たちの都合のいいごまかしの表現にすぎず、誰が誰に対して行おうと盗聴は盗聴としか言いようがない〕の不気味さを予告するような問題意識も感じられる。盗聴した内容が新宿駅のコインロッカーに隠した拳銃についての話だったことから、岩井は先回りして取ってしまおうと提案、警察に連絡もせず、拳銃の奪取に成功する。ところが、岩井が金村にその拳銃を持たせようとしたことから揉みあっているのを周囲にいた野次馬に興味本位で、何の撮影かと聞かれ、言わずに車を発進させたことで、野次馬が車を傷つけようとし、それが金村の大切な車だったことから、カッとした金村が発砲して、一人を殺してしまう。その後は、今までの羊のような金村が狂暴な狼に一変し、岩井たちを道連れに暴走を始めるのである。その根底には、今回の取材を通して鬱積してきた金村のマスコミへの不信感がある。果たして、彼らはこの後どのような地獄を見ることになるのか。  リアルな緊迫感を画面に持たせるのに浅野忠信の演技は大いに貢献している。前半のおどおどした青年の雰囲気〔箱の中に入った拳銃を見つけるシーンでは、カメラが回っている時に驚いたという反応を示せずに何回もやり直しをさせられ、OKが出たシーンでも驚き方が妙に嘘っぽいところなど、印象に残る〕から、岩井のせいで人殺しをしてしまったという嘆きからより凶暴性を発揮する終盤まで、大人しい人間を暴力に走らせるものは何なのかということが、切実に伝わってくるのである。

akane_k
質問者

補足

私が印象に残ったシーンも、金村が拳銃が入った箱を開けてOKテイクがでたあの妙に嘘っぽい、岩井にあきれている驚き方です。ちょっとおかしくなかったですか?私はけらけら笑いました。岩井が新宿駅から拳銃の箱を抱えて必死に走ってくる姿にも笑いました。拳銃を落とさないか、ひやひやしました。