隅田川の墨田堤の幅はどこからどこまで?
隅田川の墨田堤。江戸時代に造られた時の幅はどこからどこまでだったのでしょうか?
今現在は、隅田川があって桜堤がある高速手前までが堤防になっています。ですが、高速を超えて墨堤通りを渡ってその歩道の先ががくんと下がっています。ここが、墨田堤の盛土の境のような気がします。
しかしそうだとすると、特に東白髭公園あたりは、現在の堤防から100m以上もの幅があることになります。さすがにここまで巨大な堤防はないと思います。
ので、当時の隅田川がもっと墨堤通り寄りだったか、もしくは墨堤通りの下がっているところは墨堤の名残とは無関係化のどちらかだと思います。が、どうなのかさっぱりわかりません。
もしかすると東白髭公園は隅田川だったのでしょうか?またもう少し下流の桜堤は、江戸時代に造られたものかと思っていたのですが、もしかしたら移設あるいは新設されたものなのでしょうか?
質問をまとめます。
・東白髭公園があるあたりの隅田堤の幅はどこからどこまで?
・もしかすると東白髭公園は隅田川だった?
・桜堤は江戸時代の場所のままなのか?
この点について教えてください。
よろしくお願いします。
お礼
ありがとうございましたm(__)m