両親が正式に離婚したのは、私が21歳の頃。私が間に入って、離婚を進めました。
お爺ちゃん(母方の)の実家に家族で住んでいたのですが、給料を一銭も家に入れない父にキレたお爺ちゃんが、父を追い出しました。それが私が3歳の時。
という事で、記憶がないです。一緒に生活した。写真とか見ても、”誰このオッサン?”って感じで。
母に彼氏が出来たので、これまで母子家庭で一人っ子の私を大学まで出してくれた母が、今度は自分の人生を生きる番だと思い、父の元へ行き、離婚届を突きつけました。
うろたえる父。でも私は畳み掛けました。”いきなり急にと言うけど、貴女には15年以上もの時間があったでしょう?沢山考える時間があったはずだけれど?”
そして離婚は成立し、私は家裁で母方の苗字い変えました。(大学にもサークルにもゼミにも苗字の変更届けを出して、とっても変な感じでした。)
苦労した事・・・。記憶に無い相手だし、気がついたらこの環境だったので、人の人生と比べた事も無いし、あまり不足を感じた事は無かったのですが、小学校の先生に言われた一言だけは、今でも忘れられません。
ある日宿題を忘れて(私はものぐさだったので、よく宿題等を忘れたりしていました)”片親だからって言われたくないだろう?”という説教を受けました。
さすがに泣きました。”私が悪いのに、何故関係ない事を言うんだ?”と。 まあ、その先生は私が個人的に嫌いだったので、その後も数々の暴言を吐いていましたけど。子供相手に、本当に大人気ない暴力教師でしたから。
ちなみに、うちのおかんは、その後(離婚してからすぐ)相手の方がくも膜下出欠で倒れて、離婚調停をしていた奥さんに見捨てられ、その子供は病室へ赴き見舞い品をくすねるという事をしていたそうで、我が家へ引き取り、只今10年目を迎えます。
おかん曰く、”私の子育ての事等で、ずっと相談して力になってくれたり励ましてくれたりして来てくれた人なので、ここで私がこの人を支えなければ!”と思ったんだそうです。(おかんと彼氏は職場の同僚でした。)
我がおかんながら、尊敬できる誇らしい言葉でした。