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あなたの初めてのカメラ★
皆さんの、初めてのカメラ(いつ頃?~何ていう機種?~エピソード)を教えてください。 私の場合は、小学校中学年の頃(1970年代前半)、当時父が持っていたオリンパス・オートアイとペンEEDというカメラが最初です。友達とサイクリングに行く時など、よく勝手に持ち出していました。 なお、際限がなくなってしまう恐れがあるので、勝手ながらレンズ付フィルムとデジカメはご遠慮くださいm(_)m。
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ヤシカは発表するまで極秘裏に開発を進めていたのしょう。京セラはもともとセラミックを製造していた会社ですから、カメラのブランドには向かないと思います。そんなメーカーだけど幅広く事業拡張してますが、成功してるのは携帯電話ぐらいしか思い当たりません。去年はミタ工業を吸収合併したけど、よう金があるもんですなぁ。まぁ兵器を製造してるから金はあるんでしょう。しかし、ヤシカを買収してからはこれまで部品メーカーだったのが、製造メーカーに名を連ねたのは事実です。 昨今デジカメの売り上げが、銀塩カメラの売り上げを超えてしまいました。一体カメラの将来はどうなるのでしょう。銀塩派としましては気になる問題です。
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そのカメラ、コンパクトカメラの中では名機ですよ。暗い場所でも良く写るんですよね。写真家の故林忠彦はヤシカのエレクトロ技術に惚れ込んで、ヤシカの開発者とも仲が良かったそうです。そのお陰なのかヤシカがCONTAX RTSを発表する前に製造第1号のカメラを贈呈されて、生涯大事にしたとか。ドイツのポルシェは、ヤシカのエレクトロ技術を見込んでCONTAXの復活が果たせたようです。当時まだいまいち知名度の低かったヤシカにとっては千載一遇のチャンスだった思います。それによってヤシカの名は株を上げましたからね。コシナのフォクトレンダーだって既に消滅したブランドを復活させた訳ですし、ヒット商品って言うのは、かつての憧れというイメージは人の心に強い印象として残るのかもしれません。
お礼
>そのカメラ、コンパクトカメラの中では名機ですよ。 ありがとうございます。 私も買ってからエレクトロ35シリーズの評判を知りました。 ジャンクコーナーで1,800円で買ったのですが、「何でコレがジャンク??」と思うほど快調です。 ※電池はアダプターを自作しました(^^)。 ツァイス+ポルシェ+ヤシカ=CONTAXは、当時のカメラ業界では「寝耳に水」の大事件だったと本で読んだことがあります。 「CONTAX」があるにせよ、他のカメラも私は「KYOCERA」より「YASHICA」の方が絶対にブランドイメージが良いと思うのですが・・・・(輸出用の一部のカメラはYASHICAブランドで販売してますけど。)
コシナは自社で1眼レフを作っていました。CT-1などがそうです。CHINONと同じように輸出向けがメインでしたが、日本での知名度が低く、国内販売をしても全然売れていないはずです。そのボディを生かしてペンタプリズムだけ省いて改良したのがフォクトレンダーです。開発費がかなり浮いたそうです。このメーカーはレンズのOEMが多いですね。Canonのレンズも作ってます。だけど日本のカメラメーカーで、ガラスの溶解からレンズを作っているのは日本は3社しかなく、コシナはその一角にあります。あとの2社はミノルタとニコンです。だからそれ以外のメーカーはこの3社からレンズ(ガラス玉)をOEMしてもらい、各メーカーの研磨技術でレンズを製造してることになりますね。多分この研磨とコーティング技術で、描写力の差が出るんでしょう。それでもツァイスやライカやシュナイダーにはとても敵わないから、やっぱりドイツは凄いんですねぇ。何でもそうでしょうが、本家は強い!価格が高いなら高いだけの付加価値はちゃんとあるんですね。
お礼
>コシナは自社で1眼レフを作っていました。 そのあたりは私もかろうじて存じてます。恐らく85年頃にCT-1を最高シャッター速度1/2000秒に改良した物が現在のフォクトレンダーのベースなんでしょうね。 >ガラスの溶解からレンズを作っているのは日本は3社しか >なく、コシナはその一角にあります。 これも最近知りました。 コシナって地味だけど凄いメーカーだと思います。 レンズと言えば、最近のレンズは非球面レンズの開発により、ズームの高倍率化、最短撮影距離の短縮化、コンパクト化、軽量化と、使いやすさのうえでは非常に進歩していますが、私は近頃球面だけを用いた無理のない設計の昔ながら(?)のレンズの描写を見直しています。 先日ジャンクコーナーで買ったヤシカ・エレクトロ35GS(COLOR YASHINON 45mmF1.7)の描写がとても気に入ってます。
中盤カメラといえば、NORITAもありましたね。これも当時のカメラショーの冊子に載っていましたか?私は1眼レフスタイルの6×6フォーマットのカメラを長年待ち続けてますが、なかなか出ませんね。ハッセルやブロニカのような箱形ならあるのに…ペンタ67しかないのが淋しいです。NORITA6×6復活しないかなぁ。唯一ドイツにEXAKTA6×6のフォーカルプレーンシャッターの一眼レフがあるんですが、高くて手が出せません。どうして6×6はメジャーにならんのかな?中盤は今では6×4.5(セミ判)の方が主流ですね。しかもこの領域までAFです。カメラは自分の手でヘリコイドを廻す方が面白いのに…。去年話題を攫ったKonikaRFやCOSINAフォクトレンダーは写真が楽しめそうです。
お礼
comdotさん、三度ありがとうございます。 NORITAというカメラは私も存じませんでした。どのようなカメラだったのか、本等探して調べてみます。 コニカRFやフォクトレンダーには、私も強い魅力を感じています。(貧乏なので買えませんが・・・・) でも、コシナのフォクトレンダーって、あのボディは一眼レフのリコーXR-8(オリンパスOM2000、ニコンFM10もいっしょ)をレンジファインダーに変えた物ですよね。 私も一時フルマニュアルの一眼レフを試そうとしてXR-8を使った事がありますが、ミラーショックの大きさには閉口してしまいました。そのあたりちゃんと改善されてるのかなぁ・・・・? でも、アイデアとしては凄く面白いと思います。 ちなみにコシナは結構好きなメーカーです。トキナーやミノルタにOEMしてますし、80年代前半に展開していた直販店も何度かのぞきに行った事があります。 >カメラは自分の手でヘリコイドを廻す方が面白いのに…。 そうですね。私も近頃はAF一眼レフよりも、古いカメラでファインダーの二重像を重ねて撮影する方が多くなってきました。 息子達にも、最初からAFカメラを与えるのではなく、まず距離計内臓のカメラでその楽しさを感じてもらおうと思っています。
- hirakawa
- ベストアンサー率27% (509/1821)
私がはじめて写真でギャラを貰ったのは小学校高学年のころ、昭和43年5月16日の十勝沖地震を撮影した写真でした。授業中に地震があり、学校閉鎖、そのまま自宅へ帰り、親父のリコーフレックス ミリオン(6×6 二眼レフ)で飴の様に曲がった東北本線の線路を撮ったものでした。地元地方紙に掲載され、三千円貰いました。 そのカメラは残念なことに修理不能な故障のため処分しました。
お礼
プロの方ですか?デビューが小学生とはまた凄いですね。 カメラは貴重な瞬間を将来に残す偉大な道具なんですね。 せめて私も、子供達にひとつでも多く、かけがえのない想い出を写真に託して残せるよう精進してまいります(^^)。 hirakawaさん、ご回答ありがとうございました。
追伸 OLYMPUS PENって今じゃ凄いプレミアがついてるって知人から聞いたことがありますが本当ですか?レンズ交換が出来るハーフカメラはあれだけですからね。1970年ならまだ小学生でした。ハーフサイズを流行させたのはKonicaじゃなかったですか? そうそうプレミアといえば、NikonF,F2Photpmicはメッチャ高いみたいです。20~30年前の他のカメラやレンズでもプレミアのついたものは、まだまだあるんでしょうねぇ。現行機種ではOLYMPUS OM用の旧ズイコーレンズにプレミアものがあるらしいです。
お礼
普通のPENシリーズですと、中古で10,000円前後で買えると思いますが、セレンを使っている物はもう正常な物はほとんど無いのでは? PEN Fシリーズは、レンズ数本セットでとなるとン十万円でしょうね。 ハーフサイズの口火を切ったのはオリンパスで、1960年代に人気が高かったようです。本で読んだのですが、60年代後半にドイツのローライが35mmフルサイズの小型カメラを発売してから日本でもコニカC35を筆頭に各社が出すようになり、やがてハーフサイズは消えていったようです。 ニコンF2(フォトミック)は、私も大学の時にバイト先で使ったことがあります(研究所の記録写真という地味なものでしたが・・・・他にペンタックスSPとOM-1もありましたっけ・・・・)。
私がカメラを初めて握ったのは小学生の時でした。親父のカメラを借りていたので、機種は忘れました。たしか1眼レフに似た距離連動式のカメラです。レンズシャッターでしたから。OLYMPUS-PENをカタログで知ったのは、高校の時だったと思います。漸く自分のお金でカメラを買ったのが“フジカST801”でした。このカメラでよく鉄道写真を撮りましたよ。当時はスクリューマウントでペンタックスも同じでした。 NikonはF2が全盛でCanonはFtbがよく売れてました。minoltaはXE,STシリーズが人気でした。OLYMPUSはOM1でした。地味でしたが、MIRANDAやPETRIというメーカーもありました。Mamiyaの1眼レフもあったし、Yashica,konica,TOPCONもあった。1眼レフしか興味がなかったので、バカチョンは全然覚えてません。マニュアルの全盛期じゃないですか。オートフォーカスに口火を切ったのがMINOLTAα7000です。私は色んなカメラに乗り換えましたが、結局今でもNikonFMを使っています。本当はCONTAXが欲しいけどレンズが高い。でも中盤カメラが一番欲しいからMamiyaかな。懐かしいなぁ。あの頃が……。
お礼
comdotさんも以前どこかでお見受けしたような気がします。お世話になります。 私も中学生の頃、私自身は当時そこまでカメラに関心はなかったのですが、親しい仲間にF2やOM-1を持っているヤツがいました。高校1年の時の担任は、ミノルタのXDを買おうとして、実際その後出たXG-Eを買っていました。 ペトリがつぶれてしまったのはたしか私が大学に入った頃だったと思います。 我が家に1969年と70年のカメラショーの冊子があるのですが、そこに載っているカメラ(勿論ミランダ、トプコン、ペトリ、コーワ、マミヤ(一眼レフ)も載っています)に最近とても魅力を感じております。 安いジャンクを買って掃除して試写。まだ3台ですが、どれもみな素晴らしい描写をみせてくれて感激しています。 私はレンズシャッターの一眼レフは触ったこと無いのですが、いずれ機会(とお金)があれば手に入れたいと思っています。 この度はご回答ありがとうございました。
- ikkyu3
- ベストアンサー率43% (535/1229)
中学1年、ベストポケットコダック(父が昔使っていた)127フィルムです。 知らねーだろうな。 たたむとワイシャツのポケットに入り、撮影時はぎゅーっと伸びます。フィルムゲートは、4X6.5cmの中判8枚撮り蛇腹カメラです。 フィルムが入手しにくく、写真部に入って35mmの長巻フィルム(当然モノクロ)を買って、暗室で切ってベスト用のスプールにリーダーペーパーと一緒に巻いて使いました。 こうすると細長い画面になり、今で言うワイド画面ですね。 あと高校では、スプリングのセミ判も使いました。今で言う645判です。 それで撮った中学の同級生や女学生の写真などが残っています。 時代は、ずっと下がって新婚旅行は、アサヒペンタックスSVです。が、巻き取りの差込が甘く全然巻けてなく一枚も写っていませんでした。 その後、長女が生まれて、オリンパスペンF、FTになりました。これは、良く写ります。このときは、コニカC35とこれと、どちらにするかで、結局一眼レフを選択しました。 その後は、今も健在で時々使う物だけ列挙します。 OM1、OM2、ペンタックスME、オリンパスXA、リコーGR1(オートフォーカスは、これだけ)、自作のライカLマウントレンジファインダーAEカメラ、あとデジカメ1個 どうもカメラ病は、一生らしく、モノクロは、今もDPEを自分でやりますが、時々ミニラボでカラー処理でモノクロになるフィルムも使います。 クラカメも好きでレストアや自作もします。 たしか、最初のカメラの質問でしたね。すみません。きりが無いので終わります。
お礼
ikkyu3さんも、以前回答で何度かごいっしょしたと思います。 いつもお世話になります。 しかし、こんな凄い方と回答を並べていたなんて、恐れ多い限りです。 自作のライカマウント用AEカメラ・・・・きっと素敵なカメラなんでしょうね。 今後ともよろしくお願いいたします。 ご回答ありがとうございました。
小学生の時に、オヤジから譲ってもらったのが、フォクトレンダーのレンズ が付いた6x6の2眼レフ。これにセコニックの露出計ですから、遠足とかに 持って行くと目立つこと。露出もピントもみな、カンが頼りのマニュアルで、 ノブでフィルムを巻いて、シャッターもレバーでチャージして、スナップに はほど遠い。何が悲しかったかと言うと、フィルム代。高いフィルムで12 枚しか撮れない。これで写真と暗室作業を仕込まれたのですが。おかげで、 じっくり構えて撮るのが身に染みついてしまいました。 時にはオヤジのペンタックスを借りて、1眼の便利さと精緻なメカに憧れま した。今でも健在なのが大学時代に買ったコニカC35。半切まで無理なく伸び るレンズで、これのおかげでAEの速写性に目覚めて、しばらくはスナップ ざんまい。しばらく中断ののち、現在はシステムカメラとしてOM4を中心 に使ってます。
お礼
6×6の二眼レフって・・・・今、小学生が使っていたら物凄く異様な光景ですよね・・・・(失礼(^^;) 当時も相当目立っていたんでしょうね。 私は二眼レフに触ったことがないのですが、我が家の古い写真(私が生まれる直前の頃)の写真を見ると、ほとんど6×6なので、ひょっとしたら父も持っていたか、誰かに借りて使っていたのかもしれません。 C35は、実は今私の最も欲しいカメラのひとつです・・・・・(最近ジャンク漁りにハマッていまして)・・・・・私も銘機のひとつだと確信しております。 mars2015さん、ありがとうございました。 P.S. 以前どこかの質問で、ごいっしょしたような気がします(回答で)。今後とも宜しくお願いいたします。
- sekiya-h
- ベストアンサー率61% (1543/2514)
>うわぁ~、出ましたね、オリンパス・ペンFとFT! >すごい銘機ですよね、今でもお持ちなんですか? 中学生時代、活躍してましたが、残念ながら、ご臨終し、どっかに片付けてあるはずです… >その後のニコマート、ニコンFMについても、 お言葉に甘えまして、 中学時代、ペンと平行して父のニコマートも使用していました。 その後、高校入学祝として「ニコンFM+43~86F3.5?」を買ってもらい、ニコマートと共に使用していました。写真部に入り、写真三昧という時代でしたね。 写真仲間は皆、機種が違い「OM-1+タムロン」「ペンタックス+40mm」「ミノルタXD+?」、レンズの貸し借りは出来ませんでしたが、楽しく過ごせました。 写真屋のバイトでお金を貯め、ニッコール 80~200mmF4.5を購入したのも思い出。(なんせ、高かったのですから)その後、43~86mmを下取りに出し、グリップ型ストロボ購入。何灯か、ワイヤレスで光らすとかしましたよ。24mmF2.8 を購入してからは広角レンズにはまり、そればかり使用していました。フィルムはTRY-X。イギリス製?の微粒子フィルム現像剤を使用して、ASA800で使っていました。 ヤシカの営業所長と仲良くなり、コンタックスRTSを借りて撮影したときは、ツアイス?35mmF1.4 のコントラストの繊細さに驚きました。修学旅行や文化祭の映画制作のときは、どさくさにまぎれ、ニコンからF2MD付に20mm~500mmレフレックスまで十数本のレンズと8mmカメラ(ダブル8でしたっけ?)を借りていました。 夕刊の学生写真のコーナーに何回か写真を紹介してもらったり、「月刊カメラマン」の取材で記者の方と白鳥の写真を撮りに行った事もありました。そのときは、タムロンの500mmを持ってきて頂いたのですが、自分のテレプラスを付け1000mmF11として使用したら、暗くてどうしょうも無く、提供されたネオパン400を12800まで自分で増感しました。ネガ見ているだけで粒子が解る…。(それも一つの効果?) 写真部の発表会の前は、学校の引き伸ばし機のレンズを無断拝借し、自宅にて作業。納得出来るまで焼き直しをしてたら、一晩で4切り100枚近く使用してしまった。(もちろん白黒ですよ) ジャンルは問わず撮影してました、洪水時の記録写真は某市立図書館に数十枚保管されているとか?(現像した写真屋さんが言ってたのだが未確認)山登りで蝮に遭い、クローズアップで撮影したり…。一般的な写真も撮りましたよ。ポートレートとか。 ●とんでもなく長くなったので中略。 今は、写真から離れてしまいましたが、機会があれば復帰したいと思っています。その前に、昔のネガからCD-R焼かなければ…。 支離滅裂な文章になりましたが、お子様と仲良く写真を楽しんで下さい。
お礼
なんだかドップリ浸かっていらっしゃったんですね、私もタジタジ・・・・(^^;。 しかし、学校の写真部には所属したことの無い私ですが(当時はそれほどカメラに熱を上げていなかったので・・・)、考えて見ればみんな好き勝手なカメラを持ち寄って、それぞれ交換して撮影したり、談義に花を咲かせたり・・・・、きっとさぞかし楽しい所だったんでしょうね。sekiya-hさんの貴重な青春の一コマ、いや数十コマかな(????)。お聞かせくださってありがとうございました。
- asuca
- ベストアンサー率47% (11786/24626)
>それからミノックスの35mmカメラ・・・・想い出しました、ありましたね、レンズが沈胴式のすごく小さいヤツ・・・・あれってハーフサイズだったんですか・・・? そうです、カメラの前のふた部分を開くとレンズがにゅうっと出てくるやつです。ハーフサイズですよー。 シャッター音が異様に小さいので人にとってもらうときはだいたいが撮った後カメラを見てとれたかどうか首を傾げていました。
お礼
うーん、残念ながら私の所には超小型カメラ(LX、EC)以外、ミノックスは35mmフルサイズの35PE、35PL、35GTしか資料がありませんでした。 でも、おかげでハーフサイズが有った事を初めて知りました。 ありがとうございました。
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お礼
>昨今デジカメの売り上げが、銀塩カメラの売り上げを超え >てしまいました。一体カメラの将来はどうなるのでしょ >う。銀塩派としましては気になる問題です。 私もそう思います。 以前、このOKWebでもAPS存続についてのQだったのですが、その中で私は、 35mmは一眼レフ、レンジファインダーのよりマニアックな方向へ。 レンズ付きフィルムはAPSへ。 一般の人たちが使うコンパクトカメラはすべてデジタルへ。 といった予想をしました。 オーディオの世界で、アナログレコードからCDにほんの数年で一気に変わったのに比べればかなり穏やかなものですが、今後はさらにデジタルに移行していくんでしょうね。 しかし、私も一眼レフをずーっと使いつづけてはいましたが、実はパソコンを買って2年くらいはデジカメを使う方が多かったのです。 でも、改心しました(^^)。 しかもここへきて、30~40年前のカメラにハマッているのです。 ですから、趣味としてのカメラ、写真がある以上は、銀塩カメラは不滅だと思います。
補足
asucaさん、last_timeさん、sekiya-hさん、Naodon1020さん、mars2015さん、ikkyu3さん、hirakawaさん、そしてcomdotさん、この度はご回答ありがとうございました。 私の気持ちとしては皆さん全員ポイント20点です。 素敵な思い出の数々をお聞かせいただけて心より感謝いたします。m(_)m。。