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「ミシシッピー・バーニング」 創世記9章27節とは?
人種差別問題を描いた「ミシシッピー・バーニング」を見ました。 KKK(Ku Klux Klan)の一員である、ペル保安官代理(?)の妻の台詞についてお伺いします。 「学校で人種差別は聖書にあると(習った)」 「創世記の9章27節」 と言うのですが、一体どういう解釈をしているのでしょうか? サーチエンジンでざっと調べてみたのですが、素人の私には理解しがたいものばかりでした。 この映画は実話を基にしていてもかなり脚色されているようなので、この台詞にも嘘があるのかもしれません。 もしそうであれば、その点ご指摘ください。 よろしくお願いします。 ※私は人種差別主義者ではありません。
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『ミシシッピー・バーニング』。迫力あるいい映画でしたよね。 聖書巻頭の「創世記」。神はアダムとイブから始めて人間をつくったが、堕落が進んだのでこのさい大洪水でチャラにしてしまおう、でも正しいノアの家族と一つがいずつの動物だけは救った(映画『天地創造』で概略は分かります)、という話はおおよそご存じですか。それだけ神に認められ、ちょくせつ話ができるほど敬虔なノアだったのに、晩節をけがしたと思われる行為が9章21節~27節に書かれています。 つねに神に見られていることを分かっていたはずなのに、酔っぱらって裸で寝込んだノアが一番悪いのだが、それを最初に見たハムはすぐに保護せず兄弟に告げ口しただけだった。「オヤジがおい、スッポンポンだよ!」とでも言って馬鹿にした調子だったかもしれません。ひきかえセム・ヤペテはオヤジの裸を見ないように、神様にも恥ずかしくないように、慎重に隠してあげた。 それでノアはハムを他の兄弟の「しもべ」となるようにと命令した。古い聖書では「奴隷」と訳す場合もあったようで、これが原理主義者が「神は奴隷制度を認めている」と曲解主張する根拠のようです。 >実際にはどういう意味を込めて書かれたものなのか・・・ 明確には分かりません。ハムの子孫に「ソドム、ゴモラ」という神の原子爆弾?で滅ぼされる土地が含まれていることが後付で理由になるだろうか。私が言えるのはモーセやダビデにしろ、聖書に登場する人物でいっさい欠点や失敗を指摘されないのは、新訳のイェスだけだということです。
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- JCSGS
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●>それにしてもなんて不思議な物語(?)なのでしょうか。 たとえば『古事記』『日本書紀』も、天の岩戸の話をはじめとして現代からみると首をかしげるエピソードが続きますよね。各地の口伝を編纂したと日本史で習いましたが、民話的な要素も混じって書かれたのは聖書も同様な面があると思う。 でも成立の背景として、記紀の場合は藤原不比等を中心とする為政者の、律令国家確立への意思がはたらいている(梅原猛のうけうりですが^_^;)わけで、その10世紀以上前の旧約聖書も、最初の「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」はモーセ5書といって、映画『十戒』などで描かれた古代ユダヤ国家が成立するあたりに編まれた史書です。なんらかの意図、はあったでしょう。 "罪をおかした"のはハムなのに、なぜ息子のカナンが「のろわれよ」となるのか、の理解は難しいです。続く10章の子孫の記述では、ハムとカナンは他の兄弟よりも多い行数でたくさんあげられます。とくに息子カナンの子孫として「シドン、ヘテ、エブス人、エモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、・・・」は、続くヨシュア記で「女子ども」にいたるまで「聖絶した」と書かれる民族の多くが含まれます。 これをもってget2moonさんの言う >いかにイスラムの民が神に選ばれた民族であるか、「約束の地」カナンの侵略・征服の正当化が 書かれているのだと思います。 と読むかどうか。「愛の神」が強調される新約に比べて旧約聖書は「怒る神」であるとよく言われます。ささいな、と一見みえる行為で得られるべき祝福が与えられなかった、エピソードが多くあります。神みずから「ねたむ神である」の記述も多く、ヨシュア記でのカナン侵攻、がハムの罪の結果ゆえだとしているなら、もっと記述があってしかるべきとも思う。とはいえ後世から結果でとらえられるのは仕方がないかもしれない。記紀神話も最終的に大国主命を出雲大社にまつるまで(怨霊史観と伊沢元彦はいう)の正当化がなされています。でもそこから ●>神も人種差別をしている事になるのですね。 と飛躍していいのでしょうか。広辞苑第4版では「人種」とは「人間の生物学的な特徴による区分単位」であり「偏見によって或る人種を社会的に差別すること。ナチスのユダヤ人排斥、白色人種による有色人種に対する差別待遇など」とあります。その前例がここの箇所だった、といえるでしょうか。 現在のイスラエル国家はパレスチナ民族を一部「侵略・征服」しているでしょう。ローマ帝国しかり。戦前の日本も中国・朝鮮を「侵略・征服」し労働力として酷使した。そこに征服者たる優越意識から「民族的な差別」行為や意識はあったでしょう。けれど「人種差別」とは言えないでしょう。 >異文化・異宗教の)ハムの子孫【カナン人】を 神がしもべ【奴隷】とした 「しもべ」をかりに「奴隷」と訳したとしても、現代人が受ける感覚とはおそらく異なっています。『十戒』でも『ベンハー』でも『グラディエイター』でもみればわかるけれど、王族・市民の下に膨大な数の「奴隷」がいたわけで、会社でいえば社長・重役の下の部長・課長・係長・平社員はすべからく奴隷、みたいなものです。被征服者として酷使され非人間的な扱いを受けたとしても、「人種的な差別」をされたのではない。 そういえばget2moonさんもANO-1では「人種(又は異文化・異宗教)差別」とカッコ付けしているのですが、ANO-3で「神も人種差別をしている」と断定しては誤解をまねきます。KKKやナチスが唱えた「理念としての人種差別(およびその行為)」と「征服した民族への差別」とは、同じ搾取がおこなわれても違います。ことは、揚げ足取りではなく、舌足らずですまされるのではなく、かの映画の保安官助手の妻に対しては聖書的にも論破しなければならないのです。 ●となると、征服者であれ「民族的な差別」を神は認めたのか、の再設問はありえます。これについては少なくともカナンの地の占領までYESと認めた方がいいでしょう。「聖絶せよ」ですから、民族の興亡を繰り返した人間の歴史のひとつとして、支配被支配の関係上で「民族差別」は存在したでしょう。また、民族的主体性を確立するうえで絶対者からの「お墨付き」を史書のなかに必要としたこともあると思う。(ここまで言うと正統的な聖書の読み方、としては反論があるでしょうが) >現在は 教会も聖書のこの部分には 触れないようにしているみたいです。 ヨシュア記も含めてこう言われることがありますが、私の通っている教会では日曜礼拝のテーマは「聖書通読」が基本ですから、そんなことはありません。暴力での征服、が隠されずに描写される箇所は平和教育を受けた私(たち)にとって一読では理解しにくい面があります。ソドム・ゴモラのように退廃が進んだ部族ではあったらしいけれど。 ただジーザスに至る聖書全体としてみると、ユダヤ人にとっての神、であるはずなのに、全世界に行き渡るほどの普遍性、有用性をもった存在として描かれていることも事実なのです。そこから私(たち)は現代にも通じる教訓や警告、励ましやなぐさめ、倫理感など、尽きせぬものを受けとることができます。 >若い世代にはこの部分を知らない人のほうが多いということでしょうか? 聖書はなにせ大部の著作ですから、キリスト教の礼拝で取り上げる場合でも牧師・神父とかの主宰者が伝えやすい箇所を選択し、とりわけて重要な部分ではないとして読み過ごす場合はありえます。 ●とにかく映画を通して聖書にご関心をもった方が >神が人種差別を認めているとしたら本当に悲しいですね と誤解してほしくありません。ためしに図書館なんかででも原典にあたってみてください。たいへんなら、三浦綾子『旧約聖書入門』あたりなら取りかかりやすいだろうと思います。 ※>残念なことに 人種差別をなくすことは 難しいと思います。 じゃなくて、なくさなければならないのです。人が差別-偏見によってその才能を発揮できないのは社会的な損失です。地球規模で物事を考えねばならない時代に、肌の色がどうの、出自がどうのとか言ってられません。 ※映画カテゴリのQ&Aが、哲学の面が強くなって長々と。映画を通して「知識を共有化」するのも楽しいから、いいですかね^_^;) ※>白人と黒人のカップルがごく普通に登場する・・・上辺だけ取り繕っているような気が・・・ うーん、パウエルやライスが国務長官になる時代ですからねえ。その政策の評価はともかく実力がないと無理だと思いますよ。1964年に公民権法(人種・宗教・性・出身国による差別禁止)1965年に投票権法(黒人の投票権剥奪を禁止)の法律ができてから変化してきたのは事実でしょう。日本の被差別部落の問題やアイヌ問題、女性の機会均等のことにしても、法律とかの「上辺」を「取り繕」う所から始まることがあると思いますよ。 >違和感を感じてしまう ように作るヘタクソな映画作家が見受けられるのであって、ウーピー・ゴールドバーグの映画なんかしっかり「違和感」を突き抜けていると思うけれど。 古事記、大国主命については http://www.taishamokko.com/rekishi.html 聖書の年表については http://www7.ncv.ne.jp/~church/bible/bib-nenpyo.htm 『旧約聖書入門』については http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334700721/249-2211183-9261121
お礼
締め切り後にもかかわらずご回答ありがとうございました。 哲学的な話がとても苦手なので、どうお答えすれば良いのかわからず申し訳ありません。 それにしても宗教や差別の問題は根が深く難しいと感じます。
- get2moon
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旧約聖書の創世記には いかにイスラムの民が神に選ばれた民族であるか、「約束の地」カナンの侵略・征服の正当化が 書かれているのだと思います。 だから 親を辱めた(礼儀を知らない=異文化・異宗教の)ハムの子孫【カナン人】を 神がしもべ【奴隷】としたという話なのでしょう。 神も人種差別をしている事になるのですね。 現在は 教会も聖書のこの部分には 触れないようにしているみたいです。 映画は60年代の南部での話ですが、 私が南部のアラバマに住んでいた80年代の初めでも 黒人と白人の住む地域ははっきり分かれて 黒人が 白人の地域でアパートを借りる事も買い物も出来ない状態でした。 その当時 東洋人は白人に近い人種と言う事で 私は 白人のアパートに住んでいましたが 友人(中国人)が 白人女性と結婚した時は 色々な嫌がらせがありました。 アメリカの人種問題は 根が深く 悲惨な話が沢山有ります。 南部の差別はダイレクト的、北部(東海岸・西海岸を主に)での差別は 間接的で陰険なように感じました。 それも この2,30年で随分 変わりました。 現在のアメリカの教育では 異文化を尊重するという事を子供達に教えるようになっています。 それでも 家の中での大人の考え方が 子供達に与える影響が大きいことは否めません。 残念なことに 人種差別をなくすことは 難しいと思います。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 神の存在を肯定も否定もしていない立場ですが、神が人種差別を認めているとしたら本当に悲しいですね。 「現在は教会も聖書のこの部分には触れないようにしている」とのことですが、では若い世代にはこの部分を知らない人のほうが多いということでしょうか? 実体験をお聞かせくださりありがとうございました。 アメリカへ行ったことすらないのですが、南部はとても保守的だという話をよく聞きます。 しかし形が違うだけでどこにでも(人種間だけに限らず)差別は存在するのでしょうね。 この日本にも差別は存在するわけですし。 私も差別が完全になくなるのは人間が滅びない限り無理だと思います。 ところで、映画(特にアクション)を見ていてよく疑問に思うのが、白人と黒人のカップルがごく普通に登場することです。 なにも悪いと言っているわけではなく、上辺だけ取り繕っているような気がして違和感を感じてしまうのです。
補足
とても参考になりました。 お二方ともありがとうございました。
- get2moon
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それは ノアの箱舟の話の最後の部分に当ります。 箱舟から出てきたノアの息子達は、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。この3人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれでた。 ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父ノアの裸を見て、後ろにいる兄弟に告げた。セムとヤペテは後ろ向きに歩いていって、父の裸を着物で覆った。彼らは、父の裸を見なかった。ノアが酔いからさめて、末の息子が自分にしてことを知って、言った。「呪われよ。カナン。兄弟たちのしもべとなれ。神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」 カナン人が呪われ キリストがもたらされたイスラエル人の先祖であるセム、ヨーロッパ系の先祖ヤペテが褒め称えられるのです。 人種(又は異文化・異宗教)差別を正当化する為の解釈です。 カナン人については・・・ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%B3
お礼
ご回答ありがとうございます。 何度も読み返したのですが、聖書を一度も読んだことがないためかほとんど理解できませんでした。本当に難しいですね。 実際にはどういう意味を込めて書かれたものなのか・・・人によってかなり解釈が分かれそうな文章だと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 大変わかりやすい説明で素人の私にもよく理解できました(と思います)。 それにしてもなんて不思議な物語(?)なのでしょうか。 なんらかの教訓が込められているとは思うのですが、本当にどうとでも解釈できますよね。 例えが悪いかもしれませんが、「ノストラダムスの大予言」のように。 「ミシシッピー・バーニング」、かなり脚色されているとのことで少々残念にも思ったのですが、史実どおりにするととても見ていられないような内容になるからでしょう。私もこれ以上残虐なシーンのある映画なら正視できなかったと思います。