有栖川有栖 スウェーデン館の謎
おすすめの推理小説家を教えてください。という質問で高い割合でこの有栖川有栖という名前が挙がっていたので古本屋にあったのでためしに「スウェーデン館の謎」というのを読んでみました。率直な感想として
この人、文章力はないんじゃないか。
確かにミステリーとしては素晴らしい。そのシナリオもさることながらさまざまな所に張られた伏線。その回収も見事なほどだ。
しかし違和感を感じざる得ない所も多々ある。順に一つずつ上げていく。
まずは句読点の多さ、これは知っている。人にもよるが、一昔前の作品は現在の作品と比べるとだいたい2倍くらいの多さで句読点がある。そんなにいらないだろと思うがこれが昔の手法であったとするならば納得はいく。
次に主人公、有栖川有栖の視点の入れ替わり。基本この人の一人称で小説は書かれているが、数行で視点が誰かと入れ替わっている所がある。しかも行数も変えずに。他にもいきなり誰かの回想シーンと思わしき文章に話が飛んでいったり、いきなり「彼」という言葉を使い始め、「それは誰なんだよ!!」と突込みがいれたくなる。火村の呼び名がいきなり助教授に変わっていたり。あと、途中でこの作品を有栖川有栖(作中の)小説、日記のような感じで書いていると思わせる文もあった。なんじゃそりゃ?実際ネタが良い分、この文章力が一番の問題だ。
小説としての劣化。この作品にはその時代背景を写すような偉人であったり人物の名前が登場する。それを見るとさも知っていて当たり前のように書いてあるので、今現在それを知らない私たちは置いていかれた気持ちになる。作者がこの作品を後世に残すかで多少作風も変わってくると思うが、別にそんなことはどうでもいいのだ。私が言いたいのはもしかしたら今でも世に残る名作、傑作などの作品は現代の私たちが読んだ時、はたして手放しで素晴らしいと言えるだろうかということだ。「当時だったらすごかったんでしょ」私が映画の犬神家を見た時の感想だ。いきなり映画で申し訳ない、小説は読んでいない。しかし当時は色あせなく輝いていたあの作品も、今にして見ればそう騒ぐものでもない平凡なものだなと、小説にも言えることではないだろうか。その是非を問いたい。傑作名作はありしも完璧な小説はないと私は思う。
最後に細かく突っ込みたい所など。
物語の半ばまで来て火村をペンションに呼ぶ有栖。「おまえが解くんじゃねえのかよ!」。あとがきを読んでわかったことだが、この人のシリーズではこの二人が軸として登場するらしいが、初見の私にとっては驚きだ。別に有栖が主人公でなくて火村が主人公でよくね?無駄に遠まわしな感じでなんだかもぞ痒い。
「括弧があっても次の行にすることなく、一文にしてしまうんだ」という突っ込み。いまなら必ず行を新しくするなどの手法をするのに、ここでは二重括弧も使わずそのまま括弧の中に括弧を入れるなどの場面もあった。いまこういう風に書いたらダメだしをくらいそうだ。
上記に色々ことを書いてきましたが、ここで質問したいことをまとめます。
1・もしかしたらこの作者の作品にこんなに荒が見えるのは、たまたま私が読んだこの「スウェーデン館の謎」だけ?ほかのこの人の作品はそうでもない?(あとがきに2ヶ月のかつてないスピードで書いたってかいてあったし)
2・句読点の多さ。やはりこの作者に限ってのことなのか、時代背景によるものなのか。
3・やっぱり一人称だとしても変な文章あるよね?それはもしかして崇高な文で私にはまだ理解できないだけ?
4・どんな傑作でも劣化はあるよね?ないと言うのならその作品を教えてください。
5・括弧の中に括弧をいれてはいけない、三点リーダ(…)とダッシュ(―)は二文字分を使って書く、などほかにも文章作法はあるが、これらは最近になってようやく定着したもので昔はなかったのかどうか。
6・結局、有栖川有栖に文章力はあるのか、ないのか。(ミステリーのネタ、シナリオは除く)
長文になってしまってすみません。ここまで読んでくれただけでもありがとうございます。