>3です。
【・・それに対して、仮にnobuchiさんが、好きでもなんでも無い女性とSEXをした場合、心底惚れている女性に対するのと同じ「愛撫」ができるのでしょうか?】
ううっ、「好きでも何でも無い」ときましたか(^-^;
おそらく『できます』。
正直、アブノーマル趣味のみの合致ではした事はないんですよね。そういったパートナーにしてもやはり、見た目や性格や、どこかに好意を感じるから「欲望」も果たせるのですよ。つまり、愛情は無くても、好みの部分があって「ムラムラ」来る女性なら・・・・・
・・・・『できます。』
いわば成り行きの女性でも、ベッドの上だけは「最愛の人」として愛し、接する自信があります。
自分で言うのも変ですが、何と言うか・・慈悲の心とでも表現するか・・、が私は自分の中にあると感じています。
逆説的ですが、愛情は無くても、行為してるうちに「擬似愛情」へと変わってしまうんですよ。ですから、「最愛の人」と同じ事ができます。
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対して。
たとえば・・、宇宙人に拉致られて監禁され、
無関係な初対面の女性を出され、
「お前、こいつと交尾しろ」
なんて強制された状態を想像しますと。
・・・・・・・・・・・・
・・『ああっ、できません。許してください。』
女性としてより、人間として「触れる」事からできませんね、きっと。興奮のしようがないですし、セックスそのものが無理だと思います。
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そう考えると、
「愛撫」は結果でもあるが、「愛撫」から始まるものもある。
そんな感覚でしょうか・・。
お礼
nobuchiさん、お礼が遅くなり、失礼を致しました。再度のご回答をありがとうございます。 何だか、とても納得できちゃいました。 人間って、確かに「好みのタイプ」があって、例えばフーゾクなどでも、好みのタイプの相手を選べる訳ですよね? それって、動物としての人間の感性にいちばん触れる部分であって、野生動物が求愛行動をした結果、交尾に至る過程に似ているとお思いになりませんか? ところが、ヒトは、感情の生き物だから、それが大きく影響する。だから、例え外見が好みのタイプでも、仮にその女性の性格がnobuchiさんにとって最悪だったら、もしSEXができても、「愛撫」はできない。 すみません、勝手に分析をしてしまって。 「慈悲」という言葉を使われたもので、nobuchiさんにとっては、やはり、精神性の部分が、いちばん大きいのではないかと思ったのです。 逆に、「成り行きの女性」とでも、深い愛撫ができるというのは、相手の性格を良く知らないからではないかと? でも相手が違っても、「内容」が同じだったら、SEXの後の満足感も、同じなのでしょうか?