同性愛=脳の構造の違い という考えが有力なのはなぜ
当方男性です。
この前、自身が同性愛と感じているので、カウンセリングに行ったのですが、脳の構造の問題とは関係なく、当方の生活スタイルに原因があると指摘されました。
カウンセラーは元某国立大学の心理学の教授で、家族ぐるみで小学生の頃からのお付き合いなので、当方の家族状態や当方自身の事は割と知っている先生です。
当方、現在女性に興味が無く、恋愛欲求が全くありません。
セックスしたいとも思いません。
その一方で、男性の画像などを自慰に使ってしまうことが多いです。
そういう状態である事を説明した所、ずばりこう言われました。
「社会に出て、もっと色んな人と関わらなければ、異性が好きになる筈はないです」と。
確かに、当方はかなり内向的ですし、中学も高校も男子校でしたし、大学も工業系に進みましたし、現在定職に就いてないので、ちゃんとした(異性が含まれる)人間関係は送れていないのは確かです。
そこで「同性愛、異性愛は脳の構造の問題というのは無いのですか?」と聞いたんですよね。
そしたらあっさりと否定されました。
「だから、人付き合いをきちんとして、『この異性となら仲良くなりたい、考えを共にしていきたい』という人があなたの生活範囲内に居ない事には、具体的であろうと抽象的であろうと、異性に興味が持てないなんて当たり前じゃないですか?」と言われました。
確かに言われてみれば筋が通っていますし、その通りです。
「異性愛は本能じゃないのですか?」と聞いた所、「違います」と言われました。
「確かに性欲は本能な所もありますが、あなたの場合は自慰をしますよね。自慰をしてペニスが勃起して、射精をすることができますよね?それが出来ているならば本能的な意味での性欲は極めて健全な状態ですよ。異性愛がどうの同性愛がどうのなんて物は性欲本能の一部として含まれる物ではありません」と言われました。
当方、男性なのに男性の画像などで自慰をしますが、脳の構造だの、本能だのに障害をきたしている事はないそうです。
そこで、「確かに異性では自慰は殆どしません、しかし同性の画像などで自慰をします。しかもこちらは頻繁にやってますよ」って話を聞かせました。
それに対してもこんな回答を受けました。
「だからそれは、先ほど言った通りあなたが(異性が含まれる)社会生活を送ってないからですよ。でも同性ならあなた自身がそうですから、多少なりに心とか身体とかが分かるじゃないですか。本能的な性欲はあることですし、性欲がそこに行くのは当たり前です」と言われました。
確かに筋が通っていますし、実際にそんな感じがします。
当方は同性の画像を用いて、それに自身を投影したり憧憬したりする対象にする事によって、性欲をかき立てる対象にして自慰を行っていると思います。
先生の考察は完全に図星でしたし、極めて納得が行きました。
最後に、「そんな訳で、変な時間に寝起きしたりせず、最低限決められた生活リズムを送る様にしてみて下さい」と、結論づけられました。
どうやら同性愛は脳の構造の問題ではないようです。
異性に恋愛感情や性的感情を感じられず、同性に性的興奮をして自慰を行うのは、脳の構造とは無関係で、生活スタイルの問題な様です。
しかしながら、「同性愛は異性愛者と脳の構造が異なっている」「異性が好きになるのは本能である」という考えがまかり通っているのでしょうか?
どうやら脳の構造には問題がないらしいし、本能にも全く逆らっていないらしいけど、当方は同性愛に目覚めています。