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学校の意味
現在29歳で、高校卒業から11年、中学時代は15年ぐらい前になりました。 ふと学生時代を思い出してみると「なんか意味あったかな」と思います。 部活は運動部で当時は友達も多かったですが、結局大人になって1回も会っていない人ばかりですし、部活をやっていたと言っても別にプロの世界に挑戦したわけでもないですし。 私自身は同窓会には1回も行ったことがありません。 勉強も中途半端で、「将来の夢は?」というありきたりの質問はいつも苦手で「公務員」とかテキトーに書いていた記憶があります。 しかし今現在、不幸かと思うと全くそんなことはなく、むしろなんの意味があるかよくわからない学生時代のほうが楽しくありませんでした。 (ちなみにいじめられた経験は一度もありません) 学校って意味あるのでしょうか?
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- hawaiianboss
- ベストアンサー率0% (0/1)
現在より過去がつまらないと思う学生時代だっただけで、未だ気づかない意味が絶対にあったと思いますよ。 良くも悪くも必ず役に立つ経験を今までもこれからも築くものだと思います。 たとえ不幸な思い出も人生の糧にするから成長できると思いますよ。 つまらない写真も見る時代によって注目できます。
- Kitty1101apple
- ベストアンサー率32% (20/61)
学校は、教科の勉強で一般教養を身につけることはもちろん、色々な友達との関わり等で人間関係や社会なスキルを学んだり、部活動で仲間と団結しながら同じ目標に向かって進んでいったりすることで、自分自身を成長させる場だと思っています。私は高校卒業からまだ三年、中学卒業から6年しか経っていませんが、幸せな恋愛をしていなくても、部活で後輩から尊敬されていなくても、今思い出せばどれも何事にも代えがたい思い出になっていますし、たまに戻りたくなります笑。私も、小中高で一緒だった友達で今も会っている人はほとんどいませんし、中高と吹奏楽部に所属していましたが音大には通っていません。ですが、どんな仕事をしているとしても、「あのときの自分がいたから今の自分がいる」と思えることに変わりは無いと思います。学生時代どうだったかで全てのステータスが決まるわけではないので、今の自分の生活が充実しちればそれでいいと思います。
? 学校へ行っていなければ、この質問文も”書けません”が。? 学校の起源(?)は、寺子屋だったかと。(読み・書き・そろばん 多分・・・ 質問者様、何か、学校の意味を”はき違えている(勘違いしている)かと。 https://www.nier.go.jp/04_kenkyu_annai/pdf/kenkyu_01.pdf
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
- ベストアンサー率13% (1225/8758)
意味はあります。 学校は社会の縮図です。 子供が幼児から子供になり思春期を迎え大人になる 人生を形成する時期に学び、遊び、ともに過ごす そこは学びの場でもありますが 大人になって社会に出ていく模擬試験場です。 そこで鍛えられ初めて社会に出ていけるのです。 勉強の好きな子、スポ-ツが得意な子 書道、絵の得意な子、リ-ダ-シップの取れる子 いろいろな子がいます。 その中で学び遊び社会性を身に付けていくのです。 泣きもし、笑いもし、共同で作業もし、 社会に旅立つ予備の場であると思います。 親だけではできない事です。 学校教育は必要です
- ノーバン(@nobound)
- ベストアンサー率13% (295/2111)
自分の場合学校では、いい子で自分を殺して全員と関わっていたことはほとんど意味がなかった。 大人になって、素の自分で社会のいろんな人と関わることは本当に大変で、かれこれ30年かかっていますが、今も人間関係で踏み外しそうになると、「社会人は人間関係で失敗できないけど、1度踏み外す失敗をしないと社会性が身につかないので、キレてもまあまあ許される学校が欲しい。」と知人に言っています。 1つ、いい子が人間関係をもう一度やり直す学校の必要性は感じます。難しいけど。学校は、社会人より人間関係が大らかでぶつかっていろいろあっていい所ですね。
- 31192525
- ベストアンサー率19% (705/3543)
Idjxhdhdhさん、こんにちは。 イヤなことをするのが「仕事」。嫌なことでもやらなくてはなりませんね。それと同じで、子供にとって勉強はイヤなもの。学校では嫌でもやらなくてはいけなかったでしょ。 『嫌なことから逃げ出すような大人にならないためには重要な場所』 だったと、私は理解しています。習ったことなんで大半は役に立ちませんけどね。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6888/20370)
学校の意味 校則には理不尽なルールが多いとよく言われる。 それは 理不尽だろうと そこにルールがあれば黙って従う そんな労働者を大量生産するために存在します。 国の方針です。 だから企業側にとってはとても意味があるのです。 個人の側には そんな意味は不要ですね。
- d6yc4das
- ベストアンサー率17% (5/28)
答えはあなたの中にあります。 無ければ無いです。あればありです。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1499/3651)
もちろんそれはその人次第で異なって当然ですが、同じ人でも年齢を重ねるに連れて考えが変わることもあります。 私の場合、学校で学んだ教科は、「世渡りの手段」としてはそれなりに役立てられたと思いますし、このOKWAVEで回答する際にも役に立っているはずですが、それが「学校に通った意味」だとは思えません。むしろ年をとるにつれて学校に通ったことの最大の意味は同級生や先生との出会いではなかったかと考えるようになりました。 九州で高校までを過ごした私は、50年前東京の大学に進学し、その後就職して転勤族となりました。学生時代(中学〜大学)の友人とは、それぞれ異なる職業に就き、違う場所に住み、家族もできてくると、学校を卒業して2,30年くらいは年々疎遠になっていきました。これは自然なことでなので無理をして交際を続けることはないと思いました。 ところが、卒業後3、40年くらい経つと、なぜか懐かしくなり、また会ってみたくなりました。このため中学・高校などの「還暦記念同窓会」は盛況になることが多いのでしょう。勝手な造語ですが「同窓会年齢」があるように思います。5、60歳から70代くらいまで、「同窓会が最も盛り上がる時期」のことです。 卒業してしばらくは、学生時代の友人との会話でも進学や就職・昇進・結婚などがよく話題にされ、「競争意識」もありました。しかしサラリーマンなら最初の勤め先の定年を迎えるころになると、そうしたギラギラしたものは薄れ、子どもや孫のこと、自分の健康、親の介護など、「誰にでもある身近な世界」が話題の中心になります。そして他人との競争ではなく、それぞれ自分自身の「来し方行く末」を考えるようになります。 こうした身構えない会話が可能なのも、世間的な利害に重きを置いていなかった十代のうちからの付き合いがあればこそ、なので、無理をしない範囲で先生も含めて学生時代の出会いや友人関係は大切にした方が良かろうと思います。 若い多感な時期に同じ学校に通っていたという事実は貴重なものだったと50年後に気づきました。下の歌を詠んだ石川啄木は26歳で死去してしまいましたが…。 盛岡の中學校の バルコンの 欄干(てすり)に最一度(もいちど) われを倚(よ)らしめ
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2726/12281)
あるかないかはあなた次第です。今のあなたが出来上がったのは、その中学高校時代があったからなのは間違いなく、無視することはできないと思います。ですから、意味があったかないか(今の自分の基礎に貢献しているか)はあなたの考え次第で問題ありません。
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