例えば相手を小馬鹿にしたような歌詞のうち、断言する部分は裏声や柔らかにビブラートを効かせた形で唄っています。
そのためこの歌に、まともに言い返せない人がせめて胸中での文句を言っている歌、的な"弱さ"が付与されます。
この"弱さ"が無ければ、この罵詈雑言だらけの歌詞は強い立場の人が弱い立場の人をいたぶっている意味に歌詞が変化してしまい、この歌を嫌う人は恐らくもっと増えていたでしょう。
この一聴しただけでは乱暴にがなり立てているだけかのように聴こえる、しかし実は名人芸的な繊細さを堪能できるが故に、私は
「共感は出来ない」
「けれども好き歌」
とでも言うべき印象になっています。
もちろん、歌詞をそのまま唄ったらただただ下品で、暴力的で、酷いものだと思います。まともな神経を持った人ならとても聴くに堪えない気持ちになって当たり前です。
なので私がこの歌が好きなのは、あくまでadoさんの歌唱が有っての事です。
もしadoさんが、この歌を徹頭徹尾「ただただ感情的な歌」として演出しなかったら。
歌詞から論理性を排除することで暴言を吐いているのが弱い立場の者、つまり歌全体を「負け犬の遠吠え」、良い風に言い変えたとしてもしょせんは「窮鼠猫を噛む」の域を出ていない立場の人の歌へと変えていなかったら…。
私はこの歌を嫌いになっていたと思います。
その場合でも、酷いけれども出来の良い歌、である事だけは否定できなかったでしょうけどね…。
お礼
ありがとうございました