sonsin の回答履歴

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  • 人生観

    今、人生観についてのレポ-トをやっています。 今回は自分の人生観についてを書くんですが、 参考に、色んな人の人生観を知りたいです。 有名人や歴史の人物、たくさんの事を知りたいです。 お願いします。 カテゴリ-を哲学にしましたが、 違ったら教えてください。

  • 優しさと厳しさの違い

    優しさと厳しさの違いを説明して下さい。 分かるようで、分からないんです、、。 習い事教室でなんですが、2人すごく可愛い生徒がいて、一人はあまり真面目にせず、宿題もやってこないで、お洒落で周囲の気を引いてるかんじでした。 もう一人は、とにかく必死で努力して、みるみる実力がついてるのがわかりました。この人も可愛い人でした。 で、先生(男性)は前者には、どうみてもいい加減なのにとても「よくできたね~すごいね~かわいいねえ~」と褒めていたんですが、後者の方には必死で頑張ってるのに「~も分からないの?~を目指してるなら~くらい知らないと!」と厳しい指導でした。 とても、嫌ってるとかひいきとかは思いません。 前者には優しく、後者には厳しいという愛情と感じました。 どのような対象に対して、このような違いが出るのでしょうか? また男性が女性に対する場合、優しくしたいのを我慢して厳しくしてるのですか?それとも、厳しくしてしまいたいなにかが相手にあるから自然とするのでしょうか?もしくは男性によるのですか?(誰にでも優しくする、誰にでも厳しくする、とか) またある男性は、「女の子は厳しくされた方が幸せになる」と言ってました。なぜでしょう? 質問が漠然としてまともらないのですが、このあたりで回答、感想、ご意見を下されば嬉しいです。 なんでもいいです。よろしくお願いします。

    • tempor
    • 回答数6
  • 仕事の楽しみ方

     仕事は正直辛いことが多く、大変なのですが、それが当たり前だとも思ってきています。ただもっと何かのバージョンを変えて今年からは楽しめるようにしたいなっと思っています。  そこでそういった考えをお持ちの方また実行されている方何か、皆さんがされている方法、考え方などあれば是非教えて頂けませんでしょうか?小さなことでも結構です!!  また今回は、そういった考え以外の方の「それは違うなど」のお答えはご遠慮頂きたいと思います。(すいません。) 色々伺いたいと思います!アドバイスください!

    • 1873
    • 回答数2
  • 日本語にはなぜこんなに外来語が入っているのでしょうか?

    日本語には夥しい外来語が入っていますよね。中には既に日本語にあるのに、わざわざ外来語というか英語を多用しますが、それにはどんな要因が考えられますか? また、最近の質問「http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2636206.html」である方の回答によると、常用漢字の制定により常用漢字外の使用が制限され、また義務教育で中国語を習うこともないので、同時代的で国際的な繋がりも弱まり。日本語では漢字の成長力が止まってしまったそうです。それで、その方の意見によりますと「中学校で英語の代わりに中国語を教えたら 外来語の不必要な使用にも歯止めがかかり、状況が変わってくるかもしれない。」というようなことを仰っていました。私はこれも満更悪くないような気がします。というのは、初めての外国語なら英語よりは中国語の方が取り付きやすいだろうし、どうせコミュニケーションの為ではなく、試験の為の外国語なら何語でも同じだろうとも思います。それに、幼稚園から英語を習っても出来ない人は出来ないし、大学で第2外国語を始めてもマスターする人はマスターするので、高校で英語を始めても大きな支障はないようにも思います。論点がはっきりないと思いますが、タイトルにある質問と合わせてご意見を戴ければ幸いです。

    • noname#25548
    • 回答数11
  • ホンマに?『愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ』

    明けまして、おめでとうございます。宜しく御指導のほど。 このたび或るかたから伺ったお話です。 「聖徳太子非実在説」なるものが説得力を持ってきた、とのことで歴史方面に(どの方面でも、なんですが^^;恥)疎い私は思わずギョエ~ほんまに?!と驚きました。かつて一万円札の看板だったオトコマエの秀才の誉れ高い、あのかたが。。。 それだけじゃない、そもそも「日本書紀」とかだって信用できないということで、そういえばキリスト教の聖書も創作性濃厚で、なんのことはない、こんにち伝わっている、あらゆる表向きの歴史的記述物は、いわば「勝ち組」側に、つごう良くつくられたものなのである、ということが思い出されました。 そこで思ったのが『賢者は歴史に学び…』です。 そんなら「歴史」ってなに?なにを学ぶの? 書物を読むことが歴史に学ぶこと、それは先人の経験に学ぶということという解釈のかたもおられますが、結局「経験」じゃ~ないですか。 なお私は経験とは与えられるばかりでなく切り開いてゆくものでもあると思います。厳密には読書することも、そのなかに入り得ますが個人的実体験量が豊かになるほどに他者の書いたもの話すことも、より深く理解し易くなると実感しています。 疲労気味ゆえ打てば響く反応はできかねますが、こんな私にも分かり易く御考えを御披露くださるかた、お待ちしております。