pluteking の回答履歴
- DEATH NOTEが降って来ません
大学で窓を眺めているのですが。 DEATH NOTEが落ちてきません。 何がいけないのでしょうか?
- 締切済み
- その他(生活・暮らし)
- hatunemiku2800
- 回答数11
- 人生に意味や目的はあると思いますか?
よろしくお願いします。 人は赤ちゃんで生まれてきて、やがて死にます。絶対に。 この、生まれてから死ぬまでの時間、 つまり、人生に「意味」はあると思いますか? また、人生に「目的」ってあるんでしょうか? 「ひろ さちや」さんの著書の中にこんなことが書かれていました。 サマセット・モームの「人間の絆」という本のなかで、次のような逸話があるそうです。 とある国の国王が人間の歴史を知りたくなり、 学者(賢者)たちに命じて、500巻の人間の歴史の本を要約するように命じました。 20年が過ぎ、学者は500巻を50巻に要約しました。 でも国王は気力が衰え、読むことが出来ず、もっと要約するように命じました。 そして、さらに20年が過ぎ、学者は50巻を1巻に要約して国王の所に来ました。 しかし、国王は、もう臨終のベッドで、 学者は1巻の人間の歴史の本をわずか1行に要約して国王に、こう告げました。 「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ、それだけです。 人生の意味など、そんなものは、なにもない。 そして人間の一生もまた、何の役にもたちません。」 と。 この引用は、かなりの極論だと思いましたが、 私は、子供を育て上げることさえ出来れば、その他にあまり望むものは無いなぁ、と、 そう感じました。 皆様はどのようにお考えますか? どうか、よろしくお願いします。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- noname#215716
- 回答数26
- バカな親を持った子供
私は3人姉妹の末っ子で、今中学3年生です。 そろそろ進路の話も出てき、 親と相談する機会も増えると思うんですが 私の母親は中卒で高校の知識が全くありません。 ですが今までに2人、高校受験をした娘を見てきたはずです。 先日初めて進路希望(今のところの希望)の手紙を貰いました。 これは親と話し合って 子の希望、親の意見 を書く紙です。 私はちゃんと親にこういう高校に行きたいなどちゃんと相談しました。 ですが親は「よく分からない」や「したいようにすればいい」 とちゃんと話を聞いてくれませんでした。 結局私は親ではなくお姉ちゃんに聞いて自分の希望を書いたのですが 親の意見は親が書かなきゃいけないのでその紙を渡して 意見を書いてもらったのですが、その文を見て愕然としました。 「本人の意見を尊重します」とだけ書かれていたんです。 私はちゃんと親の意見も聞きたいし、本当にこの学校に行ってもいいのか お金はあるのか、受験の時の質問はないのか聞きたいのに 「本人の意見を尊重します」ってどうなんですか? これまでにも三者面談やらなんやらで先生の方から 『なにか質問はありますか??』と聞かれた時 「特にないです」や「本人が楽しんでるならそれでいいです」やら 言って、聞いてる子からしたらすごい恥ずかしいし 子供に関心あるの?と疑います。 中卒だからこうなんですか? この親はバカな親ですか? こんな親を持ってる私はバカな子供ですか? 文がぐだぐだになり主旨がないかもしれませんが 要するに バカな親なのか知りたいだけです。 こんな親を持って将来が不安です。 それに最近私を理由に仕事をサボってます。 いい加減してもらいたい。
- 人生がむなしいです
人生がむなしいです。 人は何のために生きるのか、考え込んでしまいます。 このようなむなしさに囚われている人に、どのようにすれば有意義な人生を送れると考えているか、聞いてみたいです。 【回答についての注意事項】 ・この「むなしさ」を一度も体験したことの無い人には、いくら言葉を尽くしてもムダですので、始めからこの質問に参加しないでください。 ・念のため付記しますが、この「むなしさ」とは、日常性に埋没し切ってて退屈だったけど、フランス語の勉強始めたら毎日が楽しくなったんだ! とかそういうのとは全然違います。誤解を招くかもしれませんが、もっと哲学的なものです。そして、「なぜ生きるか。なぜ必ず死ぬのに生きるのか」自分の全存在を賭けての問いです。 これが実感としてわからないなら、参加しないでください。 ・「じゃあ死ねば」式の回答は不要です。 ・このような質問の仕方をすると、私自身の人格を問うような「そもそも論」を得意げに披露する人があらわれることと思います。また「カテ違い」とか何だとか、不毛な脇道に導く人も出そうです。先に言っておきますが、そのような回答は不要です。質問に答えられる人のみ参加してください。 ・確かに、膠着した議論において、「そもそもどこで間違えたんだ?」と問うことは有意義ですし、そこで鮮やかな切り口で議論を活性化させる知性には、誰もが憧れることと思います。よく見られることとして、そうした知性の担い手は私であり、そうした賞賛は私こそが受けるべきだと考える自己愛にまみれた人が、時に鼻息荒く「そもそも論」を展開することがあります。しかし、往々にして「そもそも質問者おかしくね?」式に、「だったらおまえはどうなんだ」っていう小学生みたいな切り口しか示せないことが多いですね。 ・繰り返しますが、この「むなしさ」を知るものだけに問いかけているのです。あなたはむなしさを感じながら、どうやって生きているのか。場合によっては、どのようにそのむなしさをごまかしているのか? ・繰り返しますが、鼻息荒く的外れなおせっかい回答をするような人は不要です。参加しないでください。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- awiudyfgha
- 回答数107