Revoltesのプロフィール
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- 登録日2011/03/01
- 「真理はわれらを自由にする」では社会は真理か?
真理とは ありのまま誤りなく認識されたことのあり方 と Wikipedia にはあった。しかし我々の目には ありのまま に認識する能力は はたして有るのだろうか。この世界には 可視光以外にも 色々な光が明滅を繰り返しているのだ。 この視覚に於いて既に 我々が ありのままを認識できない事 を物語っているではないか。ああ 何という能力の至らなさ。 では我々の社会は 偽の上に造られた事になる。 そこで問いたいのです。偽の上に造られた社会に於いて 偽の上に造られた真理が 何を以て我々を自由にする事が できるのか? さっぱりです (。・ω・)
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- noname#150036
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- 元気っちゅうもんは人様にあげることができる?
最近、若手の運動選手が、試合に負けたあとの感想表明などで、「みんなに元気をあげることが出来て良かった」とか、「これからもみんなに元気をあげたいと思います」などの発言をするのが気になります。 はたして、元気っちゅうもんは人様にあげることができるんですかい? いえね、ピカソのゲルニカを見て元気を貰う人がいたり、ベートーベンのハンマークラフィアを聴いて元気を貰う人がいるのだから、野球や水泳の試合を見て元気を貰う人がいたって一向に不思議じゃなないんです。疑問なのは、「貰う」方じゃなくて、「あげる」方なんです。 運動選手と言えば、嘉納治五郎や大山倍達の伝記を読んで、ずいぶん元気をもらった記憶がありますし、ベルリンオリンピックで活躍した水泳の前畑秀子選手からは元気を貰った人が多いと聞きます。しかし、嘉納さんや大山さんや前畑さんが「元気をあげたい」なぞと言ったでしょうか? 嘉納治五郎や大山倍達や前畑秀子たちが言わなかったことを、21世紀少年(少女)たちが発言するようになったのはなぜだと思いますか?
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- 哲学・倫理・宗教学
- Mokuzo100nenn
- 回答数51
- 元気っちゅうもんは人様にあげることができる?
最近、若手の運動選手が、試合に負けたあとの感想表明などで、「みんなに元気をあげることが出来て良かった」とか、「これからもみんなに元気をあげたいと思います」などの発言をするのが気になります。 はたして、元気っちゅうもんは人様にあげることができるんですかい? いえね、ピカソのゲルニカを見て元気を貰う人がいたり、ベートーベンのハンマークラフィアを聴いて元気を貰う人がいるのだから、野球や水泳の試合を見て元気を貰う人がいたって一向に不思議じゃなないんです。疑問なのは、「貰う」方じゃなくて、「あげる」方なんです。 運動選手と言えば、嘉納治五郎や大山倍達の伝記を読んで、ずいぶん元気をもらった記憶がありますし、ベルリンオリンピックで活躍した水泳の前畑秀子選手からは元気を貰った人が多いと聞きます。しかし、嘉納さんや大山さんや前畑さんが「元気をあげたい」なぞと言ったでしょうか? 嘉納治五郎や大山倍達や前畑秀子たちが言わなかったことを、21世紀少年(少女)たちが発言するようになったのはなぜだと思いますか?
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- Mokuzo100nenn
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- 元気っちゅうもんは人様にあげることができる?
最近、若手の運動選手が、試合に負けたあとの感想表明などで、「みんなに元気をあげることが出来て良かった」とか、「これからもみんなに元気をあげたいと思います」などの発言をするのが気になります。 はたして、元気っちゅうもんは人様にあげることができるんですかい? いえね、ピカソのゲルニカを見て元気を貰う人がいたり、ベートーベンのハンマークラフィアを聴いて元気を貰う人がいるのだから、野球や水泳の試合を見て元気を貰う人がいたって一向に不思議じゃなないんです。疑問なのは、「貰う」方じゃなくて、「あげる」方なんです。 運動選手と言えば、嘉納治五郎や大山倍達の伝記を読んで、ずいぶん元気をもらった記憶がありますし、ベルリンオリンピックで活躍した水泳の前畑秀子選手からは元気を貰った人が多いと聞きます。しかし、嘉納さんや大山さんや前畑さんが「元気をあげたい」なぞと言ったでしょうか? 嘉納治五郎や大山倍達や前畑秀子たちが言わなかったことを、21世紀少年(少女)たちが発言するようになったのはなぜだと思いますか?
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- Mokuzo100nenn
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最近、若手の運動選手が、試合に負けたあとの感想表明などで、「みんなに元気をあげることが出来て良かった」とか、「これからもみんなに元気をあげたいと思います」などの発言をするのが気になります。 はたして、元気っちゅうもんは人様にあげることができるんですかい? いえね、ピカソのゲルニカを見て元気を貰う人がいたり、ベートーベンのハンマークラフィアを聴いて元気を貰う人がいるのだから、野球や水泳の試合を見て元気を貰う人がいたって一向に不思議じゃなないんです。疑問なのは、「貰う」方じゃなくて、「あげる」方なんです。 運動選手と言えば、嘉納治五郎や大山倍達の伝記を読んで、ずいぶん元気をもらった記憶がありますし、ベルリンオリンピックで活躍した水泳の前畑秀子選手からは元気を貰った人が多いと聞きます。しかし、嘉納さんや大山さんや前畑さんが「元気をあげたい」なぞと言ったでしょうか? 嘉納治五郎や大山倍達や前畑秀子たちが言わなかったことを、21世紀少年(少女)たちが発言するようになったのはなぜだと思いますか?
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- Mokuzo100nenn
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