zero-point の回答履歴
- なぜ神は初めから被造物の個体数を多く作らなかった?
なぜ神は最初から被造物の個体数を多く作らなかったのですか? 神は人に言いました。『産めよ。増えよ。地に満ちよ。』それなら、最初から人の数を沢山作ればよかったのでは? 他の生物も同様で、少ない個体数を作って自分勝手に増えるように設定するよりも最初から無尽蔵に作ればよかったのではないでしょうか。その方が効率が良い気がしてなりません。 この質問に対する解釈を求めています。よろしくお願いします。
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- noname#142902
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- 悟りを得た(とされる)最新の高僧
歴史上の高僧の中には、悟りを得たとされる人が多くいます。 たとえば一休宗純が、カラスの鳴き声を聞いてにわかに悟った、というように。 このように、悟った(と多くの人がみなしている)僧の中で、できるだけ新しい時代の人を挙げると誰がいるでしょうか。現代日本にもいるのでしょうか。
- 「保守的」という言葉の使い方について
次のような意見文がネットにありました。 その中の★「保守的」という言葉の使い方についてお伺いいたします。 ********************************* ・・・次のような指摘を、ネットで見つけました。 (例) 「より」と「から」を混同しない。 「より」を「から」の意味に使っているケースが、散見されます。「より」は、比較を表す場合に使い、起点を表す場合は、「から」を使います。 ・悪い例 A社より、当社と取引するという電話がありました。 ・よい例 A社から、当社と取引するという電話がありました。 しかし辞書を開ければ、格助詞の「より」には動作・作用の起点を表わすという記述が見つかります。この方は、どうも文法をあまりご存じないらしい。あるいは用法を狭めるべきだと主張しているように思えます。しかしそもそも、それほどまでに日本語の文法がしっかり決まっているのでしょうか。あるいは、将来的にしっかりと決めなければならないものでしょうか。 文章を修練して「美しい日本語」を目指されている方は、多くいらっしゃると思います。しかし、我流なのか、あるいは学術的な裏付けがあるのか知りませんが、もともと用例があったものを認めなくなりつつあるという★保守的な風潮を、いかがお考えでしょうか。・・・ *********************************** 【質問】 「もともと用例があったものを認めなくなりつつある」ことは「保守的」なのでしょうか。 「保守」とは、もともとあった用例をそのまま認めてその用法を守っていくことではないのでしょうか。 (「美しい日本語」について一家言をお持ちのような御方の文なのでチョッと気になりました)
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- noname#134290
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- 「保守的」という言葉の使い方について
次のような意見文がネットにありました。 その中の★「保守的」という言葉の使い方についてお伺いいたします。 ********************************* ・・・次のような指摘を、ネットで見つけました。 (例) 「より」と「から」を混同しない。 「より」を「から」の意味に使っているケースが、散見されます。「より」は、比較を表す場合に使い、起点を表す場合は、「から」を使います。 ・悪い例 A社より、当社と取引するという電話がありました。 ・よい例 A社から、当社と取引するという電話がありました。 しかし辞書を開ければ、格助詞の「より」には動作・作用の起点を表わすという記述が見つかります。この方は、どうも文法をあまりご存じないらしい。あるいは用法を狭めるべきだと主張しているように思えます。しかしそもそも、それほどまでに日本語の文法がしっかり決まっているのでしょうか。あるいは、将来的にしっかりと決めなければならないものでしょうか。 文章を修練して「美しい日本語」を目指されている方は、多くいらっしゃると思います。しかし、我流なのか、あるいは学術的な裏付けがあるのか知りませんが、もともと用例があったものを認めなくなりつつあるという★保守的な風潮を、いかがお考えでしょうか。・・・ *********************************** 【質問】 「もともと用例があったものを認めなくなりつつある」ことは「保守的」なのでしょうか。 「保守」とは、もともとあった用例をそのまま認めてその用法を守っていくことではないのでしょうか。 (「美しい日本語」について一家言をお持ちのような御方の文なのでチョッと気になりました)
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- noname#134290
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- 超能力をひらびかした2人の話
その一人はガラリア湖を裸足でスタスタと歩いて渡ったという伝説上の人物である。 彼はその後村の風紀を乱したとしてローマ軍により捕らえられ死刑を宣告され、ゴルゴタの丘の上で十字架に張り付けられて処刑されたが7日後に生き返って神になったと言われている人物である。ただし、伝説上の人物なので実在したかどーかは定かでない。 もう一人は、空中浮揚を行ったと自称する者で、彼は地下鉄にサリンを巻いた事件の首謀者として捕らえられ死刑を宣告され、現在刑務所で臭い飯を食っているとゆー人物である。 二人の共通点は共に超脳力をひらびかしたとゆー点にあるが、彼ら2人が披露したとされる超能力の中身についてはこの御両人とも同一レベルであったとしかわしには思えんのであるが、皆はどー思うか聞かしてくれ。
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- アルケーの神は偉大なり
宇宙の法則、万物の根源であるアルケーの神を除いて神は存在しない アルケーの神は唯一絶対である、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神は永遠無限である、 アルケーの神は永遠不変である、 アルケーの神は永遠不滅である、 アルケーの神は偉大である これを否定できる者などおるまい。
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- アルケー的なものとは何か
アルケー的な、あまりにアルケー的なものとは何か。 このアルケー的な問に対して思い浮かぶものと言えば、 ターレスの水であり、 ヘラクレイトスの火であり、 ピタゴラスの数であり、 デモクリトスの原子であり、 「人の道」の宇宙の法則であった。 皆はどー思う。
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- アルケーの神は偉大なり
宇宙の法則、万物の根源であるアルケーの神を除いて神は存在しない アルケーの神は唯一絶対である、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神は永遠無限である、 アルケーの神は永遠不変である、 アルケーの神は永遠不滅である、 アルケーの神は偉大である これを否定できる者などおるまい。
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- 超能力をひらびかした2人の話
その一人はガラリア湖を裸足でスタスタと歩いて渡ったという伝説上の人物である。 彼はその後村の風紀を乱したとしてローマ軍により捕らえられ死刑を宣告され、ゴルゴタの丘の上で十字架に張り付けられて処刑されたが7日後に生き返って神になったと言われている人物である。ただし、伝説上の人物なので実在したかどーかは定かでない。 もう一人は、空中浮揚を行ったと自称する者で、彼は地下鉄にサリンを巻いた事件の首謀者として捕らえられ死刑を宣告され、現在刑務所で臭い飯を食っているとゆー人物である。 二人の共通点は共に超脳力をひらびかしたとゆー点にあるが、彼ら2人が披露したとされる超能力の中身についてはこの御両人とも同一レベルであったとしかわしには思えんのであるが、皆はどー思うか聞かしてくれ。
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- 超能力をひらびかした2人の話
その一人はガラリア湖を裸足でスタスタと歩いて渡ったという伝説上の人物である。 彼はその後村の風紀を乱したとしてローマ軍により捕らえられ死刑を宣告され、ゴルゴタの丘の上で十字架に張り付けられて処刑されたが7日後に生き返って神になったと言われている人物である。ただし、伝説上の人物なので実在したかどーかは定かでない。 もう一人は、空中浮揚を行ったと自称する者で、彼は地下鉄にサリンを巻いた事件の首謀者として捕らえられ死刑を宣告され、現在刑務所で臭い飯を食っているとゆー人物である。 二人の共通点は共に超脳力をひらびかしたとゆー点にあるが、彼ら2人が披露したとされる超能力の中身についてはこの御両人とも同一レベルであったとしかわしには思えんのであるが、皆はどー思うか聞かしてくれ。
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- アルケーの神は偉大なり
宇宙の法則、万物の根源であるアルケーの神を除いて神は存在しない アルケーの神は唯一絶対である、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神は永遠無限である、 アルケーの神は永遠不変である、 アルケーの神は永遠不滅である、 アルケーの神は偉大である これを否定できる者などおるまい。
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- 滅びる者にとっても キリストの良い香りと言うのは
どうしてか? 次の文句をどう解釈するかを問います。 ▲ (パウロ:コリントの信徒への第二の手紙) ~~~~ 2:15 ・・・救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。 2:16 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ( a ) 《救われる者には命から命に到らせる香りである》のは分かるとして 《滅びる者には死から死に到らせる ≫良い香り≪ である》のは どういうことか? ちなみに いづれの場合にも 《キリストを知るという知識の ≫良い≪ 香り》(2:14)であるようです。同じ《香り》であるようです。 ( b ) 《滅びる者》あるいは《死から死に到らせる》というのは どうも 十字架上のキリスト・イエスから目を離す人びとを言っているのではないか? その意味は 神をではなく 無い神を心に抱く人びとのことではないか? ( c ) 《滅びる》とは 有る神が滅びるという言葉による表現上だけの問題であって そのような別様に(十字架から目を背けて背中越しに)キリストを見る人びとは いわゆる無神論の信仰を抱く者として その信仰によって救われる。こう言っていまいか? ( d ) したがって《死》も ただ表現上の問題であって 十字架上から目を背けることを言うのみではないか? ただ もし多少とも《死》とかかわりがあるとしたなら それはそのように目を背けたあと 神も無い神もいづれも抱かなくなった場合 そうすると きわめて相対主義的な顔も目鼻もないのっぺらぼうの思想(生活態度)によって生きることになる。これは《死》ではないか? ( e ) 《良い香り》が そのような生活における慣性の法則にしたがうような心のくせを死に至らしめたことになる。いわゆる独我論は この良き香りによって(あるいは 酔って)みづからをみづからが殺したその結果である。のではないか? やや特殊な主題ですが 湯気が立っている生まれたてほやほやの考えですので おしえてください。
- 滅びる者にとっても キリストの良い香りと言うのは
どうしてか? 次の文句をどう解釈するかを問います。 ▲ (パウロ:コリントの信徒への第二の手紙) ~~~~ 2:15 ・・・救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。 2:16 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ( a ) 《救われる者には命から命に到らせる香りである》のは分かるとして 《滅びる者には死から死に到らせる ≫良い香り≪ である》のは どういうことか? ちなみに いづれの場合にも 《キリストを知るという知識の ≫良い≪ 香り》(2:14)であるようです。同じ《香り》であるようです。 ( b ) 《滅びる者》あるいは《死から死に到らせる》というのは どうも 十字架上のキリスト・イエスから目を離す人びとを言っているのではないか? その意味は 神をではなく 無い神を心に抱く人びとのことではないか? ( c ) 《滅びる》とは 有る神が滅びるという言葉による表現上だけの問題であって そのような別様に(十字架から目を背けて背中越しに)キリストを見る人びとは いわゆる無神論の信仰を抱く者として その信仰によって救われる。こう言っていまいか? ( d ) したがって《死》も ただ表現上の問題であって 十字架上から目を背けることを言うのみではないか? ただ もし多少とも《死》とかかわりがあるとしたなら それはそのように目を背けたあと 神も無い神もいづれも抱かなくなった場合 そうすると きわめて相対主義的な顔も目鼻もないのっぺらぼうの思想(生活態度)によって生きることになる。これは《死》ではないか? ( e ) 《良い香り》が そのような生活における慣性の法則にしたがうような心のくせを死に至らしめたことになる。いわゆる独我論は この良き香りによって(あるいは 酔って)みづからをみづからが殺したその結果である。のではないか? やや特殊な主題ですが 湯気が立っている生まれたてほやほやの考えですので おしえてください。
- 滅びる者にとっても キリストの良い香りと言うのは
どうしてか? 次の文句をどう解釈するかを問います。 ▲ (パウロ:コリントの信徒への第二の手紙) ~~~~ 2:15 ・・・救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。 2:16 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ( a ) 《救われる者には命から命に到らせる香りである》のは分かるとして 《滅びる者には死から死に到らせる ≫良い香り≪ である》のは どういうことか? ちなみに いづれの場合にも 《キリストを知るという知識の ≫良い≪ 香り》(2:14)であるようです。同じ《香り》であるようです。 ( b ) 《滅びる者》あるいは《死から死に到らせる》というのは どうも 十字架上のキリスト・イエスから目を離す人びとを言っているのではないか? その意味は 神をではなく 無い神を心に抱く人びとのことではないか? ( c ) 《滅びる》とは 有る神が滅びるという言葉による表現上だけの問題であって そのような別様に(十字架から目を背けて背中越しに)キリストを見る人びとは いわゆる無神論の信仰を抱く者として その信仰によって救われる。こう言っていまいか? ( d ) したがって《死》も ただ表現上の問題であって 十字架上から目を背けることを言うのみではないか? ただ もし多少とも《死》とかかわりがあるとしたなら それはそのように目を背けたあと 神も無い神もいづれも抱かなくなった場合 そうすると きわめて相対主義的な顔も目鼻もないのっぺらぼうの思想(生活態度)によって生きることになる。これは《死》ではないか? ( e ) 《良い香り》が そのような生活における慣性の法則にしたがうような心のくせを死に至らしめたことになる。いわゆる独我論は この良き香りによって(あるいは 酔って)みづからをみづからが殺したその結果である。のではないか? やや特殊な主題ですが 湯気が立っている生まれたてほやほやの考えですので おしえてください。
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