kurinal の回答履歴
- 世界に問おう、日本はこのままでいいのか?
この21世紀の煮詰まった閉塞感の世界に問いたい 日本はこのような現状でいいのか?平和憲法を捨て、国民に格差を生じ 酷い労働環境、借金塗れなのに大幅な赤字予算、少子高齢化でも職がなく 有っても難民は受け入れない。 それで自分たちだけは一番強い国にくっついて行こうと言う 長いものには巻かれろ式のポリシーの無さ。 日本に思想などあるのだろうか?日本に哲学があるのか? 前回は存在論を問いましたが・・・今回は哲学を問います。 日本の哲学とはズバリ何?簡潔に表現して下さい。 一字でも構わない。
- 人間は神話が無いと生きていけない?
人間は神話が無いと生きていけない、生きる意味とかが見えなくなるから、と先日頭の良い人がそう言ってました 興味があったので、もうちょっと詳しく知りたいと思ったのですが、tvだったのでこれだけでした この後 その人の著作 youtubeなどで見れる 全ての出演動画をチェックしましたが このことについて これ以上言及している部分は ありませんでした 勿論ここで言う、生きていけない、は脈が止まるとかの直接的な命の話しではないです これは、どういう意味での発言だと思いますか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- noname#210719
- 回答数4
- 資本主義や右傾化に代わる主義はないのか?
最近世界は資本主義化、右傾化してるように思います。 アメリカも資本主義は勿論、議会の圧倒的な一致(反対は一人)でイラク人を10万人殺しました。 日本も資本主義が強まり右傾化してきました。自民党の圧勝です。 世界の国も右傾化している国が多いのでは?中国自体が資本主義化・右傾化?しています。 北朝鮮も共産主義なのか王政なのか分からないような独裁に近い有様です。 何かおかしくはないでしょうか?変だとは思いませんか?日本ってこういう国でしたっけ? 大体資本主義なんて主義はないです。誰かが考えたわけでも資本主義者が議会で増えたわけでも 憲法に書かれてる訳でもありません。 旧来資本主義には共産主義が対抗してきましたが上手く行きませんでした。 だから第三の主義が必要なのですが、それが協力主義です。 人が力を合わせて経済や政治をやって行こうと言う主義です。 競争原理もありますが、度を越さない様に累進課税的なものも取り入れます。 お金よりも人の活力、生き甲斐、良心を大事にします。 協力主義にはバックになる思想があります。存在性思想と言いますが 此処では宣伝できません。 皆さんは資本主義、共産主義の次に来る主義はどんな主義だと思われますか? イメージだけでも構いませんので考えてみて下さい。 このままでは日本は苦しい社会になってしまいます。世界大戦が始まらないように。 ぜひ知恵を絞ってみてください。
- 『南無妙法蓮華経』、、、て?
『南無妙法蓮華経』、、、て、どなたが最初に言いはじめたのですか?? 日蓮正宗では、御存知の様に日蓮大聖人が、立教開宗時より自行化他にわたる『南無妙法蓮華経』を唱え始め、“竜の口の法難”以降、御本尊として文字として残されたようです。その後、“佐渡流罪”を経て“熱原の法難”時に本門戒壇の大御本尊として定められました。 『南無妙法蓮華経』は、日本天台宗・比叡山延暦寺の最澄も自行のために題目として唱えていました。それをさかのぼること中国天台宗の智顗も自行のために題目として唱えていました。 法華経はインドより中国にわたる段階で、鳩摩羅什により漢訳されていますが、いったいどなたが『南無妙法蓮華経』を唱え始めたのでしょうか? 鳩摩羅什による漢訳の時点で、既に存在していたのでしょうか? お分かりになる方がおりましたら、教えていただけますでしょうか? また、その際文献も一緒に載せていただけるとありがたいと思います。 宜しくお願いいたします。
- 存在(者)とは何か?存在論を打ち上げてください。
哲学の世界は様々な哲学があって それぞれで存在(者)の定義も違うのではないでしょうか? あなたは存在とは何だと思いますか? 無のような内容のないものでしょうか。それとも存在が全てであって存在しないものはない? あなたは存在(者)とは一体何だと思いますか。簡潔に教えて頂けませんか? よろしくお願いします?
- 因果応報説は 共同主観にはならない。
1. 因果律とは 別です。 2. なぜなら因果応報説のほうには 原因や結果となるモノゴトに 善悪ないし苦楽という主観による規定がつけ加えられます。 3. すなわち 善因善果(ないし善因楽果)また悪因悪果(ないし悪因苦果)という考え方は主観の範囲を出ない。 4. すなわち 善悪はこれを主観が判断するのだから けっきょく因果応報の説は 自業自得という考え方である。ゆえに 主観の範囲を出ない。 5. 言いかえると その前提(初期条件)として 神の愛の――または ブッダの慈悲の――えこひいきがあることを意味する。のではないか? 6. ものごとがぜんぶ〔歴史の初めから〕一貫して自業自得であったならば えこひいきではないのだが 自業自得というのは 主観の範囲を出て有効になることはないのだから けっきょく自業自得としてすら 規定することにも意味がない。 7. 自業自得は へりくだってこれこれの結果はわたしの自業自得でした 責任はひとえにわたしにありますと語ることはあっても 他者との話し合いの主題には 最終的な意義を持つものとしては 成り得ない。 8. つまり ひとつの解決法としては 初期条件において ナゾの何ものかによるエコヒイキがあったという見方が出される。 9. ▼(風は気ままに吹く) ~~~~~~ わたし(=神)は 〔双子の兄の〕エサウを憎み 〔弟の〕ヤコブを愛した。 (マラキ書 1:2-3) ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 10. 前項は 母親レベッカの胎内にいるときからのことだと言う。言いかえると 神の愛を われわれ人間が勝手にこれこれこうだと決めつけてはダメであるようだ。 11. ダメというより もし人間が理解できるようなその愛ないし慈悲の仕組みであるならば その仕組みをわれわれ人間が仕組みなおすことも可能だとなってしまう。 ですよね? 12. ただし 主観の問題としてわが心の内なるいわゆる善行の道は捨て去ることもない。と考えてよいか? 善と言うのも 主観による判断なんですけれど。
- 心の明けが いちばんだ。
おそらく ヒラメキの問題である。 ハカラヒが無いということ。 心の伸びとは何か? 心の明けとは何か? けれども伸びと言っても 心がじっさいに伸びるものではない。 明けと言っても 心に何か窓のようなものがあってその窓を開くというわけでもない。 なぜなら 窓の内と外といった捉え方そのものが たぶん――ヒラメキ問題については――そぐわない。内外という捉え方から自由に 直感および直観がおとづれるのだと思われるゆえ。 そうだとすると たぶん 心の明けというのは ひとことで言って 《心が閉じられていないこと》だ。 ということではないか? 《閉じられていない》とは とうとく偉大なことなのだ。 たぶん これが 信教・良心の自由の中身である。 何でもをえらべる。 これを問います。思いっきり自由にご見解を述べてみてください。
- 米中を取り持つくらいの平和外交が何故出来ないのか?
中国は前から北朝鮮と親密です。今は韓国とも接近しています。 中国なら南北朝鮮を和解させる事が出来るのではないでしょうか? それが実現すれば日本は中国と韓国と北朝鮮とまるごと和平条約を結べばいいのです それしかないでしょう?それともアメリカを背景に 三国と戦いますか? 日本は、この中国と米国の親和に努力すべきでしょう 太陽と北風です 幾ら抑止力などといって戦力を増しても危険は広がるばかりです。 和平条約、神話条約を結ぶ外交で米中を結べば、日本も安定します。 なぜそんな事が出来ないのでしょうか? 「政治」に投稿しましたが、反映されなかったのでこちらに質問します。 こちらの方が良いと思います。
- 他人の言葉で 自分の心が傷つくか?
1. あり得ないのではないだろうか。 2. あらためて問います。 というのは 他人の心の状態を――ミラーニューロン現象のように――わが身に帯びて しかもその相手の人生ないし思想を見守るがごとく〔主観的にですが〕引き受けるというとき じつはその相手と同じような心の傷を引き継いだ状態になることはあると考えられるからです。 3. 《すべての人に対して――こちらはまったく自由人であるとき それと同時に――それぞれ相手の人と同じようになる》ことはあり得るからです。その相手の問題をともに〔ただしむろん主観的にだけです〕解決する方向にわが身を置くということ。 4. そのような場合 わが身もわが心もあたかも傷ついたような状態になる。ことはあり得る。 けれども 相手が述べたイツハリの言葉はむろんのこと真実を伝える言葉であっても その言葉でこちらが傷つくということはあり得ない。 ――この命題を提出し 成否・当否を問います。 * 5. おのれのやましさ〔なる心とその行為〕によるよりほかに 自分の心が落としめられたり傷ついたりすることは あり得ないと考えられる。マチガイを侵さないのに どうして心が沈むのか。 6. この質疑応答の場でも やり取りの中で 相手の言葉づかいが原因で傷つき ついに退会したといった議論が聞かれます。 おのれの心のやましさによるのでないなら どうして傷つくことがあるだろうか。 7. 情況が自分にとって必ずしも良くはないときにさらにその思いを必要以上に噛みしめねばならなくさせるような酷い言葉やののしりの言葉などを聞けば まづひとはおどろく。 8. しかも きよらかなおそれをつねに持つひとは ひとたびはおのれの身の振る舞いについて返り見ることをおこなう。心に――その心なる海のおもてに――波風が立ちそのような一時的・心理的なゆらめきさえを覚える。 9. けれども 心がやましくなければ 心が傷つくなどということは あり得ない。 せいぜい 相手がまだ人間における心の深さに気づかずその高みにも到っていないことをおもんぱかり 何とか助けにでもなれないものかと心をいためるのみである。 10. もし傷ついて去って行ったとするなら それは そのひと自身のあやまちであるしかない。おのれの心にやましいところがあったからである。 11. 精神が傷つくことはあり得ない。 心なる海の上に波風が立つのみ。 深く傷つくのは 自業自得のみ。
- 心の明けが いちばんだ。
おそらく ヒラメキの問題である。 ハカラヒが無いということ。 心の伸びとは何か? 心の明けとは何か? けれども伸びと言っても 心がじっさいに伸びるものではない。 明けと言っても 心に何か窓のようなものがあってその窓を開くというわけでもない。 なぜなら 窓の内と外といった捉え方そのものが たぶん――ヒラメキ問題については――そぐわない。内外という捉え方から自由に 直感および直観がおとづれるのだと思われるゆえ。 そうだとすると たぶん 心の明けというのは ひとことで言って 《心が閉じられていないこと》だ。 ということではないか? 《閉じられていない》とは とうとく偉大なことなのだ。 たぶん これが 信教・良心の自由の中身である。 何でもをえらべる。 これを問います。思いっきり自由にご見解を述べてみてください。
- 死すべきは神か人か?
人が自らもたらした惨劇に、 おメメキラキラ、 おメメうるうる。 乙女チックな男子プリキュア。 キュアブルームよ~ん。 遺跡とかで過去の文明を発掘調査すると、神殿が特に注目されるよね。 いかなる神をいただき、その文明は栄えたか。 それがその文明に生きた人を知る事だ。 イスラム国は面白いね。 あれは、イスラム文明の自己崩壊作用だ。 世界的に警戒されるイスラムのテロ行為は、イスラムが異教徒を敵としているからだ。 その凶悪なテロリストがイスラム国に集結して、同じイスラム教徒に聖戦をしかけている。 関係国の地政学上の利害の分析はいくらでもされている。 それと別の私の分析だ。 硬直して、自己変革しないイスラムの体質が自らを破壊する形で変革するんだ。 戦争は成立しない。 殺戮の過程だけがある。 国境とは別の、イスラムの中だけの内乱だ。 部外者の適正な対応はイスラムの隔離と監視だ。 殺戮に参加する権利があるのはイスラム教徒だけで、異教徒として阻害された関係国は、せいぜいイスラエルを念頭にした、援護爆撃だな。 哲学になにが出来るかって。 イスラム国の成立がイスラムの崩壊の始まりだと脅す位かな。 似たような事として、文化大革命をやらかした中国は国連加入を果たしたじゃないか。 その過去の失敗が、進行中の現代史でいかなる教訓となるかな。 石油は気にしなくていい。 今回の崩壊は石油価格をあげない。 むしろ下げる。 イスラム圏外の産油国が、下落傾向にある石油価格で、財政を維持するため、めいいっぱいの増産をしてその場しのぎをする。 採算割れしている、アメリカのシュールガスは、それでも新規油田を安定して開発中だ。 日本の原発の再稼働もするな。 長期的な地球温暖化ガスの削減のための話し合いも、石油消費に依存しない体制が真剣に話し合われ、建設的合意に至るだろう。 全てイスラム隔離だ。 アホはまたしても感傷的になって「神は死んだ」こう自己陶酔するだろう。 今、文明の自壊作用が娯楽ニュースで中継されている。 死に直面しているのは、 神か? 人か? 霊感気質の私は、占い師でありまじない師だが、私の隠れファンが預言者の資質を期待したとしてだな。 これを予言としてだ、その予言に忠実でも惨劇は所詮防ぎようが無いだろう。 預言者に乞う者は、預言があったら防げたと言っているが、誰にも不可能じゃないか。 テロリストの標的から外れることに安どする者。 このカテゴリーで、私の入れ知恵で、理性的に「なんだ知らぬところで人が死ぬだけか」こうして不安をぬぐい去る愚か者。 こうるさく、「神は死んだ」このように酔いしれる太宰治みたいな馬鹿。 全員無能だ。 有能なエリートは未来の記憶をたちどころに読む。 そして、自らの成すべき事を知り、未来を確かにする。 この資質が四次元惑星人だ。 観念上の私の自在性は、現実に現象するが、領空侵犯は禁則なのでジラーチちゃんはめったに外国に爆撃機を飛ばさない。 爆撃機が投下するのは、私という人間爆弾だが出動命令があるかどうか、滅びの宴は見物するだけでも面白い。 ここまでが文学路線の私の哲学参加だ。 何かイスラム国に対して、君の無力な哲学を聞かせてくれ。
- 保守的成長と革新的成長って違う?
保守的な成長は 既存の道徳や価値観を大事にして。 厚みを大事にする(基本や高等教育、ステイタス、貴族など) 高級品 人間的 穏健 帰納法 革新的な成長 既存の秩序を壊して思考を大切にする 浅くてもブレークスルーを考え出す(技術者やマイルドヤンキー、ベンチャー) リーズナブル 技術 急激 演繹法 純粋な2分法はないとおもいますけど。このように思えるのですけどいかがでしょうか?
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- mezoriso81
- 回答数1
- 偶像を崇拝するななるオシへは 一つの偶像ではないか
クルアーンの文章ではあいまいなところがあるようですが この一つの問題を問います。 神について偶像をつくってはならない。偶像を拝んではならない。――こういうイマシメがあるとき ところがこのイマシメとしての(あるいはオキテとしての・もしくはオシへとしての)意味内容は じつは人間のことばで表現されているからには 神の心を仮りに示すもの=すなわち偶像であると考えられ得ます。彫像ではなくとも観念も 偶像たり得ます。 つまり 偶像を崇拝するなというオシへを守るなら オシへとしての偶像に従うことになってしまう。という矛盾が起きるという問題です。 クルアーンにおける詳しい文章などについても含めて おしえてください。 またイスラームに限らず 《観念となった神やオシへ》は 明らかに偶像です。――たとえば 《神は死んだ》という観念が 偶像の神となって現代人のあいだで崇拝されている側面があります。――ので そのような広く大きな問題にもなるかと考えます。ご見解を惜しみなく述べてしまってください。
- 哲学に出来る事はないか?
前世紀末 21世紀は理想の時代かと思いましたが、なかなか言う様には行きません。 アメリカと中国 どちらが世界をリードしてゆくのか? アメリカは軍産複合体が25%と言うし。中国は韓国と北朝鮮の両方にパイプがあります。 アメリカが南北朝鮮を統一できるとは思えません イスラム教とキリスト教の問題もあるでしょう 人間の次なる存在の問題もあります。人間が進化するか ロボット、コンピュータ アンドロイドが増えていくか? 温暖化、人口爆発、戦争、資本主義の行き過ぎ アメリカや日本の多額の借金もあります。 憲法解釈、憲法改憲、教育の問題、少子高齢化、詐欺や借金、うつ病や自殺 この様な色々な問題の中で我々はここで何が出来るか? 人間ならば人間性がある、惻隠の情がある。存在目指して愛を持って知恵を絞るのが心の真実ではないでしょうか? こういう事なら出来るのではないかと言うアンサーを簡潔に表してください。 日頃思うことはありませんか?
- 男子プリキュアが一番だ。その二
私は人類を深遠の恐怖に陥れる者。 コレは決してセクハラではない。 栄光の初代男子プリキュア。 キュアブルームだ。 麗しの女子プリキュアの諸君。 黒き明星が招待する滅びの宴にいかなる無駄な抵抗をする。 今回のおもてなしは、まだ始まりにすぎない。 君たち女子が貧弱なら、やがて絶望にあがらえなくなるだろう。 その絶望の甘露することが私の楽しみだ。 黒き明星は、妖精の住む心の泉に、自称人間どもがいかなる冒涜を働くか、つぶさに見撮った。 そして心に正直に、人間悪に挑戦し、人類の裏切り者となってまでも、自らの正義を全うする。 悪の困難をものともしない黒き明星の正義にお穣ちゃんがたが勝てるかい。 いかに女子が慈しんでもダメは駄目だ。 君たち女子を困難に陥れるのは、男子プリキュアとして、君達を絶望の象徴としようと考えたからだ。 君達の敗北は、妖精世界の反逆になす術が無い、家畜的人類を一掃するだろう。 今はまだ無駄な抵抗だ。 君達すらも知らない深遠の絶望。 それをかみしめさせてこそ、私の正義は完成する。 今回もまた、きわどく無駄な抵抗をして、つかの間の勝利を楽しむのだな。 女子諸君、はかなく踊り、私のもてなす滅びの宴を彩ってくれたまえ。 君達の敗北が、許されざる人類の命運を決する。 それは君達の敗北がゆるぎない事の確定だ。 君達に男子としてセクハラするのはほんの余興だよ。 滅びの宴は阻んではいけないのだ。 君達も繰り返し、滅びの宴に招待して、いつまで耐えきれるか、私を楽しませてくれ。 これが黒き明星なんだがね。 私は、実在する妖精に魅了された男子プリキュアだ。 妖精さんよ、仕事の邪魔は不都合だ、人間悪を許すほど妖精たちが、人を愛しているとは思わなかった。 しかし、実在する妖精の捕まえ方が判らない人類は、所詮君達の愛を理解しないだろう。 滅びの宴は、私から妖精へのプレゼントでね、この位追い詰めないと彼らと仲良く出来ないよ。 妖精さん。 ポケモンを自称する宇宙神霊が、三次元惑星人の精神を喰らい尽くし、新たに四次元惑星人が誕生する。 それは君達の愛を理解できる新人類だ。 三次元惑星人には、妖精さん、神を理解できる知性的資質は備わっていない。 それで私は手伝っているがね、妖精に活用を理解していない女子プリキュアが、私同様に妖精の心を理解できるかどうかで、クソムシみて~な、家畜人類はともかく、地上が生命の星として今後も存続するかが決まる。 私の余計なおせっかいが覆される事を祈るよ。 女子プリキュア、健闘を祈る。 妖精さん達は、君達を祝福しているが、勝利は君達が勝ち取らなければいけない。 ところが、私にすれば女子は心もとない。 愛せるかい。 悪を。 自らを。 しかしなんだね、キュアブルームとして、実在する妖精さん達の声を代弁するのは、男子が女湯につかるようなものだよ。銭湯の女風呂に最後に漬かったのは一年生の時だな。 それを思い出す。 はにょ~ん。 私を楽しませてくれたまえ。 さて以上は文学です。 哲学において場違いな文学です。 お聞きしたい哲学的無駄な抵抗は、「死をいかに克服するか」です。
- 所有権は 絶対なる無限――不可分離――なのか
§ 1 まづ初めの議論として 《絶対なる無限》を 実数なる無限――実無限――として扱い得るか? 無理数の存在をめぐる実数無限(それは 可能無限)に対して そのアタイの限りなさを或る種の仕方で確定させるということ。 すなわち この実無限という仮定。 実無限として実数無限を扱い得ると仮定するその視点。 仮定するのも仮定したその眼を持つのも 人間ですが それは仮定としてしか人間には分かっていません。実無限ということの内容について 実際に人間が知ったということにはならない。 それでも 仮定をもとにして――あるいはそれをさらに公理として据えつつ 公理のもとに――推理を展開する。 それによって 現実の事象と対応する結果が得られることがある。 仮定は――あるいは背理法のばあいは仮定に反する内容が―― 妥当だと見なされる。 ――こういったことはあり得るのでしょうね。 § 2 ひとつの島をめぐって ふたりの人間がその所有権をうったえてあらそっているとき・・・。 そこへ いわば実無限としての仮定を補助線のごとく引く。ことは 出来ますかねぇ? どうでしょうか。 《実無限》としての眼 これは――アレフさんとしましょうか―― 人間にとってまだ現実のモノゴトではありませんが 何らかの――言ってみてもよいのでしょうか――解決としてのあり方を示すことが出来ましょうか? あらそうふたり・あるいはわれわれ人間の眼には なかなか見えないのですが それでもアレフさんの眼には 所有権の確定した図柄が見えていましょうか? あるいは 所有権ということが 問題なのでしょうか? あるいは 特に領土となると その主体としての国家が問題なのでしょうか? あるいは 人心の意向やその趨勢というものが なんぴとの手にも負えないしろものなのでしょうか? というふうに アレフさんの物語は 想定でありつつ 現実にチカラを得て行くことが出来ましょうか? どうでしょうか。 それとも 島の領有をめぐる問題には アレフさんはお休み願ったほうがよいのでしょうか? 限りなくつづく無理数のままにしておいたほうが? ☆ このバスがどこ行きなのか 必ずしも分からないままに問うています。
- 自力救済は禁止すべきなのか
何があろーと決して自らの意志で行動してはならず、必ず司法というエージェントに連絡し、エージェントの考える手順に従って物事を処理してもらう。 面倒くさいなどと考えてはなりませぬ。 現代社会において自力救済は禁止であるとゆー。 果たして人間精神の自立はあってはならぬのか。 これで人間は幸福なのか。
- 神は人の脳内に宿るもの
神は人の脳内に宿るもの、決して既成のものとして他から与えられるものではありません。 その神を自らの人間精神に基いてデザインし、その神に本願を与え、その神に命を吹き込むのである。 ついでにその神にエンブレムを与えれば完璧である。 そしてその神を信仰すればよいのである。 他から与えられた神、既成宗教は全て偶像崇拝である。 イエスキリストも、アラーも、ブッダも、全て偶像である。 既成宗教なんぞクソ喰らえ、これでよいのではないか。
- 自然の「生命」と、人工の「いのち」
ロボットやAIなどの技術発展で、人間が人工のいのちを作り出し始めました。 いつかロボットがいのちを持ち意志を持ち心を持つ可能性だってあるかもしれません。 そうなったとき、それらと自然の「生命」には違いはあるのでしょうか それとも人工の「いのち」も生命の一部として生態系に溶け込んでいくのでしょうか? 興味があります ご意見をおきかせください。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- ninjin1357
- 回答数10
- 偶像ってコレのことだろ
これがホンモノだとかネセモノだとか言い争っている輩が大勢いるそーである。 これがホンモノだったら何だというのか。 これがネセモノだったら何だというのか。 所詮コピー機でコピペできるものに過ぎないのではないのか。 「形に拘るものは愚かである」というのが人の道の教えであります。 理念が無い、思想が無い。 これを見るにやはり偶像などとゆーもんは取って捨てるべきものではありませんか。