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写真の加工に関して

空を見上げたら綺麗だったから写真を撮った、夜景が綺麗だったから写真を撮ったなど無加工であることがいいと私は思うのですが 例えば、何でもない普通の街中の写真でも加工に時間をかけて映画やゲームの世界のような幻想的な写真にしてしまうってどうなんでしょうか。 それは景色が綺麗ではなく「結局加工の力ですよね」って気がします (個人的に、写真の世界ではなく映画制作やアニメ制作をやっているような印象?)

みんなの回答

回答No.9

写真の加工がどこまで許せるのかは、個人の主観が大きいのでどうしようもありません…。 ただ、ネットに上がっている写真のほとんどはレタッチされています。 レタッチを一切せずにめちゃくちゃキレイな写真にはならないと思いますね。 「写真の加工はずるい」という考えの方もいるかもしれませんが、私は写真の加工はアリ派です。 美しければそれでいいですからね笑 「えもいレタッチ」というサイトもあるので、一回読んでみるといいですよ 参考にしたページ↓ https://www.photoru.jp/plus/emoi-retatchi/

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.8

写真の「加工」がどこまで許されるのかは、昔から議論が絶えない、「古くて新しい問題」ですね。銀塩フィルムの時代から様々な手法はありましたが、暗室不要のデジタル時代になって、比較的容易に誰でも加工できるようになったため、再び関心を集めているのだと思います。 「写真」と一口に言っても、たとえば「報道写真」と「芸術写真(アート作品)」とでは大きく異なります。旧ソビエトなどでは過去の歴史的なニュースの写真から後に失脚した人物だけを消す加工が行われていましたが、民主主義国ではこれは今も昔もアウトでしょう。これほど極端ではなくても、新聞に掲載される報道写真の場合などでは、「写真の意味」にかかわる「加工」には慎重にならざるを得ません。「フェイクニュース」や、「針小棒大ニュース」の元になりかねないからです。 また加工とは言えませんが、広角レンズや望遠レンズを使用して遠近感を強調したりなくしたりするような手法は、下手にやり過ぎれば見る人に誤解を与える場合があり、報道写真では注意が必要です。 芸術写真であればその点は自由度が大きいですが、加工していることは明示すべきだと思います。 回答者は10代のころから天体写真を撮影しています、この分野ではデジタル時代になって「加工」の技術が急速に進みました。フィルム時代には写りにくかった暗い天体や淡い天体も、画像加工技術のおかげで容易に写真にできるようになっています。これは便利ですが、50年前のフィルム時代の天文少年としては、まったくその場所では肉眼で見えないものを見えるように加工するのは???です。 この点は微妙なところで、望遠鏡を使っての撮影ならば、「空が明るい市街地で写りにくい星雲を良く撮影した」とその技術に賛辞を贈りたいのですが、望遠鏡を使わずに明るい市街地上空に美しい星空が見えたかのように加工された写真があったとすれば、「光害防止の意図」の場合を除いてさすがに違和感があります。 「星景写真」と呼ばれるようになったこうした写真は、天文学的な星の写真とは違うのだから、ある程度の加工は許されるのではないかと考えますが、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」でしょう。これは天体写真に限らずすべてに程度の差はあってもあてはまりそうですが…。

  • i-q
  • ベストアンサー率28% (982/3450)
回答No.7

写真を見て加工が気になった時点で、 失敗なのではと思います。

  • t_ohta
  • ベストアンサー率38% (5238/13705)
回答No.6

加工の程度によって「写真」と呼ぶのか「CG」と呼ぶのか判断が微妙ではありますが、記録として残すと言う意味では私は無しだと思いますが、アート作品を創ると言う意味では有りだと思います。 ようは完成したモノの目的が何かと言う事ですね。 銀塩写真の時代からフィルターワークや露出テクニック、多重露出撮影、現像やプリントの手法などで人間の目には見えない世界を作り出す事は行われていた事で、それを現代ではデジタル技術を使って行っているだけですから、アート作品として創るのであればどんな表現手法を使うかは創る人の自由だと思います。

回答No.5

写真用語の「暈け」は既に「Bokeh」という英語になっています。 まぁ Film SLR (Single Lens Reflection:一眼レフ) Camera 時代に世界の市場を席巻した日本製 Camera Boom が生み出した言葉で、人間の眼には「暈け」なんて生じません……焦点が合わない領域は脳が補完するか認識しようとしませんので……。 人の眼のように注意を向けたものには必ず焦点が合っていてはっきりと認識できるような Camera は Smart Phone 内蔵 Camera のように極小の Image Sensor と広角 Lens を組み合わせたものか、近距離から遠距離まで僅かに暈けるものの暈けが一定なので暈けているようには感じない Pin Hole Camera ぐらいしかありません。 Camera は出現した当時から「焦点が合わずに暈ける領域ができるのが当たり前」という『欠点』があったのですが、その『欠点』を「美しい暈け具合」というように価値をひっくり返してしまったのが日本の SLR Camera Boom なのです。 曰く「焦点の合わない領域を目立たせないよう美しい暈けで覆う事によって焦点を合わせた対象物をより際立たせる (現実以上の描写にする)」というわけですね。 焦点が合わない領域が暈ける代わりに焦点が合っている部分はとてつもない解像力を持つのが F0.95 とか F1.2 といった F2.0 以下の大口径 Lens なのですが、そんな研究業務用途向け大口径 Lens を「美しい暈けを作り出す Lens」と持て囃したのが日本でした。……現在の Digital Camera は ISO 感度を 102400 (もう 10bit とか、対数で表現して欲しい(笑)) Film 時代には考えられない高感度で撮影できますので「F1.4 の大口径 (=被写界深度の浅い) Lens」とは言わずに「F1.4 の明るい Lens」なんて言う人は「昭和の Mania かな(^^;)?」と思ってしまいます、 実は写真に限らず、世の中の Art Media (販売されている芸術作品) はその殆どが「現実以上のもの」にするために入念な加工が施されています。 CD (Compact Disk) に収録された音楽も (天井から吊り下げた 1 本の Stereo Mic' で収録された Classic 音楽であろうと) 入念な Tone Control (Equalizer) 調整を経て Mastering されており、そうした加工技術に卓越した腕を持つ人が Professional Mixer として Recording を取り仕切っています。……つまり「生の音」なんてものはあり得ず、必ず加工された『作品』になっているわけでして、生の音を聴きたければ演奏会場に行くしかありません。 でも、実際に演奏会場へ行ってみれば痛感されることでしょうが、普通の人は「生の音」を良い音として聴き取る事はできず、キョロキョロと Stage の彼方此方を見ながら視覚で音を補完しなければ満足できないでしょう……その点 CD 等は視覚で補わずとも満足の行く音に加工されていますので、生の音 (演奏会場の観客席での音) を超える音でなければ誰も買ってくれないということなのでしょうね。 写真家も入念に下見をして計画し、最高の機材で最高の瞬間を最高の腕で画像に切り取るものの、現像処理の際も様々な Effect (Film 時代は Filter Lens 等ですが今では Software Program) を駆使して作品を完成させます。 ……最高の機材と言っても最高の物理計測性能を持つという意味ではなく、耐久性や信頼性の方が重要なのですが……。 Camera の Lens を通して記録するという事だけでも既に現実とは異なるものであり、写真は何度も見直す事で実際の場所で見ていた時には気付かなかったものを見せてくれる事によって現実以上の想像力を膨らませて更なる感動を得られるものですので、「現実を超える感動を呼び起こす作品」という写真を更なる高みに昇華させるための加工は実は当たり前の事なんです。 そんな Professional 市場では当たり前の事は、実は(笑) Consumer 市場には公に伝えてはならない事のようでして(笑)、そんな腕や知識を持たない Consumer には下手っぴな写真の原因を Camera のせいにして「もっと高額で最新の Camera にすれば良い写真を撮れる!」という幻想を抱かせない事には誰も Camera を買い換えてくれなくなります(笑)。 超高額 Camera を購入しても腕を磨くことをせずに押し入れの肥やしにしてしまった人や、腕のなさを Camera のせいにして次々と高額新製品を買ってくれる人が居続ける限り Consumer 市場は安泰ですから……。 まぁ写真も絵画も音楽も……凡そ他人にお金で評価してもらうものは全て「評価値 (値段)」を高めるべく加工を施すものでして、Compact Digital Camera なんかは「本当は薄い曇が見えていた筈なのに真っ青な空に撮してしまう」Camera だらけですよ。……その方が高評価を得て売れますから……。 夜景に関しては乱視の人 (私もそうです(^^;)) は点光源が複数に見えたり光芒を発していたりして普段から幻想的な風景が見えているものですが(笑)……。 素敵な Camera Life を(^_^)/

  • ts0472
  • ベストアンサー率40% (4486/11070)
回答No.4

私も加工しない その時の記録 自分の技量の記録として残したい派ですが それは個人的なこだわりでしかないと思っています 元画像を消さなければ残りますし 記録なのか 素材なのか 入手した人の思い かな? 車やオートバイの改造 DIYや家のリフォームなどなど その技術を表すものとして必要と思っています

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.3

皆さんおっしゃっていますが、そういう「演出」はフィルム写真時代は「暗室作業」で行われていました。あるいは撮影する時点でフィルターをつけていたりしてね。 違うのは、フィルム時代はそういう技術はごく一部の人にしかできない特殊技能だったのですが、デジタル写真はそれが容易で、特にスマホ時代のアプリはそういう能力に非常に特化しているのでスノーに見られるように「もはやどこに真実を写したから写真の部分があるのか分からない」くらいに自動加工してくれるものがあります。 写真を撮ることが特殊能力ではなくなった時代ですね。カメラに露出計がなかった昔はそれこそ、適正な露出を出すだけでも職人的な技術が必要とされていましたからね。

  • seibido
  • ベストアンサー率31% (156/494)
回答No.2

その場の記録、なら加工しちゃダメですが・・・ 写真の9割は、撮る前と撮ったあと、ですよ。シャッターを押すなんて本の一瞬の作業で、そんな事は誰でもできる事。 その写真を撮るためのセット作りから、その後の暗室作業まで、すべてひっくるめて「写真」です。そんな事、銀塩白黒の時代からやってました。 というか、白黒の方が多彩に加工してたんじゃないかなぁ。 普通に「セピア調色(茶色っぽい調色)やシアン調色(青っぽい調色)」の写真、残ってるでしょ。 あれ、酸化銀の黒を抜いてその痕にセピアやシアンで「色をつける」んです。加工でしょ。 多重露光とか、多重焼付けとかもやってましたし・・・。 現像で「高温シェイクっ!」って、ワザと粒子をザラつかせたり。 それにそもそも、師匠に言われて焼いたプリントが、いくら綺麗に焼けててもスポットしてなければ「やり直し、見せるならちゃんとスポットしてこい」ってつき返されましたし。 そういう事、「やって当たり前」なんですよ、写真って。だから、可能性が無限大なの。アートに分類されるの。 それは、事前(撮影前)も同様。 「こういう風な写真にしたい」なら、「写真で写すとどう映るから、どういう風にセッティングするか」に頭を使う。できないじゃなく「どうすればそうなるか」を試行錯誤する。 こういうモノが欲しい、でなければ作るトコから。 だって、写真は二次元で、「写る部分の裏側は写らない」んだし、「フレームの外側は写らない」んだから。そう切り取るのが写真ですよ。 Photoshopを駆使して「へぇ、これ、元は写真かぁ・・・すげぇなぁ」っても写真です。

  • hiro_1116
  • ベストアンサー率30% (2556/8268)
回答No.1

考え方は人それぞれなので、質問者様のお考えは尊重されるべきとおもいます。 しかし一方で、かつての銀塩写真の時代も、プリントするときの "技術" で、より美しい仕上がりを求めることはやっていましたし、少なくとも当時は、それも「写真」の範疇でした。 おっしゃることも良く理解できますが、撮影後の技の部分がデジタル化した(そのおかげで多くの人が手軽に利用できるようになった)との考えもあると思います。