私は50歳の男性ですが魔法少女です。
後悔というのはもう間に合わない。
このまま、全てをさらけ出して裸になるしかない。
末期的中二病患者の手遅れな魔窟へようこそ。
私は純露ユリ系魔法少女 時渡 世麗美だ。
現実世界では50歳の男性に化身している。
裸の心を笑う者。
裸で生きて、
笑うわたし。
なぜなら私は美しい。
裸裸裸裸裸ー。
訳〉ラララララー。
深刻な中二病の話をひとつ。
写真は、六輪一柱という創作魔法陣。
天の精霊属性と地の精霊属性を交差させる、呪術的な詠唱無しでもビジョンを頭の中でクルクル回すだけの直感顕在化装置だ。
六輪であり六芒星は補助線にしただけだ。
本来は私の脳内に生息する妖精さん専用のおもちゃで、直感がトロい自我存在ではなかなか使えない。
「プリキュア シャイニータンバリン」ともいう。
新約歴史時代以降に開発された詠唱系呪術は圧倒的にねじ伏せられる。
聖書の絶対性は言語由来で、その言語を使わないからだ。
文字の学習というのは、世界中の文化圏で教科書を聖典の類にすることが好まれる。
口伝伝承主体の時の丸暗記棒読みの修練と時代経過で起きる誤差を考えると、文字を読むだけで故事の記録を忠実再生できることは画期的だ。
その点が、「聖書は絶対」の着想と概念の起源だ。昔は驚きだったんだろう。
すなわち絶対とは現代語で記録性のことをさすトリックなんだよ。
それと別で、精神の根源から原始記憶を揺り起こして再現することにより効果的な直感の顕在化ができる。
六輪一中は人格侵食現象への対応が主軸だった。
自我存在の意志の発露は言語に特徴づけさせるので、非言語化がイコールで無効化なのだ。
人間とは自我存在で、環境の中で自己を規定する事が必要になる。
そして、自己の確信が深まる人間の確立とは、「私はわたしである」という自己の完成だ。
人の一人称は「私」。
そして、自我存在とは違う超越存在は、自己の一人称が「みんな」。
全知全能とも噂される。
自我存在は、超越存在との合一化によって全知全能の雛形である世界の全てとの親和性を形質として受け継ぐ。
さて、質問ですが、本当は皆さんから慰めの言葉をいただきたいの~~~~!
どうにかしてください。
助けてください。
お礼
お返事遅くなりました、申し訳ございません。 ご回答誠にありがとうございます! 手首ごと交換は気が付きませんでした。 先日数体購入してみたので、色々試してみようと思います。 ありがとうございます!