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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:坂)

坂-懐かしく大好きな場所への坂道-

このQ&Aのポイント
  • 坂に関する思い出や好きな場所についてのエピソードを教えてください。
  • 地理的な坂道への憧れや日々の中で感じる坂について、ひとことお願いします。
  • 懐かしく思い入れのある坂道やロマンチックな場所への想いを聞かせてください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.12

Nannetteさん、ふたたびこんにちは。  忘れじの坂でもよかったのですね(汗)  ここです。    http://sakotyan.cool.coocan.jp/yamaarukiax/sarakuragotoku/sarakuragotoku2.htm  『念仏坂』は筑豊の岳人にとっては汗の匂いをともなう郷愁の坂。大病をし、もう行くことはないでしょうけど、今や恍惚の人となった父と共に汗を流した思い出の坂です。    ついでに・・・ブログ内に出てくる福智山は北九州市最高峰(海抜900m 笑)で筑豊の岳人が最初に登る辛い山。香春岳は炭坑節の♪ ひとや~ま~ ふたや~ま~ みやまあ~こえ アヨイヨイ ♪ のモデルの山です。

Nannette
質問者

お礼

重ねてのご回答有難うございます。  『念仏坂』…、ホホウ、山頂までただひたすら真っ直ぐ…、豪快ですねぇ。福智山は海抜900m、いえいえ、900mは結構高い。立派に北九州市最高峰と言うにふさわしい高峰ですよ。香春岳は炭坑節のあの歌詞のモデルの山とか、でも素晴らしいトレッキングルートですね。ところでブログの中の筑豊の岳人お三方はお父様とご夫妻の今は懐かしいシーンなんですね、素敵なお写真です。

Nannette
質問者

補足

お父様のお元気なお姿にBAを…

その他の回答 (20)

回答No.10
Nannette
質問者

お礼

ご回答有難うございます。  画像見せて頂きました。なるほど急ですね。でも、子供の頃でしたら、そりゃもう、ほかに無いほど急で幅が広い立派な坂だと思えたのもよく分かる気がします。蓬莱坂こそが世界の中心…だと思えたのも無理はありません。さぞかし大きな夢が広がる可愛らしい少年だったことでしょう。

回答No.9

質問を読んですぐに浮かんだのは、小学校への登下校の坂道です。小学2年か3年の頃だったと思いますが、学校のトイレで用を足すことができず、休み時間に家まで便意と戦いながら走って戻ったことが思い出されます。校門を出て下り坂、家のすぐ前が上り坂、用を済ませて走って戻る途中、失せていく尻のわずかな痛みと、学校が近づくにつれて大きくなる、まだ校庭で遊んでいる仲間たちの歓声、そして何事もなかったように彼らと合流。懐かしいですね。 「地理的な」「坂」ではないのですが、高坂。大学の2年間を過ごした下宿がある地名です。高坂駅から下宿まで徒歩5分ぐらいだったでしょうか。両側が桑畑の一本道、入学式の帰り道だったと思います。夕日を背に細長く伸びた影に引きずられるように歩いて下宿に向かう自分の姿がなぜか、思い浮かびました。ショートホープ吸ってたなー。

Nannette
質問者

お礼

ご回答有難うございます。  なぜなのでしょう、小学校って高台にあって坂の上というのが多い気がするんです。そして、学校のトイレで用を足すことができない男の子もまた結構多いみたいです。でも、そうした男子生徒の気持ち、よてもよく分かりました。男の子って純情ですよね。  高坂駅…というと東武東上線の高坂駅のことでしょうか。夕日を背に…ということは東に、つまり郵便局のある方へお歩きになった…。とすると今ではかなり建物も増えましたが、元々は桑畑だったんですね。   夕日を背に細長く伸びた影に引きずられるように歩いて下宿に向かう自分の姿がなぜか、思い浮かびました。ショートホープ吸ってたなー…、素敵なシーンですね。大学生時代の大きな夢や意味もなく感じる寂しさなどがたったこれだけのフレーズで、とてもよく感じ取れます。

回答No.8

写真の汐汲坂、今ひとっ飛びして見てきました(Googleストリートビューでw) 外人墓地などその辺りは20年くらい前に行ったっきりですね。 当方群馬なんですが、平野部で育ったので思い出の坂道というのは特にありませんが、写真の路面の滑り止めを見て思い出したのは、お婆ちゃんちの近くの、線路の下をくぐるトンネルの歩道の坂道。イトコとよく遊びました。声が反響して楽しかったのを覚えてます。

Nannette
質問者

お礼

ご回答有難うございます。  Googleのストリートビューって便利ですよね。そういえば群馬県って山間部と平野部がとてもはっきりしているんですよね。ああ、そうそう、坂を下って頭の上が低い線路下を歩くと反対側に出られるガードの両側の坂。いまでも、いい歳して、そんなガードをくぐると「わっ」なんて声をだしてみたくなります。

  • yotani0425
  • ベストアンサー率30% (1185/3898)
回答No.7

こんにちは。 強く思い出にあるのは、目黒の行人坂でしょうか。 もう約35年ほど昔のことになってしまいますが、東京で勤務してい時分に5年ほど通勤で登り下りしておりました。 当時は別名富士見坂と呼ばれていたように、天気がよい日には(特に冬でしょうか)坂の上から富士山が見えたものです。 ただし、かなりの急坂でして、雪が積もった日には滑ってしまって使えませんでしたね。 坂の途中にはホリプロがあり、また日の出高校も近かったので、まだ高校生だった山口百恵さんの通学姿を見かけたこともありましたよ。 また、当時は坂を下って目黒川を渡ると女子プロレスの事務所もあって、マッハ文朱さんが居たり、その追っかけの少女たちが多数事務所前で歓声を上げていたりしていました。 アッ、そういえば目黒川沿いのエンペラーなどというものも出来て数年の頃だったと思います。 勤務先はその先の山手通りにあった輸入車ディーラーでして、当時の顧客には石原裕次郎さんや久我美子さん夫妻、野口五郎さんや范文雀さんなど俳優や歌手などの有名人が結構いらっしゃって、たまに見かけることもあったものです。 当方、当時はまだ20代半ば、古きよき思い出となっております。

Nannette
質問者

お礼

ご回答有難うございます。  あっ、思い出しました。No.4の方のご回答へのお礼の中にちょっと書き足した急坂、そうそう、目黒の行人坂のことでした。大円寺というお寺のある坂ですよね。たしかにとても急な坂で、ホリプロのちょっと上ぐらいのところにずいぶん以前からドリンクの自販機があったものだったし、事実よく売れていたようでした。そりゃ息が切れますものね。  ホリプロには現役時代に何度か行ったことがありましたが、お会いになったような一流の芸能人の方々、羨ましいです。目黒エンペラー、あはは、有名ですよね、まだあるのかしら。

  • enylle
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回答No.6

子どもの頃急勾配は好きでしたね。 自転車で上るにしても下りるにしても。

Nannette
質問者

お礼

ご回答有難うございます。  自転車に乗ったまま、よろよろしながら懸命にペダルを踏んで、それでももうダメっ…と降りて押すのが坂道。でも、下りは爽快、両脚を前に突き出してマッハ1で急降下。

  • haiji1996
  • ベストアンサー率14% (232/1633)
回答No.5

渋谷から、青山通りに上がる、宮益坂ですね。母校は渋谷と表参道の間にある高校・大学一貫校でしたが、そこへの通学路でした。 今は無き、ウェンディーズ宮益坂店は、母校生の溜まり場でした。 私達特有の流行りがあって、サラダバーは、スモールのお皿を頼み、高層ビルのように高く積み上げました。それはもう、職人芸。。コツはアルファルファをレンガのつなぎのように使うのです。でもそのうち、目をつけられて、店員さんにせっかく作った高層ビルを取り上げられ、最初からまともにやり直せ、と言われるように(^_^;) 後は、フロスティという、チョコ味のデザートに、コーヒー用のミルクを5個くらい入れるのです。そうすると美味しい!でもそれも目をつけられて、コーヒー用のミルクは、ナプキンのそばで取り放題だったのが無くなっちゃって、レジでコーヒーを注文した時だけ一個だけしかもらえなくなりました、宮益坂店だけ(^_^;) 店員さん泣かせの私達でした。

Nannette
質問者

お礼

ご回答有難うございます。  宮益坂から表参道といえば、とてもおしゃれな街ですし、なんと言っても名門校があるところですよね。ウェンディーズの宮益坂店は今はなくなっちゃったのですか。  サラダバーは、スモールのお皿を頼んで独自に開発したハイテクのノウハウで高層ビルのように高く積み上げる、フロスティにはコーヒー用のミルクを5個くらいブチ込む…、そりゃそうすると美味しいでしょうよ。プレーンのホットケーキにコーヒー用のシュガーとミルクをドバドバとかけてみたり、あ~あ、女の子って、お嬢様もそこそこの子も、どうしてみんな同じようなことをするんでしょうね。店員さんを泣かせてお店をぶっツブしちゃったのも私達でした…と白状しなさい(笑)。

  • catra
  • ベストアンサー率23% (67/291)
回答No.4

中高一貫教育の私立校に中学から通っていたのですが、そこの裏門がものすごい急勾配の坂でした。 バス通学・自転車通学(高校のみ)の人は正門を通るのですが、中学の時に徒歩で通学していた私は裏門をいつも使っていました(高校から自転車通学になったので雨の日のみ裏門を使っていましたが)。 その坂の急なことといったら… ドリフの「坂のある家」というコントをご存知でしょうか? 家の前にベニヤで造られたすごい坂道があるというセットで、ドリフのメンバー含むゲストの芸能人がその坂を登るのにチャレンジするというものです。 ゲストの大半は腹ばいになって「ずずずーっ」と滑り落ちて行ってました で、雪が降って道路が凍結すると、学校の裏門がその「坂のある家」の坂になるんです。 学校の通学用の靴は革靴と決まっていましたから、靴底が滑って凍ったアスファルトの坂道を腹ばいになって「ずずずーっ」と滑り落ちる人多数… 今考えると、坂の上には幼稚園もあったのによくあれで怪我人が出なかったなあと思います(笑) ちなみに、坂の途中にはテニスなどをするためのグラウンドが2面、棚田のようにあったのですが、そこで体育をしていてテニスボールやソフトボールのボールをうっかりフェンスから出そうものなら、坂道通り越して道路に出ていくこともあってかなりデンジャラスでした…

Nannette
質問者

お礼

ご回答有難うございます。  通学になっていた中高一貫の私立校、その学校の裏門がものすごい急勾配の坂…、ドリフのは記憶がありませんが、ご表現からそのスゴさが十分伝わってきました。  雪が降って道路が凍結すると、学校の裏門がドリフの「坂のある家」の坂そっくりに。皮の靴はたしかに雪や凍結にとても弱いですが、それにしても、凍ったアスファルトの坂道を腹ばいになって「ずずずーっ」と滑り落ちる人多数…というのはスゴい。  坂の途中にはテニスコートなどは、もうまるで棚田(笑)。うっかりボールをフェンスから出そうものなら、そりゃ大変ですよ。坂の上には幼稚園もあったのだとか、ほんと、この坂はメチャメチャすごいです。  わたしの記憶では東京の目黒駅の近く、目黒通りから分かれて目黒川まで下る坂も、これほどてはないものの、かなり近い感じでした。とにかく雪のシーズンに通るのは覚悟が必要でした。

noname#231734
noname#231734
回答No.3

すぐに思いついたのは 実家のそばにある坂道です。 アスファルトで舗装された 何の変哲もない道ですけど・・。 途中にある小公園を横に眺めながら (ちょっと変な表現でしょうか・・ 上手く説明できないようで、すみません) 坂を登り切ると踏切があります。 子供の頃、よくその公園で遊びましたし、 飼っていた犬を散歩に連れ出して 坂をのぼり降りしました。 自転車に乗って走り降りたり・・。 今も実家に帰って散歩に出ると、 その坂道を歩いて、公園に行きます。

Nannette
質問者

お礼

ご回答有難うございます。  ちゃんと舗装された坂道、途中に小さな公園がある。そして登り切ったあたりには鉄道の踏切も。以前はこの小さな公園でよく遊び、ワンちゃんを散歩させていた…。そういえば自転車で坂を走り下りるのはとても楽しかった…。そんな当時のこの坂道、今よりももっと幅が広く感じていたのではありませんか。

noname#205155
noname#205155
回答No.2

こんにちは。 一度行ったのが従兄弟の結婚式で、"渋谷道玄坂 "へ行った事があります。 もうその頃の景色は記憶にないのですが。 他は、やはり何度も行っている長崎の坂道です。 友達も沢山いますが、どこも坂道ばかりで道も狭くて歩くのも結構きついです。 長崎には稲佐山もあるので、またいずれ行ってみたいです。 夜景が最高にきれいです。 http://www.nagasaki.web-saito.net/inasayama.html

Nannette
質問者

お礼

ご回答有難うございます。    渋谷道玄坂、わたしも学生時代はよく遊びに行きました。でも、あの頃は今よりもずっと控えめだったように思います。今の賑わいはすごいです。  長崎はほんと坂の街、でも、どこか長崎らしい独特の雰囲気があるような気がします。稲佐山、夜景がとてもきれいですよね。あの頂上はたしか東京タワーと同じ高さだったと。

Nannette
質問者

補足

また、うっかり「こんにちは~」のご挨拶が抜けちゃいました、ごめんなさい~。

回答No.1

 こんにちは~  北関東在住ですが・・・  坂で真っ先に浮かぶのは、長崎市の東山手の「オランダ坂」ですね。  異国情緒たっぷりで大好きです。長崎は過去3回行きました。  あ~、横浜の山手の坂道もいいですね。好きですよ。  また、機会があったら、のんびりと歩きたいですね。    

Nannette
質問者

お礼

ご回答有難うございます。  歌にも歌われた「オランダ坂」、素敵ですよね。暖かい小雨に濡れていたりするととてもロマンチック、オランダやポルトガルとの交易の時代がしのばれます。いつかまた、横浜にもお越しください。  そういえば、古い時代のいわゆる古伊万里などにはオランダ船やオランダ人の風俗などが描かれた絵皿が多く見られますが、面白いのは、オランダのデルフト焼きでは長崎の花魁(おいらん)が描かれたものがとても多いこと。それに、オランダではたまに古伊万里の絵皿を見ることさえもあります。  

Nannette
質問者

補足

また、うっかり「こんにちは~」のご挨拶が抜けちゃいました、ごめんなさい~。