歴史に名を残す人物で、「この人物は間違いなく自閉症である」といえる人物はいないでしょう。
自閉症というものの存在についての研究が始まったのが、1940年代。一般にその言葉が広まったのは1960年代です。
自閉症かどうか、発達障害かどうか、というのは、専門家がその候補となる人物と対面でやりとりをし、客観的な指標によって調べねば判断のしようがありません。その観点でいうと、少なくとも20世紀以降の生まれの人物でなければ、自閉症、発達障害である、という結論に至ることはないでしょう。何しろ、自閉症という概念がないので、それを調べられる、ということがなかったわけですから。
世の中には、精神科医などを名乗る人物の著書で、歴史上の偉人を出し、「こういうエピソードがあるから、この人物は自閉症であった」という本があります。
こういう本は、全く無根拠な、オカルト本である、と断言できます。
というのは、先に書いたように自閉症、発達障害は、専門家が相手と対峙し、時間をかけて指標に適合するのかを調べて初めてわかるものだからです。
ちょうど、今は8月の後半ですが、小学校のときの宿題の定番といえる絵日記を思い出してください。絵日記に、その日に起きた一言一句、一挙手一投足をもらさずに書く人はいません。そもそも書くだけのスペースがないでしょうし、記憶していることもないでしょう。(その日に書いたとしても)日記に書かれるその日の行動というのは、その日に行われた行動の中の印象的な一部分だけを抜き出して書いたものといえます。
そして、これは歴史上の偉人についても言えることです。いや、歴史上の偉人だからこそ、余計に脚色がある、ということが考えられます。歴史上に残る人物の描写というのは、時の政治権力や物語性によって、簡単に書き換えられてしまう、ということが少なくないからです。
たとえば、織田信長は、幼いころに奇妙な振る舞いをしていたことから自閉症だった、発達障害だった、という人がいます。
無論、その可能性は「0」ではありません。しかし、誰だって、幼いころを振り返れば、変な行動を起こしたことはあるはずです。
偉人という意味では、「優等生がそのまま偉人になった」よりも、「変な子供が偉人になった」の方が面白いですし、信長亡き後、天下を取ったのが秀吉で、さらに家康に動いた、という権力の変遷を考えれば、「優等生が築いた国を簒奪した」よりは、「幼いころにこういう奇妙な行動をしていた人物だから問題が起きたので、優秀な自分がその問題を克服した国を作った」の方が支持を受けやすくなります。しかも、わずか数十年前まで、「表現の自由」がなかったことを考えれば余計に。
そのような状況を考えると、素直に受け取って「こうだ」ということはできなくなります。
繰り返しになりますが、歴史上の偉人が自閉症だった、という可能性を否定することはできません。
しかし、一定の年代以上の人物について、断言する根拠も一切ないのが現状であり、少なくとも19世紀以前の人物については、マユツバモノと考えるべきだといえます。
お礼
回答ありがとうございます。結構たくさんいるんですね。