中学は普通、高校は306人の304番目280番以後はすべて落第のなかで唯一の進級で卒業も。大学は受かるはずがなかったのに合格、回りの浪人までして一生懸命勉強してきた人に申し訳なく1ヶ月で退学。その後、なぜかアメリカの奨学生に選ばれて渡米。行き先は日本ではあまり知られていないけど、アメリカ優秀7大学のひとつのDARTMOUTH COLLEGE。
そこには、本当に頭のいい優秀そのものの日本人学生がいたけど、内気な人が多く、講義で分からないことを教授に尋ねてくれと、頼まれ訳。訳わからず質問してみると、教授が学生に質問してほしいと願っていたことばかりで、試験は免除。こんな調子で予定より半年早い繰上げ卒業。その後、放浪生活15年。無職、無収入の得体の知れない東洋人男に惚れてくれた金髪の白人美人の援助を受けながら。子供が生まれても、ほったらかし、わが子にこのオジさん誰って泣かれる始末。
そのうちに退屈で、放浪生活で書きとめていたのを、まとめて修士論文にして提出。これを見てくれた他の大学から名誉博士号を受け取り、その大学で客員教授に迎え入れ。そこから、やっと定収入のある人生へ方向転換。学術論文だと、堅苦しいので一般向けに理解できる大衆版に書き換えたものを出版したら、なぜか売れて。
今は65歳定年で、中途半端なので年金は他の先生の半分にもならないけど、本の印税で人並み生活水準以上を堪能しています。こんなわがままなことをさせてくれた女房には頭があがりません。長女は一級建築士で大きな建物専門で、息子は外国系銀行の取締役で二人の孫と毎日遊ぶのが、今の仕事です。
子供二人とも、学校の成績表は見たことがありませんが、かなり優秀だったらしく、いまだに他の生徒であんな成績だと親から御褒美ももらっていたので、褒めの言葉ももらえなかったと言ってますが。放任主義もいいとこで、学校サボるな、妊娠するナ、タバコを含めていかなる麻薬を使うナ、だけはうるさく言いつけていましたけど。学校の成績は落第せんかったら、どうでもいいで、唯一の質問は進級でえきたか?だけでした。
お礼
まったく同じことを思う時があります。デパートでブランド品をいくつも買っているその姿を見て失礼ながらなぜ・・・と思ってしまうときがあります。 本当に「勉強ができる=お金が稼げる」ではないと実感する今日この頃です。