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結婚式と披露宴の意味とは?考え方や必要性について
- 結婚式と披露宴の意味や必要性を考えると、現代の結婚観やライフスタイルによって様々な考え方があります。
- 結婚式は神様に結婚を誓う儀式であり、披露宴は親族や友人に伴侶を紹介する場ですが、現代では婚姻届の提出が結婚の宣言となっていることも考慮すべきです。
- 結婚式や披露宴は、親族や友人とのつながりや感謝の気持ちを表す場でもありますが、必ずしも行う必要はありません。結婚の形式や儀式は個人の自由であり、自分たちが心から納得し幸せになる選択をすることが重要です。
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質問者が選んだベストアンサー
結婚式や披露宴をやるやらならないは自由ですが、そもそもが、やって初めて勉強になることが多々あるのが結婚式と披露宴です。 例えば、まず、結婚式は「神様に結婚を誓う式」とは全く限りません。人前式とか仏前式はごく当たり前です。もしもそれをご存知なかったのだとしたら、結婚式を意識したことで、ひとつ勉強になったのではないかと思います。 それから、披露宴についてですが、親族や友人に伴侶を紹介するのが「大切」だとお考えとのこと。だったら、みんなを集めてまとめて紹介したほうがラクチンですし、出席者にしてみれば、自分が知っている新婦ないし新郎の背後では、こんな親族やあんな友人が支えていたと知って、親しみがわいたり世界が広がったりします。 そして、もちろん、式にしても披露宴にしても、ジーンズにTシャツでやるのも自由。それを自分たちらしく手配して、その手配内容を周囲に理解してもらえるよう説得力を持たせることに意義があります。 こうしたことは、それなりに面倒な行為ですが、この面倒なプロセスを踏む過程で、今後何年も続く結婚生活という究極の面倒に向き合う覚悟が生まれたりしますし、何年も赤の他人同士として別々のところで育ってきた新郎と新婦が、互いに違いや共通点を見いだして、夫婦という形に近づいていったりします。 また、結婚式・披露宴は、それまで世話になった人たちに喜んでもらうためのものでもあります。特にご親族の中には、かわいい親戚の晴れ姿を見るのを何年も楽しみにしてきた人もいるでしょう。そして、それがかえって負担にならないよう、参加者に合わせた内容に調整していく過程で、参加者ひとりひとりに思いを馳せる機会も生まれます。 ただ、ご指摘のように、やるならやるで、やってほしい周囲とやりたくない自分とのあいだで折り合いを付けて、しっかりと納得のいくものをなさるようおすすめします。というのも、私などは、自分が興味がないから他者に合わせようという気持ちでやってしまったクチなのですが、もっと勉強して、自分で納得のいくようにやっておけば、山あり谷ありの結婚生活の中で、振り返って支えとすることができたのではないかとも感じます。 まあ、わかりやすく言うと・・・ >「友人がすごく似合う綺麗な服を着ているのを見たら心から賞賛するけど、じゃあその服を自分で着たいかと言われると違う」みたいな気持ちです。 じゃあ、意地でも自分に似合う服を見つけ出して披露することに意義がある、という感じです。 なんであれ、自分と配偶者がもてなし役となって大きなことをする、そこに学びの場があります。と、以上が私の経験から感じる式と披露宴の意義なのですが、最終的には質問者さんがお決めになることですよ。
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- Prairial
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こんばんは、おっしゃることは全て正しいと思います。 ただ、価値観は人様々ですから、やりたい方はやり、嫌な方は止めれば良いだけですね。 式には気分的にけじめをつけるという意味合いがありますが、披露宴自体には、特に意味は無いですね。 単純に、冠婚葬祭何かにつけ宴を行うという古来からの風習がそのまま続いているのだと思います。 あとは単純に「見栄」ですよ。大々的に披露宴をやってこれだけお金がありますよ・・・というのを 見せびらかす・・・早い話が自己満足の世界だと思いますね。 それが引いては「式も披露宴もやらないのは【世間体が悪い】」などという勝手な意味合いを こじつけたがるのですよ。 日本人はとかく、皆と一緒、世間並み、という横並び意識の高い人種ですからね。 自主性も無く、みんながやるから、流行ってるから、タレントがやってるから・・・・ それが基本なんですよ。情けないことだと私は思いますけどね。 ですから、質問者さんとお相手の方が、やりたいように行えば良いのです。世間体や 他人の欲求などに屈する必要はありません。
お礼
回答ありがとうございます。 「見栄」「右へ倣え」の産物だというお考えなのですね。 そういう人もいるのでしょうね。 友人には、両親に花嫁姿を見せるため、お互いの親戚友人への紹介、という真心でやっている人も多いのですが。 お考え、よくわかりました。 ありがとうございました。
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お礼
回答ありがとうございます。 >出席者にしてみれば、自分が知っている新婦ないし新郎の背後では、こんな親族やあんな友人が支えていたと知って、親しみがわいたり世界が広がったりします。 お互いの友人が友人になったりする機会を設ける場、ということでしょうか。 自分たちのためというよりは周りのために、と。 >この面倒なプロセスを踏む過程で、今後何年も続く結婚生活という究極の面倒に向き合う覚悟が生まれたりしますし、何年も赤の他人同士として別々のところで育ってきた新郎と新婦が、互いに違いや共通点を見いだして、夫婦という形に近づいていったりします。 本当の夫婦になる前に、お互いを再認識するということでしょうか。 結婚式の準備でモメて別れてしまった、なんて話も聞きますし、最終確認・調整の役割があるのかもしれませんね。 >やるならやるで、やってほしい周囲とやりたくない自分とのあいだで折り合いを付けて そこが問題ですよね。 私が「やりたくないのにやるなんて不誠実」と思っていても、周囲が「嫌々でも形としてやれば我々は嬉しいんだ」とまで思っているのならば、やる価値が生じますね。 >なんであれ、自分と配偶者がもてなし役となって大きなことをする、そこに学びの場があります。 なるほど、「学び」というお考えなのですね。 確かに、他の経験では代わりにならない社会勉強ですよね。 お考え、よくわかりました。 ありがとうございました。