おはようございます。
過去を振り返ると…良い事ばかり思い出します。
しかしその『良い事は何時しか色褪せ』失われてきました。
しかし、『何かを失った時、何かを学び、何かを得ていた』野も事実です。
若さやバイタリティーもそうです。
それを失い老いた今では、バイタリティーはなくとも、
『経験』と言う大きな財産を得ています。
自分と共に周囲環境、人々が仮に過去の戻れたとしても、
それらの過程、歴史『そして今日は』…やはり同じだろうと思います。
また、これまでの記憶を持ったまま過去に戻れたとしても、
『社会はやはり、今日は今日』だと思います。
今回の地震や災害を『知っていた』環境にあったとしても、
誰一人、その『予知、予言』を信じてはくれないでしょう。
狂信者扱いされたと思います。
仮に数人が、信じて『救われた』としたら、
今後は『予言を求められる』、
妙な立場になってしまう事も容易に察しが付きます。
今回の震災を前もって自分が知っており、
『それを話す事が出来ない状況』だとしたら、
それもやはり居た堪れない苦しみと感じます。
個人的に『あの時、別の道を進んでいたら…』
もしそれが叶っても、その結果がどうなっていたのかまでは、
知る由も無いはずです。
あの時、右に曲がらず、左に曲がっていたら、
より素敵な方に出会っていたかもしれない反面、
事故に巻き込まれたり、
最悪の出逢いがあったかもしれない可能性も在ります。
そのような理由で
『過去に戻りたくもないし、戻っても今は何も変わっていない』と感じます。
過去の一日一日の結果が今ですし、
過去のその時々の判断は、
それまでの自身の経験と責任から生まれていたはずですから、
やはり『今は今』でしかない様に思います。
それなら、『これより先、何年後かに死んでいた私』が、
『今現在に、記憶も消去され、社会の可能性も望みを持っていられる』状態で、
戻ってきたと考える事が『生き返った』事と同じような気がします。
そしてそれは『タイムマシンなど無くても』、
意識しだいで誰でも出来る事ですしね。
生きられる、生かされている『この瞬間』が全てだと感じます。
お礼
回答者さん・・・もしや、哲学者ですか?? いや、良い意味で言ってるんです。回答が凄くて…。重みがあって…。 う~ん、深い。。。深いです。考えさせられました。 >それなら、『これより先、何年後かに死んでいた私』が、『今現在に、記憶も消去され、社会の可能性も望みを持っていられる』状態で、戻ってきたと考える事が『生き返った』事と同じような気がします。そしてそれは『タイムマシンなど無くても』、意識しだいで誰でも出来る事ですしね。 生きられる、生かされている『この瞬間』が全てだと感じます。 似たような話を聞いたことがありますね。「『10年前で良いから戻りたい』なんて言っている人は、きっと10年後も同じようなことを言っているだろう。そう、今日生きているあなたは、きっと10年後の世界から戻って来たんだよ。」と。 一日一日を大切に生きていきたいです。 ありがとうございます