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昔のPCは本当にこうだったのでしょうか???
- 昔のパソコンは当時の事情により、イ~ホの事例が普通だったのか疑問があります。
- Windows95を快適に動かすには最低16MBのメモリが必要と言われていましたが、実際には8MBでも利用可能だったのでしょうか?
- 昔のPCで印刷をする場合、インクジェットよりも時間がかかっていたのか疑問です。また、ワープロソフトには変換機能があり、おバカさんのような変換が行われることもあったのか疑問です。
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当時は今では考えられない環境でしたね、 とうじ私はパソコンショップの店員をしていたので感想などもかいてみます。 イ)これは前のかたもかかれていますができました。 ロ)標準のメモリが8MBなんてざらでした。 ハ)いまはインクジェットかレーザプリンタですが、昔写真をよく印刷したいというひとはは熱転写という方式をつかうプリンタをつかっていました。印刷にはものすごく時間がかかりました。 ニ)その当時のいいPCでも320MBくらいが標準だったですかね。ちなみに私が初めて買ったHDDはNECの98のときでしたが40MBで7万円しましたよ。500MBの外つけHDDが9万円では発売されたときなんかは安さにビックリしたものですよ。 ホ)今みたいに変換効率はよくなかったので当たり前のことでしたね。よくキシャノキシャハキシャシタ(貴社の記者は帰社した)とかでるかとかあったような。 ヘ)当時は電話回線でしたので当たり前のことですね。まだISDNとかもなかったと思いますし。私もネットゲームなどやって5万とか請求されたこともありました。 今の人は恵まれすぎていてどれだけ良くなっているかわからないのでしょうね。 初めてFDDを使ったときや、HDDをつかったときの感動は今の人ではわからないでしょうね・・
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イ: 限定的にやってるところがあったかも…程度でしょうか。 ロ: 95の8MBは、XPの512MB位の感覚かな?3.1なら8MBあればOKでしたけど。 ハ: 何を印刷するのか、どういう文脈で語っていたのか解らないので勝手に解釈すると、昔の熱転写プリンタで写真を印字することは不可能ではなかったものの時間(+リボン代)がかかりました。それに、紙送り量とヘッドのピンの間隔が合っていないため、規則的に横縞が入ってしまう現象があり、これを回避するために横方向に1ドットずつ印字してそのたびに紙送りするという力技が存在しましたが、当然ながら印字時間が余計にかかります。48ドットのプリンタなら、一度に縦48ドットを一気に印字できるところを1ドットずつプリントするわけなので…気の長い話。 ニ: 500MBあれば、とりあえずは困らなかったかと。どれだけ売れたかは解らないけど、フロッピー版の95もあったはずです。さぞインストール大変だったろうなぁ。 ホ: それはワープロと言うよりFEP次第でしょう。今のIMEだって知らない単語が入ると、同じような誤変換をやらかしますよ。まあ確かにワープロ専用機はバカが多かったですが。 ヘ: 国際電話でダイヤルアップしてたら、余裕でそうなるでしょう。国内でもテレホーダイができる前は完全従量制だった上に今よりも割高で、近くにアクセスポイントがない遠隔地の草の根BBSにアクセスしたら、確か160km以遠だと12.5秒/¥10だったけか?つまり1分¥40。でも夜10時以降は深夜割引があるのでこれが20秒くらいに延びたような。市内通話も3分¥10が4分¥10になるし。なので俗に夜10時以降はゴールデンタイムと呼ばれてホストが混雑しました。今から思うと冗談みたい。
お礼
ありがとうございました。 ゴールデンタイムってテレビ番組みたいですね。テレビのゴールデンタイムとは時間がずれますが、同じようなことはネットでもあったのですね。
- bardfish
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Windos95゛発売された頃のパソコンはMS-DOSが主流だったので、メインメモリも4MB以下というのがザラ。 ハードディスクも20MBとか40MBが主流で、Win95あたりから250MBのSCSIハードディスクが出回っていたりしたはずです。 NECのPC9821Asが出たあたりから500MBクラスの内蔵ハードディスクが出てきたはずです。 4MBの増設メモリ(PC-9800用)が4万くらいしたんじゃなかったかな? その当時の日本語入力ソフトは今よりもたくさんありました。ATOKはそれ以前からっあたし、VJEとか松茸とか覚えているのはそれくらい。ATOKは当時から賢さでは一番でした。 当時のネットはアナログモデムが主流。ADSLは首都圏のごく一部で試験運用が始まろうとしていたはずです。 アナログモデムというのは家の固定電話回線を利用した通信機器で、接続先のプロバイダの電話番号にダイヤルして接続していたのです。 つまり、普通の音声通話と同じで1分幾らという料金が発生します。 通話相手までの距離が遠ければ市外電話となり、通話料金が高くなります。その為Nifty ServeやPC VANでは日本全国にアクセスポイントを設けてあり、利用者から一番近いところへダイヤルして利用する問スタイルでした。北海道から沖縄に電話すると電話料は1分100円とかになるんだったかな?固定電話は携帯電話とは違い通話先との物理的距離で通話料金が変わるのです。それは今も同じはずですけどね。 そのためNTTでは「テレホーダイ」という割引通話サービスを始めたりしました。KDDIも同様なサービスをやっていたはずです。 実際、Windows95がでる5年以上前はパソコン通信が流行っており、自宅のパソコンと電話回線を使用してパソコン通信のホストを立ち上げている人も沢山いました。電波新聞社からは「パソコンBBS電話帳」なる書籍が発行されていたはずです。 その当時から電話代の請求額が5万を越えている人なんてザラで、「WTERMの自動巡回マクロを使ってみかか代が1万で済んだ!」「俺は巡回先が多いからそれでも7万(;_;」「モデムを9600bpsにしたら安くなった! 」「あそこ(のホスト)はモデムを19200に変えたらしいぞ」などという話で盛り上がったりしてましたね(笑) ※「みかか」とはかな入力モードでNTTと打った場合のこと。
お礼
ありがとうございました。 「みかか」は聞いたことがあります。金○一で暗号をローマ字読みした際、それに対応するキーをかなモードで打って、暗号としたシーンがありました。
- 486HA
- ベストアンサー率45% (1013/2247)
A-イ 私がMS-DOSの自作ソフトでパソ・コン通信を始めた時の通信速度は300Baudというものでした。 その頃にネット上で購入した記憶はありません。 A-ロ 私が使用した最後のNEC互換機であるEPSON PC-486HAには、MS-DOS時代に64MB搭載していましたが、 メモリー代金だけで100万円ほどかかりました。 Windows95が発売された時期のNEC PC-98/9821シリーズの搭載可能なメモリーは14.6MBでした。 PC/AT互換機では8MBでも起動しましたが、16MBは搭載しないと実用的なレスポンスは得られませんでした。 A-ハ 省略 A-二 前述のPC-486HA用の純正内臓ハード・ディスクの価格は500MBで50万円でした。 市販のWindows95搭載PCのハード・ディスク容量は1~2GBというところでした。 A-ホ ワープロ・ソフトについては学習機能の有無や使用者のスキルに依存するところ大ですから..... Aーヘ 省略
お礼
ありがとうございました。 HDDよりCDのほうが容量が多かった時代が懐かしいですね。
- hosakaing
- ベストアンサー率56% (1694/2988)
へ)ネットをするとき、プロバイダのアクセスポイントまで電話(通信)して接続するんだけど、近くにアクセスポイントがないとか間違ったとかで、隣の県のアクセスポイントでやってた奴いたなぁ。当然、隣の県までの電話代がかかるのでベラボーな金額になる。 へたすりゃ、北海道に住んでて東京のアクセスポイントに接続したやつもいるんじゃないだろーか?
お礼
ありがとうございました。 ダイヤルアップも全国整備でなかった時代もあったようですね。
- Microstar
- ベストアンサー率21% (289/1367)
他の方の回答は、その通りですが、ちょっと捕捉します。 ホ その頃のワープロソフトは、一太郎が強く、ATOKは効率よく変換してくれましたよ。MS-IMEはてんでダメでした。 ヘ その頃は定額でなかったので、電話代が10万円もかかったという強者がいましたよ。 他に、パソコン通信の経験者ならわかると思うのですが、レスポンスが悪い時間帯があって、かなり待たされましたよ。 それに通信スピードも今の100Mのと比べて、結構遅かったですよ。 その関係で圧縮ファイル、差分ファイルというテクニックが考え出されたのです。 IPという考え方もなかったですし・・・。
お礼
ありがとうございました。 昔はWordではなく一太郎がプレインストールされていたモデルもありましたね…
- otaku37564
- ベストアンサー率38% (1158/3005)
イ)個人運営の草の根BBSが9割 ニフティのような企業主体の全国的ネットワークが1割の世界でした。もちろんニフティでは物品の売買が出来ましたし、草の根でもお店を経営している傍らサービスでやっているところもありました。 ロ)8Mありゃ動きます。95出た答辞でメモリー2Mで8000円クラスでした。 WIN95はそれ自体がOSではなくあくまでMS-DOSのシェル(補助プログラム)のようなもので 98がでるまでは、ほとんどMS-DOS環境でコマンド打って使っていました。 ハ)今みたいにインクヘッドも細かくないし画像処理のCPUを積んでて自分で処理してないし 1ライン出すのに数秒掛かってるので時間が掛かるのは当然。 中には1色ずつ版を重ね合わせて4回出し入れして出力するものもありました。 ニ)私がガキのころ 10MのSASIHDDで8万しました。 95の時代ギガなんて単位使えるのは 企業のよっぽど資金あるとこだけ。 100Mでさえかなり高いんだから ホ)95標準の辞書はバカで有名なので、DTPやる人はまず一太郎入れてATOK使ってました。 ヘ)テレホタイム23時~8時が適用されない時間は 3分10円です。 ISDNも定額ではありません。 アクセスポイントが市内に無ければ当然2分10円の地域や 1分10円の地域もあります。 画像1枚800Kだとして 今なら1秒で落ちる画像も 256色で混んでると30分以上 640X480の16色のMAGのイラストでも10分以上掛かります。 FD1枚のデータを落とすなんて恐ろしくて出来ません 普通にコピーして郵送で送ってもらったほうが 50分の1以下の金額で住みます。 そんな時代でした。
お礼
ありがとうございました。 3分10円だと10万円は約500時間(約3週間)、2分10円では約333時間(約2週間)、1分10円では約167時間(約1週間)ですが、そういう方も結構いたのでしょうか?
- layy
- ベストアンサー率23% (292/1222)
PC:パーソナルコンピュータ ですから、個人使用が主な利用。 専門学校に行かないと使い道もわからなかったかもしれない。 外界とやりとりするにはパソコン通信。ニフティーとかで、ユーザは少なかったです。 文書作成は 別途ワードプロセッサ(ワープロ)がありました。 プリント機能とキーボードがついたようなもの。 WIN95、インターネット、オフィスの登場で、 一般人も使い始め一気にユーザが増えました。 CDROM普及でPCで音楽CDが聴ける、というのも良かった。 ネットのしすぎで電話代加算が見込まれたので、 制限つけた「テレホーダイ」が登場しました。 WIN95でもFD20枚、オフィスでもFD40枚くらいだったか、 なのでHDD120メガともなると全部入るってことで凄いの感覚。 100メガ容量=1万円くらいでした。 MMXペンティアムの新品ノートでも50万近くしたのではないかなあ。 バブルではありましたが、今思えばかなり高額です。 ソフト買ったり、容量増やしたり、ハード増設したりするだけで考えたものです。
お礼
ありがとうございました。 昔は1枚のCD-ROMよりも数10枚のFDのほうが重要だった、ということでしょうか。
- kokubosino
- ベストアンサー率19% (697/3530)
イ。Niftyの中に日比谷花壇のサイトがありました、それでよく注文してましたよ ロ。はい ハ。A4 1枚1時間なんてありました ニ。最初は40MBでしたよ、500MBなんて夢の世界でした ほ。ヒシアマゾンなんて名称が当時は無かったので、直接は変換しないでしょう、今でもそうですが へ。1分幾らの従量制でしたから
お礼
ありがとうございました。 A4が1枚1時間…熱転写時代はそれが普通だったのでしょうか?
昔のパソコンは今みたいなネット購入もできませんでした。 ハードディスク容量も250メガで十分でした 本体とディスプレイ買ってもただの箱でした ms-dosの世界でしたから windouwsも自分で買わないと行けませんでした 当時は不正コピー当たり前 ネットも使い放題ではないです、普通に1分いくらというように電話と同じ 料金とられました 95にしても、メモリ4mとかで普通に動きました
お礼
ありがとうございました。 Windowsも別売りですか?今でも自作マシンはそうですが…
お礼
ありがとうございました。 当方みたいに最初から恵まれた環境にいれば、逆に不遇の時代がうらやましいと思います。 95・98の時代からPCがほしかったものの、実現したのはXPになってからでしたので…