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横浜中華街はなぜ周囲の街と「通りの向き」が異なるのか?
横浜中華街周辺の地図を見ていてふと考えました。 中華街の通りは周囲の街と「通りの向き」が違うのです。 周囲の街から横浜中華街を通り越して反対側に行こうとすると 非常に面倒なことになります。 わかりやすくいこうとすれば、一番簡単なのは 「中華街に足を踏み入れずに、中華街全体を迂回して向こう側の街に行く」 ということになります。 周囲の街側から見れば、中華街の中を見通そうとしても中華街の外周にあたる通りまで行かなければ中の様子がわからない。 逆に中華街側からも、外の街の様子を見たい場合、外周の通りまで出てこなければ外の町を見通すことができない、 ということになります。 なぜ周囲の街と通りの向きが違うのでしょうか? なんとなーく、吉原(大名行列から吉原内部が見通せないように、大名行列の通る道から吉原までの道を意図的にカーブさせたところがある)とか長崎の出島(外人居留地を隔離するためにわざわざ扇形の埋立地を作って橋を架けて通行を規制した)、みたいな歴史でもあるのかなー、 と思ってwebで調べてみたのですが、そのような歴史は無いようでした。 (ただし、中国人が多く集まっていた街であった、という記述はあります) 詳しいかた、よろしくお願いします。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 街の成り立ちがよくわかりました。 僕はまた「中国人が押し込められて生活していた、あるいは中国人たちが周囲と対立して独自自治の街を造った」 というような名残でもあるのかな、と思っていました。