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横浜中華街はなぜ周囲の街と「通りの向き」が異なるのか?
横浜中華街周辺の地図を見ていてふと考えました。 中華街の通りは周囲の街と「通りの向き」が違うのです。 周囲の街から横浜中華街を通り越して反対側に行こうとすると 非常に面倒なことになります。 わかりやすくいこうとすれば、一番簡単なのは 「中華街に足を踏み入れずに、中華街全体を迂回して向こう側の街に行く」 ということになります。 周囲の街側から見れば、中華街の中を見通そうとしても中華街の外周にあたる通りまで行かなければ中の様子がわからない。 逆に中華街側からも、外の街の様子を見たい場合、外周の通りまで出てこなければ外の町を見通すことができない、 ということになります。 なぜ周囲の街と通りの向きが違うのでしょうか? なんとなーく、吉原(大名行列から吉原内部が見通せないように、大名行列の通る道から吉原までの道を意図的にカーブさせたところがある)とか長崎の出島(外人居留地を隔離するためにわざわざ扇形の埋立地を作って橋を架けて通行を規制した)、みたいな歴史でもあるのかなー、 と思ってwebで調べてみたのですが、そのような歴史は無いようでした。 (ただし、中国人が多く集まっていた街であった、という記述はあります) 詳しいかた、よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
今の中華街の道の向きは嘉永7年頃からあったものです 中国人が集団で住むようになったのは戦後からなので、中国人が勝手に作った結果や風水とは疑問ですね 周囲の道は戦後に作られたものが多く、山下公園周辺の海岸線は戦時中の残骸を埋め立てた人工的なものです その人工的な海岸線に沿って中華街以外の道が作られたのだろうと、過去の地図を見ると考えられます
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- pott64
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横浜開港資料館の館報のバックナンバー(下記)を参考にしてください。 これを読むと疑問が解決されると思いますよ。 http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/100/03.html
お礼
ご回答ありがとうございました。 参照URL読んでみました。 いろいろな歴史があるのですね。 また近いうちに中華街に遊びに行こうと思います。
- hunaskin
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確信はありませんが「風水」じゃないでしょうか。 と思ってちょっと検索したらヒットしたページです。 http://homepage2.nifty.com/351217/tyuukagai.htm
お礼
風水ですか。 提示URL、見てみました。 まあ、中国人側からしたら、 「日本人は風水に従わずに勝手に変な向きに道を作るアルヨ。」 ってところでしょうかね。
- draft4
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中国人が勝手に道作っちゃったから (^_^;
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問文章でいいたいことは、要するに日本人側か中国人側か、 どちらかが 「中華街は周囲とは異なる別世界である」 ということを明確にする目的で、あえて周囲の街から中が見えない、あるいは中華街の中から周囲の街が見えない、様にするために道の向きを違えたのかな? ということです。 まあ、勝手に道を作っちゃえば周囲とは異なりますわな。
お礼
ご回答ありがとうございます。 街の成り立ちがよくわかりました。 僕はまた「中国人が押し込められて生活していた、あるいは中国人たちが周囲と対立して独自自治の街を造った」 というような名残でもあるのかな、と思っていました。