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忘れられない別れ…

会うが別れの始めなり。 あなたにとって、記憶に残る忘れられない別れは何ですか。

みんなの回答

  • chuu-lip
  • ベストアンサー率11% (5/42)
回答No.8

初めての別れ。 私が中学2年生のころ、いとこの女の子が公園の遊具の事故で4歳で亡くなりました。 兄しか知らない私には近所に住む叔母に女の子が生まれたのがうれしくて 赤ちゃんのころからよく遊びに行き、見よう見まねでオムツを替えたり ミルクをあげるお手伝いをしていました。 その日は珍しく少し遅くなり7時頃帰宅すると 「○○ちゃんが亡くなったって」っと母・・・ その言葉がしばらく理解できませんでした。 その後のお通夜、葬儀、初七日・・・ 泣き虫だった私はみんなが悲しみに暮れているのにもかかわらず一粒の涙も流しませんでした。 ・・・しばらくたったある日、いとこの家の玄関先に置かれた三輪車を見た時 「・・・もういないんだ」と思いました。 急に悲しみと寂しさを感じ、そのやわらかさと笑顔が浮かんで来て涙を流しました。 中学生の私には頭では「死」というものが理解出来ていても 「心」では理解出来ていなかったんでしょね。 それから何度かの別れも経験しましたが(恋愛でも) 別れはやっぱり辛くて苦手です。

ryosuke-u
質問者

お礼

こんばんは。 僅か4才ですか… 4才といえば、可愛い可愛い盛りです… 正に天使の時代だと言ってもいいでしょうね。 そうですよね、受け止めきれない時、人は涙さえ流さないものです。 寂寞は、その後に訪れるものですね。 もういないんだ。もう二度と帰ってこないのだと、そこで初めて電気に打たれたように気がつくのでしょう。 玄関先に置かれた三輪車… 目に浮かべるだけで、涙が出ます。 幼くして亡くなったお子さんは、いつの日かまたそのご両親の元へ、新たなお子さんとして帰ってくる。 私は、かたくなにそう信じています。 別れは再びの出会いの始めである。 そう信じています。 ご回答ありがとうございました。

ryosuke-u
質問者

補足

chuu-lipさん、この場を借りることをお許しください。 これは、良回答Pを付けるべき質問ではありませんので、 これにて閉めさせていただきます。 お礼を書くのが、少々辛い質問でもありました。 皆様に、思い出したくないことを思い出させたとしたら、 この場を借りてお詫びいたします。 ご回答ありがとうございました。 ryosuke-u

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  • yoboba
  • ベストアンサー率22% (2/9)
回答No.7

単純な人生しか歩いていませんので 記憶に残る別れはありますが、辛い別れは一つもございません 一番記憶に残る最近の別れは父です。 中越地震でその年の11/6に亡くなりました。あの時期沢山のお年寄りが 亡くなりました。 まだゆれの残る病院で息を引き取り葬儀屋の車も忙しく、間に合わず 「あなたの車使えない?」「・・・は?・・い」悲しみに暮れるまもなく自分の車に父の遺体を乗せ、あれやらこれやら奔走した事をおもいだします。髪ふり見出し小さな赤ん坊をおんぶして病院をバタバタ走っていた私を友人が見ていたようで「いやぁ良く走っていたねぇ声かけらんねぇかったて~」そうでしょう変な形相していたと思うから・・ 自分の精一杯をやったので突然の経験でしたが辛い別れではなく 全てを受け入れる事ができる忘れられない別れです。

ryosuke-u
質問者

お礼

こんばんは。 新潟中越地震は、確か秋でしたよね。 今調べました。 2004年(平成16年)10月23日(土)17時56分。 天災というのは、人の手ではどうしようもないですからねぇ。 首都東京も、やがて瓦礫になる日が来るのだろうな、 そう思うとやるせない気分になります。 11/6というと、二週間ほどでお亡くなりになったのですね。 お年寄りというのは、どうしても被害を被りがちです。 若い頃のように、体も動きませんしね。 でもそれを、ご自分で精一杯越えられて、受け入れたのですね。 よくやってくれた。ご苦労様。 お父様も天国でそう仰っていることだろうと思います。 ご回答ありがとうございました。

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  • theonti
  • ベストアンサー率29% (239/802)
回答No.6

忘れられない別れ 2670年も生きていると、それはも無数に有ります。 その度に、日本の歴史が大きく変わってきました。 最近では、義叔父が昭和史の・・・いや、止めときましょう。 人との別れはあまりにも大きく、とても文字には表せません。   愛犬の話をします。 小学校6年生の時、子犬を拾って来ました。 鼻筋は通り、耳はピッと立ち、尻尾はスゥーと伸び、足はシッカリとして長く、毛並みは短く、中型でとてもハンサムでした。 犬種は分かりませんが、今までにめぐり合った事が有りません。 食事も良しって言うまで、ヨダレをたらしながらも口をつけない。食べてる時でもダメッて言えば、口の中の物を出して、待ちます。3回目には、ヨシッと言っても、こちらが謝るまでは口にしません。 繋れって言えば、例え水の中でも飛び掛って行きました。 写真が好きで、カメラを構えると直ぐにポーズ。退かしても、シャッターを切る時にはチャッカりと、収まっています。 留守番を頼めばその時間内は必ず居る。時間が過ぎると遊びに行ってしまいます。 昼寝の後ふらぁ~と出て、保健所に連れて行かれてしまいました。直ぐにもらい下げに行き、連れ帰ったのですが、それからは保健所の人たちを見ると、遅い時は遅く、早い時は早く逃げて、からかっていました。 そんな楽しい時も老衰には勝てず、肋膜を患い毎週病院へ水を抜きに連れて行きました。 それでも、散歩には連れて行けって、ヨロヨロとした足どりで出かけました。ふらつきながらも、大きな犬にはチョッカイを出していました。 思い出は、まだ書ききれないほど有ります。 そしてある朝、静かに逝ってしまいました。 それ以来、生き物は飼わないと言うか、飼う事が出来ません。 何だか何処かの質問で回答した事が有るような気がします。

ryosuke-u
質問者

お礼

こんばんは。 なかなか賢そうなワンちゃんだったんですね。 それになかなか、お茶目です。 私の子供の頃は、犬も猫もいました。 布団の中で前も後ろも足下も、猫でいっぱいでした。 それがある日、大量死するという事件がありました。 朝起きるたびにバタバタと死んでいるのです。 何か病気だったのでしょうが、動物病院などというしゃれたものなど周りになかったので、原因は分からずじまいでした。 ペットはどうしたって、人間より先に死んでしまいます。 子供心には、可愛がったペットの死というのは痛い記憶ですよね。 ご回答ありがとうございました。

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  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.5

50年も人生をやっていると、いっぱい経験します。 どれも、忘れられない別ればかり・・・ 「自分のこと」だけでも・・・ ☆小学校5年生で、「養子」となった時の「実の両親と兄とクラスメイト」との別れ。 ☆自分の結婚式を見せられなかった、「養父母」との死別。 ☆恋愛相手との、「可愛いじいちゃんになれよ。」「お前もな!」っていう別れ。 ☆愛犬との死別。 ☆役3年間担当した「近所の子供会の担当者」の卒業での、面倒を見た子供たちとの別れ。 など、数え上げればキリが無いくらいです。 また、自分の中では「選手、長嶋茂雄の引退」や、「競走馬、テンポイントの死」のようなことも「忘れられない別れ」です。 私の場合は、その時々の自分の気持ちに正直に「泣く」ことにしています。 「しっかりとお別れをして、明日につなげる。」という気持ちを込めて、とくに「死別」の時は「号泣」します。 「明日からを、しっかり生きてゆくために。」 そして・・・、一番記憶に残っているのは・・・ 「高校のクラスメイトの女の子」が、現役時代に「白血病」で亡くなったことです。 クラスでは「同じ班」でした やさしい笑顔の明るい子 それは 高校2年生の初冬のこと たった16年しか生きていないのに もっともっと遊びたかっただろうに 【生きているんだもん 幸せにならなくちゃ 生きてゆくんだもん 不幸になんかなるもんですか】 という詩を残して 彼女はお星様になりました みんなで見送ったお葬式 だれもが泣いていました 私は もう彼女の3倍もの人生を生きています 楽しいこと 悲しいこと 嬉しいこと 辛いこと いっぱい経験できています  健康であることの喜びをかみしめる時は 感謝の気持ちを込めて 辛い出来事があった時は 勇気を奮い立たせるために  彼女の墓に刻まれたその詩を思い浮かべています  感謝と勇気を ありがとう  また 命日には会いに行くからね 毎年繰り返す「お墓参り」ももう34回目です 早いものですね 「生きたかった」であろう彼女の気持ちを思うとき 「命」の尊さや、「心と身体の健康」の大切さを感じずにはいられません。

ryosuke-u
質問者

お礼

こんにちは。 随分と間を開けてしましましたが、やはりまともなお礼は出来そうもありません。 天寿とは何か、かつて考えてみたことがあります。 若くして亡くなっても、それもやはり天寿であろう。 これがその時出した自分なりの答えでした。 ところが人は、いつも生を望む生き物です。 ゆえに、どこで死んでも悔いは残るのだろうな、とも…。 それが「高校のクラスメイトの女の子」のように、若ければ若いほど、当人にも周りにも、 さらに大きな悔恨と深い悲しみと、消えない記憶を残すのでしょうね。 二親ともの命日すら記憶していない親不孝者ですが、 死は終わりではない、そう信じていますので、それを言い訳に未だ生きております。 命は尊く、心身の健康は何よりありがたいことですね。 ご回答ありがとうございました。

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noname#151896
noname#151896
回答No.4

20代での同級生の死。 彼女には、小学校低学年のお子さんがいたのですが、お葬式が始まっても普通にしていたので、 『まだ分からないのかな?』と思っていたら、 出棺の時になって、大声で『お母さん!』と泣き出し、本当に悲しいお葬式でした。 私にも子供が居るので、こんな悲しい思いはさせたくないと、強く思いました。

ryosuke-u
質問者

お礼

こんにちは。 同級生の死というのも、身近すぎて信じがたいものがあります。 私も、10代で一人、20代で一人亡くしました。 20代の友は、お子さんが生まれたばかりでした。 >出棺の時になって、大声で『お母さん!』と泣き出し、本当に悲しいお葬式でした。 悲しいですね。本当に悲しい…。 私はこの質問を立てたことを、涙ながらに少し後悔しています。 お子さんが親の死というものを、ある程度冷静に受け止められる年齢までは、 お互い生きていたいものですね。 ご回答ありがとうございました。

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  • Nannette
  • ベストアンサー率26% (1499/5697)
回答No.3

お早うございます まだ子供の頃、道端の草むらの中から拾い上げて、抱っこして連れて帰ったオスの子犬、真っ黒で手足の先だけが真っ白いソックスドッグ、ただの雑種犬だけれど小さくてとても可愛かった。 兄が犬小屋を作ってやって、クロと名づけてしばらくは可愛がっていたのに・・・、なのに、いつしか、兄も私も次第に面倒を見てやらなくなってしまった。散歩に連れて行かないとダメじゃない・・・と母には何度も叱られるし、そうなるとますます面倒な存在になってしまっていたクロ。 でも、ある日、学校から帰ってきたら、家の前でクロは知らない人にヒモでつながれて連れて行かれようとしていた。えっ、どうして・・・。 だって、あんたたち、クロの面倒を見てやらないから・・・、クロにとってもこのほうがいいのよ・・・って。 クロは何度も何度も私の方を振り返りながら、とうとう連れて行かれてしまった。クロは本当にあの人のほうが幸せなんだろうか、そうは思えない、クロ、ごめんね。 何度も振り返って私を目で追っていたあのクロの寂しそうな目、何千回思い出したことだろうか・・・。私、ワンちゃん大好き人間、でも、あれからずいぶん時がたったけれど、二度とワンちゃんは飼わないと自分に誓ってから、そのまま今でも・・・・。 別れ、私は泣かない・・・、でも、人との別れ、あまりにも多過ぎて、そして、あまりにも悲しくて、だから、とても書けない・・・・。

ryosuke-u
質問者

お礼

こんにちは。 子供の頃って何事にも飽きやすい傾向があります。ですから、こうしてあげなければならない、という義務感より、 目の前のことに、どうしても意識が向かってしまいがちですものね。 何度も振り返るクロ…悲しいシーンです。記憶に焼き付くのは、むべなるかなですね。 でも、クロはお散歩に連れて行ってくれる人に飼われた方が、幸せだったかもしれませんよ。 むしろその悲しい別れで、幼いナネさんはクロに何かを学ばせてもらったのではないでしょうか。 人との別れも辛いものです…。 ご回答ありがとうございました。

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  • hisae213
  • ベストアンサー率18% (11/58)
回答No.2

おはようございます。 私にとっての悲しい別れ・・・ それは昨年の4月に愛犬が亡くなったことです。 「安楽死」でした・・・ 獣医さんに「もう何も手当は出来ない」と言われ その場で決断して私の目の前で安楽死の処置が行われました。 その光景は、一生忘れないと思います。 その場では涙を見せなかったけれど、帰りの車中、大泣き しながらハンドルを握って運転したことを思い出します。 それからは、泣いてばかりの毎日でした。 今でも愛犬を思い出すたびに涙がこぼれ落ちます。 昨年は8月に父を亡くし悲しいことが多かった年でもあります。

ryosuke-u
質問者

お礼

こんにちは。 ペットというのは、家族と同じですよね。 そうですか、安楽死でしたか…。 生きとし生けるものすべては、死という最期を迎えます。 しっかりと見届けてあげることは大切ですよね。 私も、多くのペットたちの死を見てきました。 虫の息になって、体が冷えていって、生きながら硬直していく。 命が失せていく様子は、手の施しようが無く、悲しいことです。 そうですか、お父様もお亡くなりに。 お悔やみ申し上げます。 ご回答ありがとうございました。

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noname#75507
noname#75507
回答No.1

悲しい思い出ですが、父を病気で亡くしたのは忘れられない別れです。

ryosuke-u
質問者

お礼

こんにちは。 人が最初に接するのは、悲しいかな肉親の死が多いですね。 祖父母を送り、親戚を送り、父母を送り、やがて、友人を送っていく。 生きている限り、避けられないことなのでしょうけれど、 それはやはり、血が出るほどに痛みを伴うことですよね。 ご回答ありがとうございました。

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