これは、尾崎と一緒に曲を創ってきたプロデューサーの須藤さんの著の言葉です。
尾崎豊の当時の内心も良くわかります。
誰かのクラクションと言う曲の詞のその中でたった2行で彼はカギカッコを付けている。
“ 何を手にしただろう ” “ 誰のために泣けるだろう ”
つまりはこの2行が言いたかった。
尾崎は色々な人の警笛を聞いて,色々な人の中のカリスマ性を見て,いろんな人に向かって歌い愛すべき人を救おうとした。
でも一体、それで自分は何を手にしたんだろう? 今自分は皆の為に泣いているような歌っているようなフリをしているけど、本当は誰の為に泣いているんだろう?
彼はこの2行にこの時点での全ての心情を託したんだと思う。それはヤッパリ虚脱感、虚無感みたいなものを表している。
聞いてもらえればわかるけどメロディーも詞もわかりづらいものになっている。全然ホップな楽曲ではない。
彼の中にある自意識とか美意識が混濁が出ていて言葉も混乱している。
アルバム『壊れた扉から』は全体的にこの詞を読むとわかるように“ 何のために?”“ 誰のために?”と言う疑問符がものすごく多い。
“♪どこへ行くの わからぬまま ”“ 行くあてがない ”と言うのも彼にとっては不確かなものばかりが増えてきたと言うことだろう。
“♪心から愛されたことが あるかって聞かれた 一緒に探してたものならあった気がする /本物の愛を ”
16歳で『愛を信じます』と言った少年の姿はもうそこにはいない。
僕は尾崎に『何のために? 誰のために? どうして? どこへ?ってそんなに疑問符ばっかり投げかけて、君にとって疑問と回答とどっちが大切なんだ?』
って聞いた事がある。尾崎は
『僕には疑問が大切なんです、だって答えなんてない。無数のクエスチョンマークの中で僕は唄って行きたいんだ 』
って答えた。僕には無数のクエスチョンマークの中で歌おうとしているけど溺れてもがいている尾崎の姿が見えた。
10代最後のアルバム『壊れた扉から 』の最後をこの『誰かのクラクション』で締めくくる。その『誰かのクラクション』と言うのは、尾崎豊自分自身へのクラクションだった。“ HELP ME! ”だった。
須藤さんの『尾崎豊が伝えたかったこと』より
お礼
ありがとうございます。 そういう深い意味があったのですね。 十代でそんなことを歌にしていたとは驚きというか・・・すごいです。