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霊の存在について
霊を信じる信じない、それぞれたくさんいます。霊は絶対にいないと断言している方は、お墓やお葬式などは全く必要がないということなのでしょうか。確かに霊が存在していないのであればそういったものは全く無用になりますし、宗教的な行事に参加する意味も無くなります。そういう方も仏壇に手を合わせたり、罰があたるなどの表現を使ったりするわけですが、そもそも霊を信じない人がなぜそのようなことをするのでしょうか。霊を信じろと強要しているわけでなく、最近疑問に思ったので投稿しました。皆さんはどう思われますか。
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- globef
- ベストアンサー率17% (1306/7306)
信じていない人全てにあてはまりませんが >祈る、先祖に感謝をしたりするということはつまり自己満足 自己満足の方もいます 単に感謝だけというシンプルな方もいます いろいろですよ 霊を信じている方でも,全ての方が、先祖に話を 聞いてもらいたいとか、願いを叶えて欲しい なんて思っているんですか? >霊の存在あっての宗教行事であると私は思います。 霊を信じている人から 金品を搾取したり 大勢の人をコントロールするのに宗教は、利用できませんか?
- kura_chang
- ベストアンサー率29% (181/620)
すべて論理的に考えるとそんな気もしますよね。それに、僕は霊なんていないと思ってます。 それでも、死者の生前の恩に感謝したり、敬意を払いたいし、遺族に礼節も尽くしたい。そう思うと、お墓も葬式も便利だから、わざわざ不要論を唱える論理性の方が「ない」と思います。 死んだ人の事なんて無かったことにして一切思い出すことはないから、そんなものがあるとはなはだ迷惑、という徹底した珍獣みたいな人間なら別でしょうけど(笑)。
- myeyesonly
- ベストアンサー率36% (3818/10368)
こんにちは。 これは自分の信教の問題とは全く別な話です。 相手の信教を尊重する、という事であって、自分が霊や宗教を信じようと信じまいと、なくなった相手のそういう物を尊重するという事です。 日本は多神教の国ですから、キリスト様だろうと仏様だろと神様だろうと、イスラムやヒンズーの神様だろうと、問題なくあがめる事が可能な珍しい国だと思いますし、それゆえ、一神教国家などからも問題視されないのは、むしろいいことだと思います。 霊を信じる信じない(ついでに無宗教も含めて)もそういう中の一つだと思います。 相手の信心を尊重するのと、自分の信心は全く別問題であり、それが許される国なわけです。 これが出来ないのが一神教の国々の人で、何かにつけて宗教面での争いが起きてしまいます。
- hermit_
- ベストアンサー率9% (21/214)
たとえ形式的であっても、お彼岸がきたら仏壇やお墓に手を合わす・亡くなればお葬式をする...ということが暗黙のルールというかマナーというか、世間の風潮がそういう風にやるようになっているので宗教の信仰がなくても、霊を信じなくても礼儀でやる、なんだと思います。 あ、でもこういうのをきっと世間体っていうのもあるのかもしれませんね...。
- globef
- ベストアンサー率17% (1306/7306)
>お墓やお葬式などは全く必要がないということなのでしょうか。 霊と葬祭行事は、関係ないと思いますよ そもそもそこからして考え方が、変だと.... 葬式て亡くなった方とお別れすると言う事です 霊を信じていなくても亡くなった方を弔ってもいいのでは? お墓、仏壇も 生きた証という事でもいいじゃないですが、 祈る事も先祖に感謝するという気持ちは、大切ですよ そして「罰があたる」(バチがあたる)という表現ですが 正しくは,「バチ」(太鼓を叩く棒が、語源です。) 「神、仏に対する不敬や親不孝な振る舞いで、その報いがあること」 つまり「心がけが悪いと悪い目に遭う」「天罰が下る」という 意味だそうですよ 昔の人の戒めみたいなものです。 霊の存在理由とは、直接関係はありません 霊が存在しようがしないが 冠婚葬祭、宗教は意味は,ありますよ
- kazuhi3
- ベストアンサー率16% (62/375)
私は霊を信じません。見たこともないし・・・・ でもそれと先祖を敬ったり成仏を祈るのは別問題かと思っています 別にそこに霊としていると思っているのではなく あくまで供養です。あの世なんてのもあるとは思っていませんが 安らかに眠ってくださいと祈ってるだけです。仏壇や墓も そのためのものだと思います。火葬しても遺骨は残りますし・・・・
- okg00
- ベストアンサー率39% (1322/3338)
手続きの問題でしょう。 自分の気分の切り替えの意味もあるし、周囲が同じとは限らないのでするのでしょうね。結婚式も本質的には入籍届けの紙切れ1枚ですむ事を大々的にしてますしね。 霊の有無と宗教は関係ありませんよ。仏教では霊の存在を否定していますし。
- sdfsdfsdfs
- ベストアンサー率19% (514/2703)
お墓やお葬式は死んだ本人のため…というよりも、残された者が気持の区切りをつけたりするためのものではないかと…。 そう考えると霊の存在云々関係なくお葬式に参列したりする気持はわかります。 私自身は無宗教ですし、霊を信じてもいないし否定もしていません。 ただ私のことだけを考えると、自分自身が死んだらお葬式も必要ないし、お墓も必要ないかな…。海にでもまいてくれればいいです。
- popman100
- ベストアンサー率12% (30/241)
お墓やお葬式や仏壇に手を合わせるというのは「世間体」という奴ですね。 ああいう物は、死んだ人のための物ではなく、生き残った人のための儀式ですから。霊を信じる信じないとは別の次元の話です。
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補足
祈る、先祖に感謝をしたりするということはつまり自己満足ということなのでしょうか。霊の存在を否定している方からすると、先祖にいくら感謝をしても先祖は聞いてくれませんし、祈っても願いは通じません。そもそも霊はいないと言っている時点で矛盾が生じているような気がします。宗教儀式も体裁だけなのでしょうか。霊の存在あっての宗教行事であると私は思います。その辺の矛盾をわかりやすく説明していただけると幸いです。