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謝りたいことありますか?

宜しくお願いします。 男性でも女性でも、現在のパートナー(恋人・夫婦)や、元恋人、元夫婦、友達などなど・・・・・どのような方でも良いです。 当時は素直になれずに謝れなかったけど、今でも反省や後悔をしていることってありますか? 「あの時は○○って嘘を言ったけど、実は○○です。嘘ついてごめんなさい」というようなことありますか? 僕の場合 高校1年から大学1年の冬まで付き合っていた女性と別れる時に、 『入院することになって自分のことで精一杯になったか。だから、今まで通り付き合っていたら君の気持ちが重すぎて耐えられない。』とこのような事を言って彼女のせいにして一方的に突き放して別れたことです。 本当は、他に好きな人が出来ました。ただ、凄く卑怯ですが当時は怖くて言えませんでした。 その後は一切連絡を取り合うことも会うこともなく人生を送っていたのですが、つい最近、久しぶりに会った友人からその女性が亡くなったと聞いたので、今は遅すぎますが凄く後悔しています。 こんなことがあり、皆様はどうなのかと思い聞きたくなりました。 小さなことでも大きなことでも、悲しいことでも楽しいことでも、皆様は謝りたいことはありますか?

みんなの回答

  • ital
  • ベストアンサー率11% (2/17)
回答No.4

嘘も方便と言いますから、正直に言わなくて良かったのかもしれませんし、相手は、それほど深刻に考え続けていない場合もあります。 似たようで違う経験があります。 小学校のとき、初めてクラス替えが4年の時にありましたが、そのときに、すごく第一印象のよい子がいました。いいなと思っていたらある日向こうからも話しかけられて、すごく嬉しかった記憶があります。 そのとき、自分はシャイなほうなので、近くに居た人に悟られないようにしようと、慌てて違う事を口走ってしまいました。(帰りは友人らと歩いて帰るので)少し経ってからそれを訂正しようとしましたが、既に連絡つかない場所にいたらしく、その子は家に行きたいと言った通り、家に来てしまいました。 なんと誕生日のプレゼントを持って。嘘をつくつもりが無いのに、誕生日だといってしまったのです。(それなら仕方が無いと友人に思われたいとバカなことを考えて)。 友人のひやかしを恐れて、どちらにも良い顔をしたいという八方美人的な発想です。その後、口をきいてもらえなくなって、謝ろうと電話をしようとしました。何度も鳴らしては、恥ずかしくなって切るという事を繰り返したり、家の前を何気なく通って、出てきたら話そうとおもったりしました。(でも会うことはなかった)呼び鈴を思い切って鳴らしたことがありましたが、留守でした。 そして諦めてしまってから、何年も後悔し続けていました。 そして、何十年か経って、忘れていたころ、その子が死んだということを知り、また小学生の頃に記憶が一気に蘇ってしまいました。 その子は、教員となって幸せな人生を送っていたようです。 これで、もう死ぬまで許してもらえない事に気がつき、絶望感を味わいました。 相手は、もう忘れていた事だと思いますが、自分で自分を許せない気持ちは、一生消えないと思います。ちょっとした勇気があったら、人生が変わったかもしれません。 これを教訓に、二度と同じことはしないつもりです。 馬鹿なやつほどプライド高い。嬉しい時は、正直に表現するというのは男女関係なく大事な事です。 言い訳のようですが、両親が不仲の家で育ち、父が感情を家で表したことを滅多に見たことがありませんでした。そういうものも、自分の性格を形成した一因かもしれないと感じています。親と同じようにならないようにと思っています。

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  • corkwood
  • ベストアンサー率12% (62/508)
回答No.3

あるなあ。 小学校のとき、私のしてしまったことで、結果的に泣かせてしまった女の子。しかも数人。ごめんなさい。悲しいとき泣ける人は、優れている。と今思います。強いんです。心が。力や、言葉やなどに、よって行使することよりも、それ以上の平和的な郷を選んだその心に敬服します。し、高尚な魂の存在を感じます。ごめんなさい。 してはいけないことをしてしまった知人たち。ごめんなさい。心をわかってもらいたかったんです。 そして、そんなことを選んでしまった自分へ。身から出たものは必ず戻ってくるのです。自分に対しても謝りたい。ごめんなさい。 懺悔室

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  • trnc
  • ベストアンサー率36% (110/301)
回答No.2

これに該当するのかな? 私が中学3年の頃、反抗期の真っ最中でふとしたことから母親と喧嘩になり「あんたとはもう喋りたくないな」と言われました。 反抗期でしたから「よーし、俺も絶対喋らねーからな!」と心の中で決めて、その日から丸4年間、まともに会話らしい会話を母親とした覚えはありません。何かあればメモ帳の切れ端に用事を書き親に投げる、「おい!」「カネ」等の単語で要求。ある時は、両親を含めた3人で居る時、父親の言葉には明るく反応しても母親の質問には一切答えないと言う陰湿な態度をとっていた事があります。 …結局、大学を予備校の施設で浪人した年、母からの励ましの手紙に何とも言えない怒りが込み上げ、ビリビリに破いて封筒に突っ込み返送…その後、母が「私が悪かったから」と謝って、今は良好な関係にあります。 ですが、結局こんなものは私のエゴによる子供の振る舞いだった事を、この闘争?を終えてつくづく思ってしまいます。 「この4年間に、母親には毎朝の朝食、弁当、送り迎え、学費等をお世話になっていたのに…」と。 今、この4年間を埋める事ができるものなら、母親への親孝行をもって償いたいものです。この身勝手な生意気な振る舞いを取り続けていた私を養ってくれた母親に心から謝りたいものです。

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noname#53849
noname#53849
回答No.1

あります、あります。きっとだれにでもあると思います。あるのに、また同じ繰り返しをすることも・・。後悔せずに生きている人間なんていないのではないでしょうか。そして、そんな後悔や反省や後ろめたい気持ちがまた人の痛みをわかることのできるやさしさやしなやかさを教えてくれるのだと信じています。藤沢周平さんの「本所しぐれ町」のあとがきのなかに、だれもかれもが品行方正だと息がつまってしまいますよね、ということばがありました。わかっているのにやってしまう、それが人間で、だからまた愛しいのだと。

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