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経済観念って??
夫婦とも36歳、7歳5歳2歳の子供が居ます。 主人は親と喧嘩した勢いで、手早くお金がもらえると高校卒業後建築業に入り、仕事はなかなか評価もいただいたようですが身体を壊して、実家へ転職。 こちらは製造業で、子供のころからよく見知っているだけに、適応してうまくやっています。 そうした経験からか、学歴を軽視、あるいは敵視していて、私が家計の話をする際、まず、教育費への準備を第一順位に上げて、節約を促すと爆発します。 そんな生活のために俺は働いているのか!!と。 それも、タバコだったり(これは子供二人が喘息もちなので健康上の理由のほうが大きいのですが、やめようとしません)趣味(熱帯魚の飼育、オートバイの保有、週に5,6本のレンタルDVD、欠かせないという寝酒)だったりで、私から見ると、優先順位を論じる範囲でさえないと思うのですが。 学校の格安のたいそう教室に参加していた長男が、先日競技会に参加して優勝し、正規のクラブにお誘いを受けました。4000円ほど、お月謝がかかります。 私としては、子の雄姿を見て喜び、「タバコ代我慢して行かせるか」位の発言を期待しましたが、彼の反応は「体操なんていつまでやるんだ、せいぜい小学校いっぱいだろう、中途半端になるようなことしなくていい」でした。 実家はもう一人従業員が居るだけで、社会保険もなく、年収で440万くらい。(去年は370万でした、変動が激しいのです) しかも、離婚している義母が無年金者なので、いつ扶養の必要が出てくるかと考えると、胃が痛くなります。 財産と呼べるものもありません。 この価値観の差は超えられるものではない気がして、離婚を考え始めています。 おかしいですか?
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- aosawagani
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回答No.4
補足
早々にたくさんのご回答を戴き、ありがとうございました。 今日、主人としっかり話し合いました。 もちろん、結婚生活への不安はこの問題ひとつではありません。 いろいろ考えました。 人生への希望というか、見方に大きな隔たりがあるのですね。 実は、私は勉強することで身を処してきた人間です。 最近、恵まれた家庭で勉強ばかりさせられていたからニートに、というような取り上げ方を見ると、わかるようなわからないような?? まじめに誠実に勤めることは大前提です。 それが勉学の道を選んだから身につかないと関連付けるのは疑問です。 そして、社会人の環境よりは恵まれているでしょうが、学生自体に自分を律しながらコツコツと積み上げてきたもの、その過程には一定の価値があると信じています。 出産まで8年勤めました。 今は無職ですが、復職は容易です。 今日の結論は以下のとおりでした。 ・教育は、高校からすべて、「可能ならば」でよい 経済的理由で(不測の事態ではなく、準備がなく)高校を断念させる事態も胸は痛まない 堂々と愛情を持って育てる ・高学歴は人間性を失わないと手に入らない ・男女とも社会的成功を収めることは家庭の空洞化、崩壊と直結している ・習い事は器用に何でもできると天狗になるからしなくていい ・仕事にやりがいやら、充実感など求めたことも感じたこともない、幻想だ ・人生は重く暗いものである・・気をつけて用心深く歩めと 教える ・人生を明るいものと考えるのは世間を知らない愚か者の考えで、より広い世界、など見ようと思うのは根拠のない憧れだ ・妻・母である私が社会的居場所を求めるのは、贅沢な趣味であって、もともと経済は自分の収入でできる暮らしをすればよいのだから、共働きとしてのパートナーシップを受け入れる気はない 完全に私の「趣味」である 経済の効果は、元来、家庭生活における重要事項を履き違えた一人よがりである 結局、一番胃が重いのは、非常に否定的な彼の発想で子供たちに接しなければいけないこと 人生を肯定的に感じて生きたい、という私を理解も受容もできないということ(子供への影響も同様に) 現実の生活を潤すために手段がある(共働き)のに、受け入れないこと(家事協力以前に、就労自体を人間性の欠如と断罪する) 非常に的確に、一番深い根をみつけることができました。 言い争うというより、二人でため息でした。 今回は延命したとして・・・・添い遂げられる??とお互いに自問しました 結果は難しいだろう、でした それでも、まだ小さい子供たちにとって、その決断は今では酷じゃないか? 子供のため・・は親の偽善じゃないか? いろんなことを話し合いましたが、結論には至りませんでした。 主人は、家族には、愛情深く、やさしく・・・けれど、 社会を憎悪し、私のありたい「私」を嫌悪し、経済という現実に関知しない。 怒りは収まりました・・けれど、どうしようもない絶望感が沸いています。 贅沢な言い草なのでしょうね。 けれど、私が心を殺して、世界は怖いものだという彼のシェルターに一緒に入っていれば、それは家族の幸せにつながるのでしょうか? 私自身、その幸せを、後悔せずに受け入れられるのか?