この記事についてどう思うか?というご質問ということでしたら、記事を読んで思ったことを回答したいと思います。
我家にも、猫どもがおります。ですので、大切なペットを想像できないような形で亡くされた方の痛みはよくわかります。こういう人間が実際にいるのですね。幸いなことに、私が住んでいる付近ではこうした事件は耳にしたことがないのですが・・・。
ただ・・・、こういう「動物愛護」ということについての意見や発言などを耳にするとき、ある種の違和感を感じるのもまた確かです。それは、動物虐待の多くは、今回の例のようなものよりも、実はペットショップや飼い主によるものが圧倒的である、ということなのです。こうした異常な事件は、例えばニュースや新聞などで報道されたりすれば多くの人の同情を買いますが、けれどそれは虐待のほんの一握りでしかありません。日常的に人知れず行われている虐待こそが、実は本当の問題なのではないか?とも思うのですね。
また、ペットの命は大切ですが、「人間と同じ」ように扱うことにも私は違和感を覚えます。例えば、私の家の猫と、見ず知らずの子供が川でおぼれていてたら、私は迷うことなく、見ず知らずの子供のほうを助けます。子供を見殺しにして家の猫を助けることは私にはできませんし、子供を見捨てて大切なペットを選ぶ人間を心優しい人間とは全く思いません。
ペットを物と同じように扱うことには反対ですが、しかし例えば「ペットを殺したら死刑」というような世の中も私はぞっとします。同じ命とはいえ、やはり人間とは違うのです。「人間と同じだ!」だから大切にしろ、というのはどこか違う気がします。例えばですが、ペットを飼うことはできますが、人間を飼うことは誰にも許されないのですから。
生き物を「飼う」ということは、その時点で非常におこがましいことをしているのだと私は思うのです。どんなに大切に扱われたとしても、私は誰かに「飼われたい」とは絶対に思いません。家にいる猫どもにしても、本当に我家で飼われていることがこいつらにとってよい選択だったのか?とつい考えてしまうところがあります。盲目的に、無条件に「うちで飼われてこいつらは幸せだ」というようには思えないのですね。
ペットの一番の理解者は飼い主です。が、おそらくは私も含め、多くの飼い主は、自分たちの都合のいい感情だけをもって動物たちを「飼って」いるのだということを忘れている気がします。自分たちの幸福たちのために動物たちを不幸にしているかもしれないということには目を向けようとせず、自分勝手に「動物たちも幸せなはずだ」と思っているところがあるような気がします。
こうした事件を耳にするたび思うこと。それは「じゃあ自分は本当に動物たちのためになっているのか?」ということです。少なくとも私は、生き物を「飼って」いながら、まるで「自分こそは動物たちの味方なのだ」と錯覚することだけはないように、と思っています。私は、やはりどこまでいっても動物よりは「人間の味方」なのです。そして動物を「飼って」いる以上、私は動物と人間を対等には扱ってはいないのです。対等ではないからこそ、私は飼っている猫どもに対し責任があるのですから。
動物愛顧の第一歩は、まず誰よりも先に「飼い主」自身が、身勝手な感情論から離れて人間と動物の共存はどうあるべきかを考えるところから始まるように思えるのです。もっともペットにとって身近な存在である飼い主から変わらなければ、それ以外の一体誰が変わってくれるでしょうか。そういうことを考えてしまうのですが、いかがでしょう。
質問からだいぶずれた意見になってしまいましたらごめんなさい。
お礼
そうゆう人がいるということを頭においといて 飼い主も気をつけないといけないですね。 アンケートありがとうございました。