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日本軍は朝鮮・中国でひどいことしたの?

実際の体験談をお聞きしたい!とは言っても実際に朝鮮・満州等行かれた方は書き込むことは無理でしょうから、その家族の方お願いします。   昔から、日本軍は朝鮮半島・満州等でとても酷いことをしたときいてましたが、それに対してそういった話は韓国・中国・日本共産党のでっちあげ、捏造だという書物も出てますが本当はどうなのだろうと質問しました。 昔、おじいさんにきいたというような話、お願いします。

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  • EmethG
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回答No.4

 おじいさんに聞いた、という話ではありませんが、ちゃんと出展のある話を代わりに致します。  しかし、まだ「従軍慰安婦」の虚構を本気で語る人がいるのですね。  これは、ソウル大学の安垂直教授によっても虚構であることが確認されいます。そもそも発端となった吉田作治という職業詐話師が証言した「韓国・済州島での女狩り」は、秦邦彦教授による現地調査で現地の人の証言から嘘だととっくに判明しています。  ちなみにあなたがどんなイメージで「酷いこと」と言っているか分かりませんから、思いつくままに書きます。  戦争において占領地でごく普通に起こる軍人による犯罪であれば、欧米列強やシナの軍隊のソレと比して遥かに小さい確率では発生しています。  当時の日本軍は世界一軍規の厳しい軍隊と評価されていましたが、それでもゼロではありません。  また、シベリアの過酷で劣悪な環境と強制労働が原因で、抑留者全体の少なくとも1割に当たる6万人の日本人が死んだソ連のシベリア抑留や、オランダのティモール島クーパン収容所で日本軍の捕虜が受けたリンチや強制労働などの拷問虐待と処刑や、中国の戦犯法廷で死刑判決が出た帝国軍人に対し公開銃殺をして、しかも急所ではない所を狙って苦しめられるだけ苦しめた中国など、この類の軍が組織的に行なった残虐行為については、信頼に足る資料はありません。  東京裁判で、ゴボウを食事として提供したから、捕虜虐待とか、墜落したB29の乗員が瀕死の重症で苦しんでいるときに介錯をしたから、虐待とか、その程度の「虐待」ならありますが、そんな代物を虐待として特記せざるを得ないほど、一般的なイメージによる「虐待」は無かったということです。  最後におじいさんではなく親族ですが、戦前は朝鮮半島にいて終戦で引き上げて来たとき、引揚者に対して朝鮮人は別れを悲しんで送ってくれたという話があります。  「水に落ちた犬は棒で叩け」ということわざがある朝鮮人が、急に弱い立場になった引揚者に対し、略奪も暴行もほとんど行なっていません。そういう少ない事例に対しても、体を張って日本人を守った朝鮮人の話すらあります。  民間レベルで「酷いこと」をしていたら、死者に鞭打つ文化を持つ朝鮮人が、この復讐の絶好のチャンスを逃すはずがありません。つまり、民間レベルでも「酷いこと」なんてさして無かったと言えます。

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  • sudacyu
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回答No.7

 日本軍の朝鮮(韓国を含む)での事情と中国での事情は大分違います。 1.韓国の場合  それ以前の、台湾政策の成功がその元となっています。  台湾は日清戦争で清から日本に割譲されたわけですが、中国から見ても辺境の地で、清の時代になって鄭成功が亡命政権を初めて作ったように、台湾にはもとから現地の民族政権があったわけではなく、清の植民地(大した開発も行なっていなかった。)でした。  その土地に、日本は欧米のような搾取政策による植民地ではなく、日本との同化政策を行い(台湾総督府の総督は代々海軍大将という慣例ができました。本国ではなく、島ということで海軍の管轄になったようです。)、暮らしが豊かになった現地の人からかなり歓迎されました。  日本が朝鮮を併合したとき、台湾の例に倣って日本との同化政策を行なったところ(小学校での日本語教育と朝鮮語禁止、朝鮮姓の廃止と日本人姓の使用、靖国神社の設置など)、2000年近い民族としての歴史を誇りとしている朝鮮の人々から、民族消滅政策として大反発を招き反日行動が激化しました。朝鮮の人たちの反日行動は、治安維持法(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E5%AE%89%E7%B6%AD%E6%8C%81%E6%B3%95 悪名高い法律で、日本国内で民主的言動をしたため、獄中拷問死した人もでました。)などで取り締まられました。(ちなみに朝鮮総督は陸軍大将という慣例であったようで、朝鮮総督は今のソウルに作られた靖国神社に参拝していました。)  なお、イギリスなど欧米諸国がインドのような歴史のある国を植民地にした場合は、現地の元からある統治システムには余り手をつけずに、間接支配するのが通常でした。 2.中国 イ、虐殺などの非人道的行為  大規模にあったのは事実です。 ロ、虐殺の証拠、規模について  中国が戦争に負けていたこと、清の衰退から日中戦争まで戦争・騒乱が続き経済が疲弊し、文化的レベルが低下していたため、写真などの客観的記録は中国側にはほとんどありません。  ところが、中国共産党の一党独裁を正当化するため、共産党の抗日運動を大々的に宣伝する必要上、証拠を見える形で作らざるを得なくなり、証拠の捏造が相当見られます。  南京大虐殺も中国側の言っている30万人以上という説は根拠がなく、日本軍の資料などでは6~7万くらいと見込まれています。(これでも相当な数です。)日本軍とは別系統で情報収集を行なっていた日本外務省が、南京での暴挙に困惑していたという記録が残っています。 ハ、私が中国で戦った人に聞いた話・中国人に聞いた話 A.中国は軍人・民間人の見分けがつかない。  当時の中国は、日本のように政府が全国を完全に統治し軍服が統一された状態ではなかったことが最大の理由です。  第一線の精鋭部隊である蒋介石直属の軍は、装備もよく軍装も整っており、すぐにわかったそうですが、中国軍の精鋭部隊は温存する作戦で、あまり交戦しなかったそうです。  実際に戦うのは二線級の部隊が多く、軍服によく似た作業服を一線部隊と同じ色に染めたものでしたが、染が悪く色落ちしていたり、装備が不十分で銃が二人に1丁などと言う状態であったそうです。  また、一般の作業員・労働者が以前の軍閥戦争時の兵士であたりしたため、旧軍服を作業衣に使ったりしている人も多く、相手側の部隊が総崩れになり、統制の取れない状態で撤退している場合、階級章がなく武器を持っていなければければ、一般人か軍人か全く区別がつかない状況であったそうです。  結局、戦闘のあった地域でこのような人を見れば、先ず撃ってから調べるとか、スパイとみなすとかしていたそうです。 B.日本は経済的苦境を打開するため戦争を始めた。 アメリカの対日禁輸により戦線拡大した状況なので  1.日本軍は自分達の食料さえ慢性的に不足していた。  2.輸送手段が不足しており、急を要する部隊展開でさえ、徒歩が普通であった。(日本軍では自転車部隊は機動戦力との認識でした。自動車の間違いでは内ですよ、念のため。)  また、連合軍側が戦闘能力が無くなれば降伏して捕虜になるのが常識であったのに反し、旧日本軍は捕虜になることが恥と教えられ、全滅するまで戦い、負傷者は自殺するのが当たり前でした。そのため、  3.日本軍が考えなかった大量の捕虜が発生した。  4.捕虜の取り扱いについて、日本軍兵士は十分な教育を受けていなかった。  この1・2・3・4の条件が絡み合って、栄養失調のもとで歩かされたための衰弱死・食料不足による捕虜の餓死、さらには少量食べさせて結局餓死させるのであればと、銃殺することが増えました。ある指揮官の日記には、武器を捨て降伏した相手を捕虜としないとの記述もあります。どうしたと思いますか?  日本の能力を超えた軍事侵攻のため、しかたがなかったのですが、常識では考えられないような捕虜の大量死を出しました。 さらに、旧日本軍は  5.階級が上の者が下の者を殴るのが常態化していた(兵・下士官クラスで顕著でした。)ので、捕虜を同じように殴りました。‥‥捕虜の虐待になります。  6.日本兵の命さえ1銭五厘(召集令状の葉書代)と言う意識があり、個人の命より軍全体の利害を優先していました。 ので、戦時国際法を守る意識が不足していました。  7.沖縄戦でも分かるように、軍の戦力維持のためには、民間人は自分の命を犠牲にしても軍に協力すべきであると考えていました。自分の国の人命さえこのように考えていましたから、戦争をしている相手国の民間人の命は極めて軽視しました。 C.私は、日本政府の無償援助で病院を建設した経験がありますが、  ある日、現地労働者の中国人リーダーに 「日本人は侵略的だと思っていたが、一緒に仕事をしてみて、今の日本人はそうではないことが分かった。一緒にいい仕事をしよう。」と言われました。後日彼から、「祖父が日本軍に切り殺された。」と聞きました。  祖父は小さな村の村長だったそうなのですが、他の村で日本軍が来て食料を徴発したため、収穫時期までの食料の無くなったその村は、誰もいなくなってしまって崩壊したとの話を聞き、村人に食料を隠すよう指示したそうです。ほどなく日本軍が来て、食料が見つからず、それが村長の指示だと分かったため、村人の前で切り殺されたのだそうです。

  • uncadeau
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回答No.6

今時の人はかなりの割合で、この様な認識なのかどうかが気になります。 独逸では過去の事実の多くを認めており、それが周囲の国々からある一定の評価を受けているわけです。 Y!知恵袋の方では「在日韓国人」について、そのほとんどが経済発展の時に密航して来たのだと、平気で書き込んでいるのを見て、唖然としました。 うちの爺さんは北海道の炭鉱の関係者でした。 大戦中には重労働の所には、多くの連行した人々が重労働に従事させられていたわけです。 なぜ大陸から連行してきたのか? この様ないわば奴隷目的ですね。 それ以外に何の必要があってわざわざ連行して来る必要があるでしょう。 日本は「臭い物にはふたをしろ」という風習が欧米より強くあります。 それがいつまでも問題を未解決のままくすぶらせているのは残念なことです。 靖国神社問題も今やっと政府でもA級戦犯合祀という本質の話しが出てきたのはよい事です。 今の若い人には、戦後の経済発展の日本しか知らなければ、想像できないでしょうが、軍、戦争、とはそういうものです。 戦争には、略奪、拷問、強制連行(奴隷)、婦女暴行、は付き物です。 欧米が、アジアに植民地として侵攻してきたのは事実ですが、しかし、日本も結果として大陸に侵攻したのも事実です。 この様な場合は、日本からの情報だけでなく、第三国の発行した歴史書も参考にするのがよいと思います。 自分が生まれる前の、つまり自分には直接関係のない事で、いまだに隣人といさかいになっているのは残念な事ですね。

  • heisenberg
  • ベストアンサー率23% (591/2556)
回答No.5

日本の近代史に於いて 朝鮮・中国に対して 行き過ぎた蛮行があったのは事実です。 代表的なのは満州に於ける「関東軍防疫給水部」いわゆる「七三一部隊」の人体実験ですか・・・。 石井四郎軍医中将を長とする七三一部隊は 戦時国際法を無視した非合法の人体実験を密かに推し進めていました。実験台になったのは現地の中国人たちです。彼らは「丸太」と呼ばれていました。当時の日本人にとって中国人は 人間扱いされない「丸太」でしかなかったのです。 毒ガス室に入れて毒ガスの有効性を確かめたり 細菌に感染させてその影響を観察したり また 生きたまま解剖してみたり・・・。やりたい放題でした。 人間が 同じ人間に対して このような悪魔的なことを平気でやれた背景には 日本人一般の 中国人に対する優越感があると思います。その結果 中国人を「丸太」扱いしてしまったのです。 「一事は万事」で このような傾向が おそらく 日本が進駐・占領した中国各地での様々な所業の淵源になっていて その結果が 「日本は朝鮮・中国で酷いことをした。」と 今に伝えられているのでしょう。 輝かしい日本近代史の影の部分です。

  • pluto002
  • ベストアンサー率22% (73/331)
回答No.3

韓中に限らず、あの戦争ではひどい事は行われていましたよ。 例えば、中国人などを使った人体実験もありましたし、例えば、前線で戦う部隊(日本の)に対し物資を届けなかったり(届けられない状態であるのにも関わらず、それを前提にした作戦を立ててみたり)、その為、その部隊は略奪、強盗で食料や生活物資すべて現地調達となり、またそんな無茶苦茶な論理で下りてくる指揮下では、一定のモラルや秩序などが維持されるはずもなくそれ以上の非道な行為も起きたりもしていました(もちろんすべてではない)。 ただ、現在の中韓などで言われている事は1が10になり10が100になるという誇大広告となっているのが多い事も事実。

  • ARX7
  • ベストアンサー率15% (36/233)
回答No.2

もし実際にひどいことを、した人がいたら、都合の悪いことは、言わない場合が、多いとは、思います。 私は、捏造説を支持していますけれどね。 私が、直接中国での話を、聞けたのは、1人だけですね。 その人は、現地の人とは、仲良くしていたとか、中国の酒が、うまかったとか、あの人は、酔っ払うと必ず戦争の話になっていました。 朝鮮半島・満州等でとても酷いことを、していたかどうかは、戦地に行ってきた人に失礼な言葉なので本人にそんなこと聞けませんよ。

  • Zozomu
  • ベストアンサー率22% (123/545)
回答No.1

いろいろな所で言われていますが、程度の差はあれ、そういった事実はありました。 朝鮮から日本に連れて来て、防空壕掘り等の肉体労働に強制的に就かせたり、若い女性の場合は従軍慰安婦にさせられたり、いろいろあったようです。 まぁ、その大日本帝國の悪行をネタに日本にたかるようなまねをするのどうかと思いますけどね・・・・・

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