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ショックを受けた病気とは?
- 私のおばあちゃんが風邪で認知症になり、そのショックはガンに発病されるよりも大きかった。
- 白血病も難しい病気であり、初めて告白された際には大きなショックを受ける。
- 認知症である私のおばあちゃんの状態は完全に元に戻ることは不可能であり、その現実を受け入れることができず悲しみを感じている。
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高一の女子です。 ショックを受けた病気…は私の病気でしょうか。 今年の1月末から、「不安神経症」と「過呼吸」という病気になりました。 不安神経症は文字通り、神経が不安に思い込ませてしまう病気で、 過呼吸は呼吸を不必要にし過ぎて二酸化炭素不足に陥り、呼吸困難になります。 発病したのは高校受験当日でした。 緊張とストレスと不安が最高になっていたのでしょう、下車駅で倒れました。 駅員の方がとても親切に地下の休憩室で休ませて下さって なんとか気合で受験を受ける事が出来、無事合格しました。 この病気で一番厄介なのが、「出かけたいのに出かけられない」。 例えば何処かショッピングモール等に出かけよう、と前日から楽しみにしてるとします。 前日まではとても楽しみで、明日の事を思いながら眠りにつきます。 ですが、いざ当日となると脚と目がくらんでとても行ける状態ではないのです。 発病の兆しは以前からあったのですが、心配をかけまいと誰にも話しませんでした。 そして、自分自身これは自分の癖で治る為の薬もないだろうと決め付けていたのです。 その為、発病してから4ヶ月、一歩も外に出れませんでした。 まず、起き上がると苦しくて瞬きも大変な位でした。 夜8時頃になると必ず何かあるのか大きな発作がきて1時間ずっと続きます。 呼吸は出来ない、かろうじて目を開けられる程度です。 4ヶ月ずっと家の中で過ごして感じたのは家族のありがたみです。 外に出れない為に入院も出来なかったので(検査も受けられない状態でした) 欲しい雑誌や好きな漫画を発売日に買ってきてくれたり、 朝昼晩の食事を自室に運んでくれた母にはとても感謝しています。 4ヶ月経った時に母が病院に行って代理受診というものを特別にして頂いて 薬を処方されてからだいぶ楽になり、現在では学校にも通えています。 食後必ず薬を2錠(夜は+1錠)飲まなくてはいけないし、 外出の際には1時間前には特別な発作を抑える薬を飲みますが。 そして、学校側にも感謝しています。 自宅持ち帰り厳禁のレポートを、担任の先生が上司にかなりの無理を言って 私の自宅へ小まめに郵送して提出させて下さったのです。 病気の苦しみの中でレポートを仕上げるのはもちろん大変でしたが、 そのお陰で留年も退学もならずに済みました。 今年は桜とひまわりを見ることなく過ぎたので、来年は元気に見たいです。 紅葉は、明日から軽井沢へ旅行へ行くので、なんとか見れそうです(笑)
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- sobamoti
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私の場合は怪我ですが、「尺骨神経麻痺」です。 重労働が原因で左手の神経が1本麻痺しました。 人生終わったと思いました。 手術中、看護婦に「左手で良かったね」なんて言われましたが、ちっとも良くありません。 今もそうですが、完治はしないと言われながらリハビリしてます。 病気も怪我も完治しないとなるとショックですよね・・。
お礼
麻痺など、この先も一生それを背負っていかないといけないのでやはり物事がわかる歳になればなる程受け入れるのは辛いですよね、 私は片耳が聴こえなくなったのは3歳で、ほぼ生まれつきでしたのでこれが当たり前でしたが、現在の病状を理解しているだけにこの先のことも考えるとショックですね。 完治はしないかもしれませんがほっておけばもっと悪くなってしまうことも充分あります。不躾ながら偉そうに言わせてもらいましたが、 月並みな言葉ですが、頑張って下さい。 回答ありがとうございました。
- toyamo
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私は「両側精巣上体炎」という性器の病気にかかっしまいました。。。 まだ20代なのに、若い看護婦さんたちに局部を見られたり、、 抵抗ありまくりでした>< しかも毎週行かなければならないので憂鬱です、、 薬だけで治るらしいですが、時間がかかるって言われて、本当にへこみました。。
お礼
失礼な意味での訂正ではありませんが、失礼ながら現在では正式には看護士ですね、 性器の病気ですか、精神的に辛い思いをされたのですね。こういった病気は少々気を使ってほしいものがありますね。大変ですが、頑張ってください。 回答ありがとうございました。
こんにちは。 私は18歳の時に原因不明の進行性両感音難聴と診断されました(現在22才です)。 難聴の中でも極めて稀で何万人に一人の確立という難聴です。 現在の医学では治療法がなく、治す方法がないと言われました。 私の今の進行速度では30歳位に全く聞こえなくなるそうです。 それでも何とか思い出さないように一生懸命に生きていました。 が、半年前に白血球がほとんどなく、白血病にならなかった事が不思議なくらいだと医者に言われました。 その時は白血病がどんなに怖い病気なのか全く知らず、「白血病ってそんなに重い病気なの?」と半年間を過ごしてきましたが本田美奈子さんの事を知って「白血病」がどんなものかを知り、とても身近に感じるようになりました。 なので私は今生きている事にとても感謝しています。 この事ももちろんそうですし、耳が聞こえなくなったら自分はどうなるんだろうと思うととても怖いです。 でも、本田美奈子さんの事を知って、耳が全く聞こえなくなったとしても生きていられる事に感謝できるようになりたいと思えました。
お礼
そうですか、私も片方の耳が現在聞こえません、その影響でもう片方が聞こえなくなることはないのですが、耳を大事にしていないと聴力はすぐ下がりますので気をつけてくださいと医者に言われました。 本田美奈子さんもそうですが、悲しむばかりでなく、いま自分が五体満足であることがどれだけ幸せなことかよく考えて体を大事にすることがこれからの教訓でしょうか。 回答ありがとうございました。
こんばんは。 本田美奈子さんとタイプは違いますが、私の母も白血病に罹りました。 ちょっと前から「ダルイ。疲れた」などと言っていたのですが、普段から人一倍健康だったので、家族は「風邪でもひいたんじゃないの?」と軽く接していました。 ある日、とうとう病院に連れていってくれというので行ったら「白血病です。ウチでは打つ手がありません。お気の毒です」と言われてしまったときはショックでした。そういう病気があることは知っていましたが、TVや本の中でのことだと思っていました。 「何故、よりによって母が?」という思いでいっぱいだったです。 母は、他の病院に受け入れてもらい、抗がん剤による治療、その後ミニ移植を受けました。 その間にも心臓も悪くなり、ペースメーカーを入れたりしました。 ミニ移植後の重い副作用に苦しみ、退院、入院を繰り返し昨年の夏とうとう人工呼吸器を装着され、その後意識不明になり、そのまま9月に亡くなりました。 母が死んで1年が過ぎますが、今でも母のつらい闘病生活を思い出すと、たまらない気持ちです。 リハビリや治療をいやがる母にあまりにも無理じいしてしまったのではないか、もっと優しくできなかったのか、答えは出ないながらもいつも心の中で考えています。 母はとても怖かったと思います。家族も大変な日々を送りましたが、それ以上に「死の恐怖」を感じていた母のつらさは想像できないものがあったと思います。 「こんな病気になってゴメンね」 母は私たち姉妹に謝りました。 母が謝ることなど何にもなかったのに。 悪いのは母ではなかったのに。 最後にもっとおしゃべりしたかったです。 近しい人が重い病気になるというとこは、とてもつらいことですね。 sakehac3さんも唯一のおばあちゃんが認知症になられて、とてもショックだと思いますが、おばあちゃんを大事になさってくださいね。 ご回復をお祈りしています。
お礼
大変な体験をされながらも励ましのお言葉ありがとうございます。病気と言うのは人の心を最も苦しめる要因の一つだと思います。 今、私を苦しめているガンですが、その病気を治すことができる様になってもさらに恐ろしい病気が生まれます。避けたい、だけど避けて通れない、本当に難しいものですね。 老衰で亡くなられた方というのは、この世の中で一番幸せな方なのかもしれませんね。 回答ありがとうございました。
- onasu25
- ベストアンサー率28% (50/177)
高校生のときに、初めて献血をしました。 誰かのお役に立てるかもしれない!という気持ちで、 自分の中では、とっても満足していました。 しかしながら、数日後、分厚い封書が送られてきて 「あなたの血液はB型肝炎の疑いがあります。 すぐに病院へ行って検査をしてください。 血液は、廃棄いたします」 と書かれていました。 肝炎の疑いがあるということよりも、 血液が廃棄されたことにすごくショックを受けました。 当時は、まだB型肝炎は難病指定であり、 親には言えず、その封書を見えないところに置いておきました。 そして、20歳になったとき、 体調を崩しがちになった私を見て母が、 「あなた、肝炎なのかもよ。 おじいちゃんもそうだし、ママもよ」 と、言われ、そのときにホッとして涙が出ました。 しかし、その後、祖父がその肝炎が原因で 肝臓がんになり、亡くなりました。 これがまたショックで、立ち直るのに時間がかかりました。 今は難病指定も解除されましたが、 ウイルスキャリアでなくなるわけではありません。 病気であったこと、人とは少し違うこと、 保険に入れないこと、献血が出来ないこと、 とってもショックでしたが、 以上のこと以外で、幸せを感じ、 誰かの役に立てるようにと、今は思えるようになりました。 あのときのショックは、今でも忘れません。 でも、姉妹の仲で病気だったのが自分だけで、 本当に良かったと思っています。
お礼
そうですか、難病というのはとても難しいものですよね。病気をされている方がそういう受け止め方をされて今も良かったとされておるのは非常に参考になりました。回答ありがとうございます。
- kuroo1o5
- ベストアンサー率23% (47/196)
父が大きな病気をしました。今は奇跡的に健康です。 私の祖母も認知症でした。入院したらすぐになりました。ただ何故か急に会話のつじつまが合ったりする時もあり、時間の許す限り顔を出すようにしました。 自分の存在を忘れられるのは寂しいですよね。とても分ります。私も孫なのに自分が子供の頃接した大人と間違えられましたから。 発病したから3年位たったある日に、幼少の頃からいつもなんですが別れ際に握手をしました。その日は思いっきり目を開いて一生懸命私を見ていました。病気になってからは意外とそっけ無かったのでびっくりしました。『お!俺って分かったな』と思ったんですけど、次の日に亡くなりました。 医学的にどうとかは分りませんが、認知症と諦めず成るべく親戚みんな顔を出してあげて下さいね。 頑張って下さい。
お礼
やはり顔をよく出すことが病状をやわらげることもありますよね、寂しい気持ちになるかもしれませんが、めげずに顔を出してあげたいです。 回答ありがとうございました。
- yumgyumg
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どのような病気であろうと、 その人に対する愛情が深ければこそ、 ショックを受けるのです。 あなたは甘くはないですよ。
お礼
そうですね、祖母には一番思い出があり、深い愛情を注いでもらった自負がありましたので、それを知ったときのショックは大きかったです。 回答ありがとうございます。
お礼
大変な病気をされたのですね… ショックを受けたのは思い入れがある人もそうですが、自分自身で経験されたときも大変辛い思いをされますよね。軽井沢で羽根を伸ばして是非完治を目指して下さい。 回答ありがとうございました。