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R&Bについて
R&Bというのはどういう曲調の音楽ですか??
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私は、R&B・ソウルミュージックを歌っているボーカリストです。 ウィキペディア(百科事典的なもの)から引用しますと、 リズム・アンド・ブルース (英語: rhythm and blues) は、 R&B(アール・アンド・ビー) とも略される音楽のジャンル。1940年代後半に、ジャズやブルース、ゴスペルといった黒人音楽が発展する形で生まれた。 ロックンロールもここから生まれたが、当初はリズム・アンド・ブルースとロックンロールの間に明確な区別はなかった。その後、リズム・アンド・ブルースはソウルなどへ発展していった。 1960年代のアメリカで黒人たちの地位向上によりさらなる彼等のアイデンティティを高揚しアフリカンアメリカンとしてのルーツを誇示するための音楽として、よりモダンになったリズム・アンド・ブルースの一つの形をR&Bと呼ぶようになった(R&Bという呼称は、以前リズム・アンド・ブルースの略称として使われてもいたし、1960年代のR&Bをリズム・アンド・ブルースと呼ぶことがないわけではないが、区別することが多い)が、現代では、ポップミュージックというのとさほど変わりは無い。1990年代には、ブラコン(ブラック・コンテンポラリー)などを経て、その他多くのジャンルの影響を受けた形でまた新しいR&Bがブームとなった。 また、現代では、必ずしも黒人アーティストの音楽と言うわけではない。簡単な解釈は、ダンス系のリズムを持った楽曲をしっかりした歌唱力で歌う歌手。 [編集] 代表的なアーティスト レイ・チャールズ ジャネット・ジャクソン TLC Usher ビヨンセ アリシア・キーズ 久保田利伸 和田アキ子 MISIA 宇多田ヒカル S-sence CHEMISTRY ゴスペラーズ ウィキペディアではこう記載されています。 しかし、私の個人的な見解としては、現代日本のR&Bと呼ばれているものは、 ”R&B風味の日本語歌謡曲”でしかないと思います。 上記の日本人の中で本格的にR&Bとしての影響を受けているのは、 久保田利伸くらいじゃないでしょうか。 ケミストリーとかは、私からみたらR&Bと呼ぶには最悪です。 つまりは、基本にブルース的ソウルを感じさせる歌唱があり、 それをリズムに乗せている音楽って感じでいいのではないでしょうか? その中で、日本では言葉ばかりが先行していて、 本当のR&Bはあまり知られていないのが寂しい現状だと思います。 本物のR&Bは、本当にすごいですよ。 カッコいいですから、ぜひ興味を持たれたのでしたら、 ご自身の音楽ルーツをたどってみてください。
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- johnyangel
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1950~60年代 一般的に日本ではまだR&B(アール・アンド・ビー)というひとはほとんどいませんでした。 R&Bはリズム・アンド・ブルースと呼ばれ、レイ・チャールズやベン・E・キング、などをさしていました。 ソウルミュージックと区別する人も結構いて、たとえばソウルといえばモータウンのアーティストたち(ダイアナ・ロスやマーヴィン・ゲイ(60年代の)はノーザンソウル、アレサ・フランクリン(サザン・ソウル)などといわれていました。キング・オブ・ソウルといわれたジェームス・ブラウンも当時から活躍していました。 アメリカではR&Bとソウルはほとんど呼び方では区別しません。R&Bというのが一般的です。 当時のリズム・アンド・ブルース(ツウぶった人はブルーズといっていました)は今の若い人がいう”アール・アンド・ビー”宇多田ヒカルなどとはかけ離れた印象を受ける人が多いと思います。 1970年代になってヒットチャートの上位を占める曲はますますポップスの影響を受けたメロディアスな曲がふえていきます。日本ではスリー・ディグリーズなどが有名ですがやはりこれも当時はフィラデルフィア・ソウルなどといわれて今ならR&Bのカテゴリに入るものも、まだアール・アンド・ビーとは言われていません。 1980年代はさらにポップスとのクロスオーヴァーがすすみ、今では誰でもR&Bだと思うような人たちも日本ではポップスのカテゴリでCDショップで並びました。マイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストンなどが代表です。当時はホイットニーやジャネットも”これはアール・アンド・ビーだ”といって聞いていた人はほとんどいません。私もポップスだと思っていたし、マイケルに至っては自分でキング・オブ・ポップを名乗っていました。またmcハマーも、ラップとはいっていましたが(今で言う、ヒップホップですよね)このころはイレギュラーなヒットという感じでしたがおおむね当時は好意的に受け入れられました。 1990年に入り日本でも突如”アール・アンド・ビー”ということばが使われるようになります。これはプロモーターサイドの努力も多大にあった影響でしょう(勿論それは売上げの向上への一環から始まったことであったとしても) 特に1992、3年以降、ボーイズIIメンや4.P.M、all4oneなど黒人の聞かせるバラードがヒットチャートの上位に食い込むようになり”アール・アンド・ビー””スイート・アンド・メロウ”が売れるキーワードになったのです。ホイットニーのボディ・ガードのテーマもポップスのプロデューサーが手がけましたが、R&Bテイストに料理して14週連続1位という大成功をおさめます。多くのアーティストがポップソングのR&B化を進めて成功しました。1994年には、これに衝撃を受けたマドンナまでが路線を転換し、ベイビー・フェイス(のちに平井堅をプロデュース)やダラス・オースティン(後に安室奈美恵を手がける)など新旧のR&Bプロデューサーを迎えてシングルtake a bowを発表。7週連続一位という彼女の現在までにおける彼女にとって最大の成功を得ました。 こうして、 アール・アンド・ビーという言葉自体がポップス(=流行歌)に接近していったこととが、日本の音楽シーンにも波及してJポップが、当時の黒人音楽の流行に接近していくことでJ-R&Bという言葉が生まれました(ケミストリーが代表格ですね) 今では、黒人が歌っているヒップホップ以外のものをに限らず、それらを意識した音作りをする日本のアーティストの曲もアール・アンド・ビーと、非常に広義な意味での総称するほどの市民権を得た言葉になりました。