茨木のり子さんの詩は歯切れがいいですよね。
思わず口をついて出てくる詩が、結局は自分の大好きな詩なのかもしれません。
ちょうど物思いに耽りつつ橋のたもとを歩いている時に、ある音楽のきれっぱしが突如目の上で鳴りだすように。
そうですね、今の季節だと、たとえば宮沢賢治の「春と修羅」の冒頭、
心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
また、西脇順三郎の「皿」という八行ほどの詩。皮膚感覚に爽やかでとても好きです。
黄色い菫が咲く頃の昔
海豚は天にも海にも頭をもたげ
尖った船に花が飾られ
ディオニソスは夢みつつ航海する
模様のある皿の中で顔を洗って
宝石商人と一緒に地中海を渡った
その少年の名は忘れられた
麗な忘却の朝
それから、フランス十九世紀の女流、ヴァルモール夫人の「サージの薔薇」という、まことに情熱的な詩。
(勝手に自己流に作り変えています。ご不快でしたらごめんなさい。)
今朝あなたに薔薇をお持ちしようと思い立ちました。
でも、一度編んだ花束に次々追加しようとするものですから
結び目はぎちぎちに、今にもはち切れてしまいそう。
はたして薔薇は弾け飛び、風に乗り風に舞って
空の上へ 雲の流れるほうへ 海の上へと降りそそいでゆきました。
うずまく潮へ身をまかせ、沈もれ浮き立ち 流されてゆきました。
そのとき海は真紅に染まり、波は燃え立つかと見えたのです。
今宵 私の身につけているものは残り香に満ち……
吸ってください私から。このいっぱいの薔薇の香りを。